鬱と無精の違い

文章を書くことに慣れていないので、温かい目で見てください。
また、この文章においての「鬱」はうつ病とは関係なく、気が滅入ること、と解釈して読んでください。

goo辞書にて「鬱」と「無精」を調べると下のように出てくる。

 鬱・・・心が晴れ晴れしないこと。気がふさぐこと。
無精・・・からだを動かして物事をするのを面倒くさがること。また、そのさま。身だしなみに頓着しないさまなどにもいう。
私の勝手な印象では、鬱は比較的同情の余地があるが、無精はあまり同情されるイメージはない。

高校生の頃、少し心身に関わる病気らしきものを患っていた。それは気分が滅入りやすいくもなると聞いた。その頃は毎日学校に遅刻したり1週間学校に行かないときがあったりしていた。この頃の「学校行きたくない」理由は、少し体調が悪い状態が毎日続いていたりどんどん授業においてかれることに絶望を感じたり漠然と「学校に行きたくない」と思ったり…であった。
大学に入ってからも「学校に行きたくない」と、授業をサボってしまうことが多々ある。理由は、高校と同じように漠然と「学校に行きたくない」と思ったり外に出る準備が面倒だったり人の目を浴びるのが億劫だったり…である。

背景を考えると、高校では、6割わがまま・4割精神的理由、大学では、10割わがままだと思っている。つまり、高校は鬱に近いもの、大学はただの無精であると考えられる。

友達曰く、私は「高校生の頃と違って、大学に入ってから元気そうだ。」と言っていた。自分では気づかなかったが、その子の言葉には信憑性があった。このことからも、この2つの期間の違いは確かにあったと言えそうである。

しかし、私の感覚では、高校も大学も「学校に行きたくない」という感覚は同じように感じている。つまり、鬱か無精かはわからないが、高校も大学も抱えてる感覚は同じであるのではないかと思う。

では、鬱と無精は何が違うんだろう。

私の中では、鬱と無精、全く違うように見えて実は紙一重なのかもしれない。
これ以上の結論を私は出すことができなかった。


鬱と無精が表裏に書かれたこの紙を破り捨てて生きていけたらいいのに。

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