企業価値評価:Ohlson[1995]モデル(1)
前回は残余利益モデル(RIM)の理論的バックグラウンドと実務的な優位性についてまとめた。今回と次回でOhlson[1995]が導いたRIMの発展的なモデルを取り上げ、MM命題との関係、更にOhlson[1995]モデルが想定する経済学的な世界観や企業「価値観」に対する理解を深める。前回はこちら。
残余利益モデル(RIM)は、1961年にEdgar EdwardsとPhilip Bellによって提案されたが、発表された1960年代では、まだ会計に資本コストの概念を持ち込むには時期尚早であり、一般的なモデルにはならなかった。
また当時、RIMの安定性にも疑義が呈された。単純な債券価格やDDMと異なり、残余利益の将来流列が数列として収束するか否かの議論である。この議論は長らく放置されてきたが、Ohlson[1995]やPennman[1997]によって、「自己資本が無限に成長することは無い」という経済的に無理のない仮定を置くことで解消した。特にRIMを扱う上で問題視されていた安定性の議論に終止符を打ったJames Ohlsonの功績は大きく、RIMの実務・理論双方での普及にあたり大きな役割を果たした。そのためRIMは一部でEdward-Bell-Ohlson (EBO)モデルとも呼ばれている。
Ohlson[1995]モデル
線形情報ダイナミクス
RIMを確立したOhlsonは、さらに画期的なモデルの開発を試みた。Ohlsonの業績はRIMをベースにした様々な派生モデルの開発や意思決定問題への応用への貢献で知られるが、今回中心的に取り上げるのは、その中でも最初期に提案されたOhlson[1995]モデルである。Ohlson[1995]はRIMを現在情報のみから再構成したモデルであり、その中核的なコンセプトとして線形情報ダイナミクス(LID; Linear Information Dynamics)が導入されている。LIDは残余利益の成長を線形の自己回帰過程により表現しており、特徴的なのは1期先の残余利益$${\tilde x_{t+1}^a}$$を当期の残余利益$${x_t^a}$$と「現在の株価には反映されているが、現在の財務情報には未だ記載されていない残余利益に影響を及ぼす情報」である「その他の情報$${\nu_t}$$」の関数としている点である。
但し、回帰係数$${\omega_{11}, \gamma}$$は定数、$${\varepsilon_{1, t+1}, \varepsilon_{2, t+1}}$$は期待値ゼロの誤差項である。「その他の情報」を何で代理するかは自明ではないが、Myers [1999]では将来の残余利益を生み出す源泉として受注残高を、Ohlson [2001]やDechow et al. [1999]では1期先のアナリスト予想を採用している。
回帰係数はそれぞれ$${0≤\omega_{11}<1, 0≤\gamma<1}$$とされているが、日本企業を調査対象とした太田[2000]と中條[2003]によれば、平均的な$${\omega_{11}}$$は$${0.7-0.8}$$程度と推定されているようである。$${\omega_{11}}$$は1未満のため、期を重ねる毎に$${\tilde x_{t+1}^a}$$は減衰していくが、残余利益は「その他の情報$${\tilde \nu_{t+1}}$$」からも正の影響を受け、また「その他の情報」も自己回帰プロセスにより時間の経過とともに減衰していく。LIDは、一度生じた「その他の情報」は当期だけでなく翌期以降の残余利益に対しても「その他の情報」の自己回帰式を通して残余利益に影響を与えることを示している。
これらの仮定により残余利益はやがてゼロに収束し、理論株価を定義することができる。経済学的な含意としては、企業間競争により長期的には残余利益がゼロに収束する状況が仮定されており、市場の競争的側面をある程度捉えていると考えられる。
誤差項の期待値がゼロである点に注意し、LIDをRIMに逐次代入し整理することで、Ohlson[1995]モデルを導くことができる。
$${P_t=b_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^∞\dfrac{E_t[\tilde x_{t+\tau}^a]}{(1+r)^{\tau}}=b_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^∞ \dfrac{1}{(1+r)^{\tau}}\bigg(\omega_{11}^{\tau}x_t+\dfrac{\omega_{11}^{\tau}-\gamma^{\tau}}{\omega_{11}-\gamma}\nu_t\bigg)}$$
$${=b_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}x_t^a+\dfrac{1+r}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\gamma)}\nu_t}$$
ここで、$${k \equiv \dfrac{r\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}}$$と定義すると、上式は以下の通り変形できる。
$${0≤k<1}$$より、この式は株価が株主資本と配当控除後の資本化された利益の加重平均に「その他の情報」を加えた形で表現できることを表している。
Ohlson[1995]モデルはDDMやRIMと異なり、企業価値の算出において将来情報を必要とせず、全て当期の情報のみを用いる。但しその中に次期以降の残余利益創出に寄与する「その他の情報」の概念が含まれている。
Ohlson[1995]モデルに類似した先行研究は多いが、それらは基本的には株主資本と当期利益のみを独立変数とした回帰モデルに基づいている(薄井[2003]、薄井[2005]など)。しかしOhlson[1995]モデルが主張するように「その他の情報」が実在するのであれば、株主資本と当期利益で作成されたモデルでは推定される結果にバイアスが生じ、企業価値と株主資本簿価の差異がゼロに収束しないことになる。もっとも、そのバイアスを確認する上では「その他の情報」を特定する必要があるが、定義から特定が難しいという問題をこのモデルは抱えている。
MM配当無関連命題とOhlson[1995]モデル
