企業の「本源的価値」を巡る三大革命(3)
前回のあらすじ
配当割引モデル(DDM)をベースとしつつ、会計の人間的・総合的側面を重視したフロー型アプローチで企業の「相対的な真実」を描き出すそれまでの企業「価値観」に対し、20世紀に急速に発展したファイナンス理論が描こうとした価値観は、科学的・客観的側面を重視したストック型アプローチに基づく公正価値評価という「絶対的な真実」であった。会計の恣意性を排除しDDMの根底を揺さぶるファイナンス理論は、非現実的な仮定がもたらす脆弱性を抱えており、論争は混迷を極める。企業の「本源的価値」という概念を、我々はどのように理解すればよいのだろうか?前回はこちら。
DDMへの試練
Modigliani-Millerの配当無関連命題
前回概観したファイナンス理論のうち、DDMに痛烈な批判を突き付けた配当無関連命題について、その意味するところを補足しよう。
企業が株主に利益を還元することをペイアウトと言い、主要な手段は配当金の支払と自己株式の取得である。いま、投資と配当にそれぞれいくら使うべきかという問題に直面する企業を考え、以下の通り変数を定義する。
$${X_t}$$:$${t}$$期中の事業からのキャッシュ・フロー
$${d_t}$$:$${t}$$期の1株当たり配当額
$${I_t}$$:$${t}$$期の投資額
$${N_{t-1}}$$:$${t-1}$$期末の発行済み株式数
$${V_{t-1}}$$:$${t-1}$$期末の株式価値
$${N_{1, t}}$$:$${t}$$期の新株発行数
$${N_{2, t}}$$:$${t}$$期の自己株式取得
$${p_{1, t}}$$:$${t}$$期の新株発行価格
$${p_{2, t}}$$:$${t}$$期の自己株式取得価格
$${D_t=N_{t-1}d_t}$$:$${t}$$期の支払配当金の総額
$${\Delta N_t=N_{1, t}-N_{2, t}}$$:新株発行と自己株式取得の差(流通株式数が増えれば$${\Delta N_t>0}$$)
$${t}$$期中の金融資産の売買や負債発行、利払いはないものとする。企業の新株発行または自己株式取得は$${t}$$期末の直前に価格$${p_t=p_{1, t}=p_{2, t}}$$で行われるとし、配当支払いはこれらの株式数変動前に実施されるとする。ここで、企業のキャッシュ・インフローは事業のキャッシュ・フローと新株発行による調達額、キャッシュ・アウトフローは投資とペイアウト(=配当と自己株式取得)となるため、予算制約式は以下の通り表せる。
$${X_t+p_tN_{1, t}=I_t+D_t+p_tN_{2, t}}$$
事業キャッシュ・フローと投資額を所与とすれば、企業は投資を賄うため、①減配する、②自己株式取得を減らす、③新株発行を行う、のいずれかを選択することになる(ここでは簡単のため、会社法などの株主還元の上限規制には抵触しないものとする)。このことを表現するため上式を整理すると、
となる。一方、$${t-1}$$期末の株価は$${p_{t-1}=\dfrac{V_{t-1}}{N_{t-1}}}$$、$${t}$$期末の株価は$${p_t=\dfrac{V_{t}}{N_{t-1}+\Delta N_t}}$$より、この株式を保有した時の収益率$${r}$$は以下の通り表せる。
予算制約式と株式保有の収益率から、自己株式取得額$${p_t\Delta N_t}$$を消去し整理することで、以下のModigliani-Millerの配当無関連命題を得る。
MM命題は経済学とファイナンス理論を結び付けた研究であり、ファイナンス史上で最も画期的な論文として知られるのは前回の通りである。MM命題からは論理的な帰結として、株価と配当政策は無関係であるという「配当無関連命題」が導き出されるが、その示唆はDDMの妥当性に衝撃を与えた。
MM命題自体は高度に理想化された議論であるため、実際には配当と株価は無関係でないように見える。前々回に議論した価値関連性研究におけるイベントスタディ的な立場では、増配時には株価が上昇、減配時には株価が下落する報告がなされている(石田『配当政策の実証分析』(2007)など)。そのため、MM命題を実証的に正当化することは難しい。
しかしDDMは配当とそれ以外の会計的概念を結び付ける手立てをモデルには内包していないという弱点があり、MM命題はそのロジックの欠損を指摘したという意味では、DDMの本質的な欠陥を指摘したことには変わりがない。
