焼き肉と価値観。
「焼き肉にいったら、七輪に一枚ずつ肉を載せて、焼けるまでほかの肉は焼かない人がいたんだよね。」
最初にこの話を聞いた時、その人とは一生相容れないと思った。その当時の私の食事の概念は「栄養分の補給」。車にガソリンをいれるようなもので、それ以上の意味をもつことはなかった。食べることは嫌いではなかったが食事に30分も40分もかけるものではない。食事に時間をかけるくらいだったら勉強したり、本を読んだり、別のことをしたほうがいいのではないかと本気で思っていた。だから「肉を1枚ずつ焼いて食べる。」という行為は時間を無駄にしているように見えたのだ。
大体の七輪は肉を1枚焼くだけでは能力を持て余してしまうだろう。何枚かの肉を同時に焼く。それだけで食事時間を短縮することができる。しかも肉が焼きあがったとして、1枚ずつしか食べれないことはだれの目からみても自明だろう。大抵はお腹がすいた状態で七輪の前に座る。そんな状態で1枚ずつしか食べれない。私の場合はいつも焼けるだけ焼いて、焼きあがったら一気に食べる。車に少しずつ時間差でガソリンをいれることに何の意味があるのだろうか。それに、あなたは愛犬にペットフードを1粒ずつあげたら犬が喜ぶ、なんて思うだろうか。それで喜ぶなんて相当なマディストではないか、とまで考えあぐねていた。
そんな風に難癖をつけていたが、その考えは吹き飛ばされることになる。
ある日急に焼き肉が食べたくなった。今すぐにでも行きたかったので一人焼き肉にチャレンジしてみようと思いたった。当時はひとりで夜の焼肉屋さんは少し抵抗があったのと、昼の方が安そう、とのことでランチでどこかいい店はないかなと思い、調べると家から近いところで焼き肉やさんがあるとのこと。早速行ってみることにした。
到着し中に入ってみると焼肉屋さんというよりはカフェのような白と淡いブラウンを基調とした内装。席もカウンター式の席がありそこで肉が焼けるようになっている。初・女子一人焼き肉にはふさわしい舞台だった。雰囲気にも後押しされいざメニューを開くと、きれいに盛り付けられた肉達の写真が並んでいた。健康的なピンク色のくるくると丸め花のように飾ってある肉のしたにみどり色の鮮やかなレタス。扇型に均等に並べられて赤身を帯びた肉とレモン。
そして写真の通りきれいに盛り付けられた肉が運ばれてくると、なんだかこちらまでかしこまってしまう。そのときに「一枚ずつ七輪の上に肉を載せて食べてた人の話」をふと思いだした。
-私もそうやって食べてみようかなぁ。
ほんとに気まぐれのつもりだった。ただきれいに出されたものときれいに向き合ってみたかったのである。もし肌にあわなければすぐにやめよう、とおもっていた。
さて、記念すべき一枚目はカルビに決めた。網に肉が引っ付いてしまわぬよう、油脂を塗ったあと、そっと肉を載せる。ジュッという音が響き、煙は天井へと這っていった。しばらく観察していると網目から油が滴り落ちる。滴り落ちた油は炭に落ちていき、炭から出る火はバチバチと音を立てて火力を増していた。こうやって油が落ちていくのを見ると、なんだかヘルシーなものを食しているような、そんな気分になる。早く食べたくて、焼けるのが待ちきれなくていつもであれば肉をお箸でつついてしまう。そういえば料理するときあまり肉は焼く時に動かさないほうがうま味が落ちないって誰かが言っていたような。焼き肉の時は関係なかったかしら。と思いつつここはぐっとこらえて箸をおいた。
焼き上がりを見極めると、そっと七輪から肉を引き上げる。レモン汁に肉をじっくりと浸し味を調えていった。じっくりと観察しながら育てたお肉には愛着が生まれている。そして待望の、口の中に入れる瞬間がようやくきた。
名残惜しいけど、、、いただきます!
勢いよく口の中にほおりこむ。その瞬間、肉のうまみが口の中に広がりずっと噛んでいたくなった。気のせいかいつもよりおいしく感じられた。
そして結局全部一枚ずつ焼き、一枚ずつ食べた。一人で一時間半くらい食事に時間をかけたのはなかなか珍しいことだった。
その後味を占めた私は、1か月に一回程度焼き肉ランチに行っている。一枚ずつ丁寧に食べていくことで、「栄養を取ること」以外にも「食事を楽しむこと」の真の意味を知れた気がする。肉が焼けていく過程も時間をかけて楽しむ。またそうして時間をかけて出来上がったお肉はやっぱりおいしい。「食」そのものだけではなく「食事時間」を愛することが私にもできたのである。
宗教観、政治に対する意見、人生の最重要目標。人に会う時おかしを渡す、最初の一杯はハイボール、ジョギングは夜にする。絶対に変わらない価値観は確かに存在する。それとは反対に知ってしまうだけで簡単に変わる価値観もあるものだ。そして変化した価値観のもとで生み出される「発見」は人生を豊かにしてくれる。価値観が変わるタイミングは突然で予測不可能。自分の価値観を声高々と主張しながら、ひそかにそんな時間を楽しみにしているとは我ながら矛盾である。