ここで、DDMやRIMが長らく頭を悩ませてきた、Modigliani-Millerの配当無関連命題(MM命題)とOhlson[1995]モデルの関係についてまとめよう。前回までの議論の通り、MM命題によれば、配当政策は株価に影響を与えない。
この問題を考察するにあたり、モデルの各変数と配当との関係を整理する。
$${\dfrac{\partial x_t}{\partial d_t}=0}$$:当期の配当は当期利益の確定後に支払われるため、配当は当期利益には影響を与えない
$${\dfrac{\partial b_t}{\partial d_t}=-1}$$:上式とクリーン・サープラス関係(CSR):$${b_t=b_{t-1}+x_t-d_t}$$より明らか
$${\dfrac{\partial \nu_t}{\partial d_t}=0}$$:「その他の情報」は配当には依存しないと仮定する
つまり、配当は実施分と同額だけ当期の株主資本を減少させるが、当期利益と「その他の情報」には影響を与えない。この時Ohlson[1995]モデルの両辺を配当で微分すると、
$${\dfrac{\partial P_t}{\partial d_t}=(1-k)\dfrac{\partial b_t}{\partial d_t}+k\bigg(\dfrac{1+r}{r}\dfrac{\partial x_t}{\partial d_t}-\dfrac{\partial d_t}{\partial d_t}\bigg)+\dfrac{1+r}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\gamma)}\dfrac{\partial \nu_t}{\partial d_t}}$$
$${=-1+k+k(0-1)=-1}$$
従って、Ohlson[1995]モデルでは1円の増配が株価を1円だけ押し下げるため、配当政策が投資価値(=株式価値+配当金)に影響を与えない。投資家の視点では、常に投資価値が一定となるため、MM命題に整合的な結論となる。
MM配当無関連命題が提示された1961年から34年後の1995年に、遂にOhlsonによりRIMを基礎としつつMM命題とも整合的なモデルの導出に成功した。
ここまでの議論の通り、MM命題との整合性の本質は「CSRとLIDを仮定すること」であり、その経済的含意は「企業の超過収益力の源泉を『独占による超過利潤』と見なし、短期的には持続するが、長期的には競争原理が働きゼロになる」と仮定することにある。
ところで、MM命題と整合的な$${\dfrac{\partial P_t}{\partial d_t}=-1}$$を満たすモデルは、Ohlson[1995]モデルだけだろうか。換言すれば、株価と会計情報の価値関連性を考える際に、必ずOhlson[1995]モデルを経由する必要があるだろうか。前回の議論の通り、Ohlson[1995]モデルのベースとなるRIMにはターミナル・バリューへの低依存性や推定の容易さといった数々の優れた実務的特徴があるものの、株主資本の大きさが将来の配当政策に依存する以上、RIMも不確実性の制約は免れない。その意味で、RIMやOhlson[1995]モデルへの過度な依存はあまり根拠を持たない、という見方もできる。以下では、RIMのみならず、割引キャッシュ・フローモデル(DCF)においてもMM命題と整合的なモデルを構築し得るか検討する。
Ohlson[1995]モデルは唯一解か?
まず、Ohlson[1995]モデルの形式:
を導く上で必要条件となるのは、RIMだけであるかを考える。Feltham and Ohlson[1996]に即して、ここでは将来キャッシュ・フロー予想に線形性を導入する。MM命題と整合的な$${\dfrac{\partial P_t}{\partial d_t}=-1}$$を前提とすれば、配当か内部留保かという選択は、投資価値の評価にとって無差別である。そうであれば、配当ではなくその原資となるキャッシュ・フローそのものに焦点を合わせても結果は同じはずである。例えば将来キャッシュ・フローが以下のLIDに従って変化すると仮定する。
$${\tilde{cr}_{t+1}=\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_t+\tilde\varepsilon_{3, t+1}}$$
$${\tilde{ci}_{t+1}=\omega_{22}ci_t+\tilde\varepsilon_{4, t+1}}$$
但し$${0≤\omega_{11}<1, 0<\omega_{12}, 1≤\omega_{22}<1+r}$$であり、営業活動による1期先の現金収入$${\tilde{cr}_{t+1}}$$が、現在の収入$${cr_{t}}$$と投資支出$${ci_t}$$の関数として表される。また$${0≤\omega_{11}<1}$$のため現金収入は一定速度で減衰する。
一方、企業価値は企業が現在所有する金融資産$${fa_t}$$と営業活動から期待される将来の純現預金収入$${c_t=cr_t-ci_t}$$を基に、以下のように決まる。
$${P_t=fa_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^∞ \dfrac{E_t[\tilde c_{t+\tau}]}{(1+r)^{\tau}}}$$
CSRより、金融資産は利息と純現金収入により増加し、配当によって減少するため、
$${fa_{t}=fa_{t-1}+r\cdot fa_{t-1}+c_t-d_t}$$
である。この関係をDDMに繰り返し代入することで上記の企業価値公式が求まる。なお、事業に期待される収益率$${r}$$の金融投資への適用可否については議論を要するが、ここでは適用可能として議論を進める。
いま、1単位の投資は翌期$${\omega_{12}}$$の現金収入を生み出し、その収入は期を経る毎に$${\omega_{11}\omega_{12}, \omega_{11}^2\omega_{12}, \omega_{11}^3\omega_{12},\cdots}$$と毎期流入する。その現在価値の総和は、
$${\dfrac{\omega_{12}}{1+r}+\dfrac{\omega_{11}\omega_{12}}{(1+r)^2}+\dfrac{\omega_{11}^2\omega_{12}}{(1+r)^3}+\cdots=\dfrac{\omega_{12}}{1+r-\omega_{11}}}$$