例えば、DDMによればある期の増配は株式価値の増大に結びつく。しかし配当無関連命題から考えると、ある期の増配はそれ以降の期での減配を招き、差し引きで価値上昇効果がゼロになることを要請している。この影響をDDMでは適切にシミュレーションすることが困難なのである。
PER投資の隆盛
MM命題の発表と前後し、「DDM離れ」は投資実務の世界でも始まった。投資実務からの疑問は「株式価値としてDDMで予測される値が本当に正しいのか」という点である。企業を「配当を払い続けるゴーイング・コンサーンとしての主体」と捉えればDDMと整合的に映るが、20世紀に入り企業が合併や経営不振による倒産などにより、途中で消滅することが珍しくなくなった。
かくして投資家の視点で、企業を「配当を提供する主体」とは別のものとして見るようになっていく。その代表的指標としてPER(Price Earnings Ratio)が挙げられる。いま配当の定成長を仮定したDDMにおいて、配当$${d}$$を当期利益$${X}$$と配当性向$${k}$$の積$${Xk}$$で表現すると、
$${P=\dfrac{d}{r-g}=\dfrac{Xk}{r-g}⇔\dfrac{P}{X}=\dfrac{k}{r-g}}$$
が成り立つ。PER:$${P/X}$$をDDMの発展形としてみた場合、上式より配当性向$${k}$$が大きいほど、期待収益率$${r}$$が小さいほど、配当成長率$${g}$$が大きいほど、PERは大きくなる。投資家の視点では当期利益は最終的に全て残余利益の請求権者である株主に帰属すると考えられることから$${k=1}$$、更に配当のゼロ成長($${g=0}$$)を仮定すると$${\dfrac{P}{X}=\dfrac{1}{r}}$$、つまりこの時「PER=株価÷1株当たり当期純利益(EPS)は、株主資本コストの逆数に等しい」と考えられる。
1960年以降の投資実務上では、PERは投資において最も重要な指標となったとされる。かつて「砂上の楼閣」派のKeynesが株式投資の本質として例えた「美人投票」において、PERはその「美しさ」を示す指標として、今でも類似企業比較法の中で不動の地位を維持している。PERは現在では独り歩きし、DDMとは完全に別物に切り離され、バリュエーションモデルとしての内容を失っている側面もある。また、MM命題の批判に対してもDDM同様回答がある訳ではない点も依然課題として残っている。
DDMと会計理論の結合による「復権」
DDMの欠陥として会計理論的な構造を欠いている点は広く認められているが、この欠点を補う研究はMM命題と同時期にも行われている。最も早い時期の研究は、1961年にEdgar EdwardsとPhilip Bellが提案した「クリーン・サープラス関係(Clean Surplus Relation; CSR)」の導入である。クリーン・サープラス関係とは、資本取引である増資・減資・配当以外の要因によって会計上の自己資本が直接増減しないこと、つまり資本取引以外の取引から生じる自己資本の増減が利益と一致する関係を言う。増資・減資を行わない企業の$${t}$$期の自己資本を$${b_t}$$、当期利益を$${x_t}$$、配当を$${d_t}$$とする時、クリーン・サープラス関係は以下のように定式化される。
現在の会計基準では、日本基準における損益計算書上の「親会社株主に帰属する当期純利益」と貸借対照表上の「株主資本」、国際会計基準における「包括利益」と「純資産」の間には、CSRが成立している。以下ではCSRを導入したDDMを考えるが、まず$${t}$$期時点のDDMによる株式価値を、それ以降の$${\tau}$$期後($${\tau=1, 2, \cdots}$$)の将来配当の期待値$${E_t[\tilde{d}_{t+\tau}]}$$と株価収益率$${r}$$を用いて厳密に定式化する(Tilde付きの文字は確率変数を表す)。
このDDMにCSRを代入し、代数上の変形を施して整理し、以下の式を得る。
$${P_t=\dfrac{E_t[b_t+\tilde{x}_{t+1}-\tilde{b}_{t+1}]}{1+r}+\dfrac{E_t[b_{t+1}+\tilde{x}_{t+2}-\tilde{b}_{t+2}]}{(1+r)^2}\\+\cdots \\+\dfrac{E_t[b_{t+\tau-1}+\tilde{x}_{t+\tau}-\tilde{b}_{t+\tau}]}{(1+r)^{\tau}}+\dfrac{E_t[b_{t+\tau}+\tilde{x}_{t+\tau+1}-\tilde{b}_{t+\tau+1}]}{(1+r)^{\tau+1}}\\+\cdots \\=b_t+\dfrac{E_t[\tilde{x}_{t+1}-r{b}_t]}{1+r}+\dfrac{E_t[\tilde{x}_{t+2}-r\tilde{b}_{t+1}]}{(1+r)^2}\\+\cdots\\+\dfrac{E_t[\tilde{x}_{t+\tau}-r\tilde{b}_{t+\tau-1}]}{(1+r)^\tau}+\dfrac{E_t[\tilde{x}_{t+\tau+1}-r\tilde{b}_{t+\tau}]}{(1+r)^{\tau+1}}\\+\cdots\\=b_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^{∞}\dfrac{E_t[\tilde{x}_{t+\tau}-r\tilde{b}_{t+\tau-1}]}{(1+r)^\tau}}$$
CSRの定義式より資本は利益の増加関数であるが、その増加率$${E_t[\tilde x_{t+1}]/b_t}$$(株主帰属利益と株主資本の関係に着目すればROEに等しい)の決定は、代替的な投資収益率(機会費用)との競合問題により制約される。投資家の期待収益率$${r}$$をその下限とする時、資本から生み出されるべき利益を上回る分の利益として、以下の残余利益(又は超過利益)$${\tilde{x}_t^a}$$を定義する。
上式より、DDMはCSRと残余利益を用いて以下の通り表せる。このモデルを残余利益モデル(Residual Income Model; RIM)と言い、株式価値が「直近$${t}$$期に既に判明している株主資本簿価と、将来の残余利益の期待値の割引現在価値の総和に等しい」ことを主張している。
第三の革命:RIMが意味するもの
企業が保有する全ての資産及び負債を公正価値で評価し、その合計となる総資産が企業価値を示すようにすることが、ファイナンス理論による会計支配の究極の目的であった。これは、ストックの側面から企業価値を捉える考え方であり、この前提に立てば貸借対照表は単独でも投資家にとっての有用情報となる。しかし、複式簿記による記録を基礎として、企業の財政状態を示す貸借対照表と経営成績を示す損益計算書が、有機的な連携を持って作成されることが会計の基本的な枠組みである点を考慮すると、ファイナンス理論の「貸借対照表への過度な偏重」路線は無理があるようにも映る。
総資産が企業価値を示すようにするには、資産や負債の評価には、市場で直接観察可能な価格や資本資産価格モデル(CAPM)を用いて算出された公正価値が分かれば十分とされる。しかしRIMは、貸借対照表だけでなく、損益計算書項目にも基づくものとして注目を集めることとなった。
「会計の恣意性」に対する回答
RIMは貸借対照表項目と損益計算書項目から構成されるため、CSRが維持されている限り、どのような会計処理方針が採用されようとも、その有効性は変わらないことが認められる。
例えば、当期の利益が過大に計上されるような会計方針が選択されたとしても、当期末の株主資本も課題に計上される結果、翌期以降の資本コスト額が押し上げられ、結果として残余利益は減少する。将来の残余利益の減少は、当期末の株主資本の増大と相殺され、企業価値に影響を与えない。
このことは、従来の会計の弱点と考えられてきた経営者の恣意による利益などの操作可能性に対しても、それは単に期間帰属の相違をもたらすにすぎず、企業価値評価は会計数値に基づき適切に行いうることを明らかにした。
伝統的な会計理論の発想である「フローがストックを規定する関係」を否定することなく、的確な企業価値評価を遂行し得るのであれば、ストック中心の会計の在り方への大幅な転換を是とする根拠も希薄化する可能性がある。
この点に関し伝統的な立場からは「時価ベース簿価の方が原価ベース簿価よりも企業価値に近いという理由で、時価の変動差額を当期利益と考えることは、企業価値評価における因果のパス、つまりフローとストックの規定関係を逆転して捉える思考と言わざるを得ない」との指摘もある。もっとも、ここで議論が留まるようであれば、企業価値に近いと考えられる時価ベースを差し置いて原価ベース簿価を積極的に採用する理由にも乏しいように映る。
時価ベース評価の弱点は、ストックの側面から企業価値を評価しようとした時、公正価値のボラティリティの高さが、かえって的確な評価を妨げる可能性を否定できない点である。この点についてもRIMは、経営者の意図又は意向という主観的情報に長期的には影響を受けない形での企業価値評価を可能にする一方、主観的会計問題を回避するために市場価格という客観的情報の外挿に依存する公正価値会計が短期的に認識した企業価値が、そのボラティリティの高さによって、株主にとり有益な長期価値を測定できているか疑問視する見方もある。
