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私と茶の湯

社会人になって久しい30代の私だが、茶の湯との出会いは大学時代に遡る。離れた時期もあるが、今はすっかり茶の湯に魅了され、これからさらに探究していきたい。

大学に入学し、どんなサークル、部活に入ろうかと胸を躍らせていた入学当初。いろいろなサークル・部活に顔を出している中、茶道部の体験会に参加した際の「日本文化ってなんかいいなあ」との感覚から、入部を決めた。
今思うと、畳の部室、わいわいしていない奥ゆかしい部員たち、なんだか落ち着いた空間に惹かれたのだろう。「なんとなく心地いい」という感覚を大切にした当時の私。日本人である私は、この居心地のよさを感覚で求めており、この感覚は私にとって原点であり大切にしたいものだ。

大学の茶道部では、茶道の「型」を教えていただいた。年に一度開く茶会では、仲間と道具の説明や点前を必死に覚えたのが、いい思い出である。

大学生活を経て地元である地方で就職し、社会人生活を送るだけで精一杯の日々を過ごしていた。仕事をする中で、集団での意思決定のプロセスの難しさや苦しみを感じることが多くなってきた頃、心の支えや自分の視野を広くするようなきっかけが欲しいと感じていた。すっかり茶の湯とは離れた生活を送っていたが、真っ先に思いついたのが茶道を再開することだった。

近くの先生を探すため、大学の部活では表千家だったため表千家同門会に問い合わせ、今の先生を紹介いただいた。
改めて触れた茶の湯の世界。学び、楽しみ、自己を追求する機会となり、心が救われた。私の住んでいる地域は自然の豊かさが残り、工芸がさかんな環境であり、茶道の魅力に惹かれていき、現在に至る。

茶道を通して学んでいることは多々あるが、中でも日常の豊かさを実感できるのが大きい。季節の移ろいを感じることで、自然への敬意を抱く。道具に触れることで、それらを作る職人たちの意匠を感じる。茶室にしろ、お菓子にしろ、人々の想いが詰まっているのだ。

自然や人への敬意を抱くことで、自然の力、周囲の人々や先人たちのつながりの中で、自分は生かされていることに気付く。周囲への感謝の念が生じることで、他者を尊重することができる。さらに、同じ瞬間は二度と来ないことを理解すると、日常を重んじ、精神的に豊かな生活を送ることができる。

一人ひとりの個を尊重し、様々な価値観を共有する時代には、自己の確立が大切である。
仕事で外国の方と接する際、当たり前ではあるが「私は日本人だ」と実感する。日本で生まれ育ち、日本語を母国語とする中、日本ならではの精神性や感受性が私の根源にあり、誇りに思っている。自己を深く掘り下げなくては、他者と向き合うことはできないだろう。

茶の湯は、特別ではなく日常の中にある豊かさに気付くきっかけとなっている。生活様式が変化している中、時代とともにどのように茶の湯が変化していくかは、今後向き合っていくことになるだろう。文化は守るべきものではなく、時代に合わせて活用して繋いでいくもの。
これからも日常の美しさを味わっていきたい。

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