であり、$${NPV=0}$$とすれば、$${\dfrac{\omega_{12}}{1+r-\omega_{11}}-1=0 ⇔ \omega_{11}+\omega_{12}=1+r}$$となる。上記の企業価値公式にLIDと$${NPV=0}$$を代入すれば、
$${P_t=fa_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^∞ \dfrac{E_t[\tilde c_{t+\tau}]}{(1+r)^{\tau}}}$$
$${=fa_t+\dfrac{\omega_{12}}{1+r-\omega_{11}}+\bigg\{-\dfrac{\omega_{22}}{1+r}+\dfrac{\omega_{11}}{1+r}\bigg(1+\dfrac{\omega_{12}}{1+r}+\dfrac{\omega_{12}^2}{1+r}+\cdots\bigg)\bigg\}\\\bigg(1+\dfrac{\omega_{22}}{1+r}+\dfrac{\omega_{22}^2}{1+r}+\cdots\bigg)ci_t}$$
$${=fa_t+\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}(\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_t)+\dfrac{\{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)\}\omega_{22}}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}ci_t}$$
$${=fa_t+\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}(\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_t)}$$
と表せる。ところで、営業資産の簿価を$${oa_t}$$、毎期の減価が経済的減価$${\omega_{11}}$$に等しいと仮定すれば、$${oa_t=\omega_{11}oa_{t-1}+ci_t}$$、また利益と現金収入の関係を$${x_t=cr_t-(1-\omega_{11})oa_t}$$、残余利益と現金収入の関係を$${x_t^a=cr_t-(1-\omega_{11})oa_t-r\cdot oa_{t-1}}$$と表せることに注意すれば、上式の右辺第二項は、
$${\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}\{\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_{t}\}}$$
$${=\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}\{\omega_{11}cr_t+(1+r-\omega_{11})ci_{t}\}}$$
$${=ci_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}cr_t}$$
$${=\omega_{11}oa_{t-1}+ci_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}\{cr_t-(1+r-\omega_{11})oa_{t-1}\}}$$
$${=oa_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}\{cr_t-(1-\omega_{11})oa_{t-1}-r\cdot oa_{t-1}\}}$$
$${=oa_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}x_t^a}$$
と変形できる。ここで、$${b_t=oa_t+fa_t}$$より、
$${P_t=fa_t+\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}(\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_{t})}$$
$${=fa_t+oa_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}x_t^a}$$
$${=b_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}x_t^a}$$
となる。この等式は「その他の情報$${\nu_t}$$」の影響を捨象している点を除けば、以下のDCFにLIDを適用した以下の式
が、Ohlson[1995]モデルと同値であることを示している。株価のインプットとなる情報の数も、DCFでは$${\{ci_0, ci_t, cr_t\}_{t≥1}}$$、Ohlson[1995]モデルは$${\{b_0, b_t, x_t\}_{t≥1}}$$と両者で等しく、かつ互いを含意しない点で株価に写像される情報量は同じであり、両者は前提条件としても等価であると見て良い。
以上より、一定の仮定の下ではMM命題と整合的なOhlson[1995]モデルに対し、それと等価なDCFモデルを構築することが可能であると分かった。従って、RIM自体は企業価値評価モデルの構築において必要条件ではないため、Ohlson[1995]モデルの有用性は、RIM由来の実務的な優位性にも一定程度根拠を求める必要があろう。
またDCFの議論から明らかなように、長期的に残余利益がゼロに収束しバイアスが消失する($${\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde P_{t+\tau}]=E_t[\tilde b_{t+\tau}]}$$)ことと、平均的な投資機会の正味現在価値がゼロ($${NPV=0}$$)であることは同値である。しかし一般にはNPVが正の投資機会を当然想定可能であり、その存在をどう考慮するかという課題も依然残っている。
次回はこのような追加的な論点についても理解を深めながら、Ohlson[1995]モデルが想定する企業「価値観」がどのようなものかを結論付ける。
次回へ続く。