かくしてRIMは、伝統的会計の弱点であった恣意性問題を、CSR導入により市場原理に基づく公正価値会計に頼ることなく克服する鍵を得たのである。
「MM命題」に対する回答
DDMにおいては配当額を増やす程企業価値は増大する。しかしそこには支払配当金に対する制約が何もないため、MM命題に対して有効な反論ができなかったことはここまでの議論の通りである。PERは基本的に配当を考えない形で成立しており、配当は株価に影響を与えない。
RIMでは配当額の影響は明示的に表れていない。しかし増配すれば留保利益$${\tilde x_t-\tilde d_t}$$が減少するため、来期の株主資本の増額幅は減少し、株主資本の蓄積過程が緩やかになる。その結果として資本コスト額$${r\tilde b_t}$$が減少するため残余利益は上昇し、企業価値は増大する。そして配当額を決めるのはROE:$${\tilde x_t/\tilde b_{t-1}}$$の水準となる。
従ってRIMをそのまま適用する限り、一般にはMM命題とは不整合との結果となる。しかし、RIMに追加的な仮定を置くことでMM命題に整合的な結論を導くモデルや、MM命題とは不整合だが利益を基準とした配当額の目安を提示するモデルなど、MM命題を内包しつつ、時にその枠組みを超えて投資家行動を説明し得るモデルが開発されている。次回以降、これらモデルの発展過程を詳述したい。
このようにRIMを用いてMM命題との整合性も踏まえたモデル開発の議論が活発化しており、更なる企業価値への理解促進が期待される。
革命の名は…
かくしてRIMは、①フロー視点とストック視点を兼ね備える点、②伝統的会計の弱点であった恣意性問題をクリアできる点、③時価評価特有のボラティリティを回避できる点、④MM命題と整合的なモデルへも拡張可能な点、等の数々の特徴を有することから、「相対的な真実」と「絶対的な真実」を統合するモデルとして、理論・実務の両面で注目を集めている。実際にRIMから導き出される数々の経済的含意は我々に重要な示唆を与えるが、この点の議論は次回以降に譲る。
そんなRIMは、企業の本源的価値の源泉が「その企業が長期平均的に稼ぎ出す利益が、資本から本来産み出されるべき利益を超過した分の付加価値である」と主張する。このRIMによる現在進行形の「本源的価値」探訪の行方に期待を込めて、第三の革命:付加価値革命と名付けたい。
企業価値評価:序章のむすびにかえて
以上で「企業価値評価」連載シリーズの序章を終え、次回以降はRIMベースの企業価値評価を更に深く考察していく予定である。序章のむすびにかえて、ここまでの企業の「本源的価値」を巡る3つの革命を整理しよう。
現在価値革命(1938~)
1938年にWilliamsが企業の本源的価値の公式「配当割引モデル(DDM)」を史上初めて提示した。DDMでは価値のよりどころを将来配当に求め、投資家の期待収益率で割り引くことで現在価値を導くため、損益会計が企業価値評価に本質的意味を持つようになった。同時にそれは、会計情報と不可分な歴史的文脈や作成者の意図が盛り込まれた収益・費用アプローチにより求められる企業の本源的価値が、経営者の恣意性を孕んだ「相対的な真実」を映し出すものだという企業「価値観」を我々に提示した。公正価値革命(1950s~)
1950年代以降、高度に洗練された科学的手法に基づくファイナンス理論が発展を遂げた。その特徴は市場原理に基づく公正価値評価が、企業の本源的価値を映す客観的かつ唯一の「絶対的な真実」とする考え方にある。恣意性を廃すべく会計の主役を原価から時価へ、フローからストックへと180度転換させ、MM命題がDDMに深刻な批判を突き付けた。一方、伝統的会計の立場からは、完全に理想化された前提に全面依拠するファイナンス理論の脆弱性や、会計の利害調整機能軽視に対する課題が指摘された。付加価値革命(1960s~)
1960年代以降、DDMにクリーン・サープラス関係(CSR)を適用した残余利益モデル(RIM)が提案された。RIMではフローとストックが併存し、本源的価値の源泉を「長期的に稼ぎ出す利益が、資本から生み出されるべき利益を超過した付加価値」と定義する。CSRが維持されている限り会計処理方針の変更が企業価値に影響を与えず、時価評価特有のボラティリティも回避可能である。更に追加的な仮定を設けることでMM命題とも整合的なモデルを開発可能なことから、理論・実務の両面で注目を集めている。
付加価値革命は果たして本当に「革命」と呼べるのか、次回以降でそのポテンシャルの片鱗を垣間見ることにしよう。次回へ続く。