【思い出】KOBEの記憶に雪が降る④
「KOBEって、神戸か⁉」
それまでほとんどしゃべらなかったお客様の、発する声の”質”が明らかに変わったのが分かった。
かと言って声量が大きくなるわけでもなく、明かりの少なくなったロビーに響かないように。驚いていても周りに迷惑をかけまいと、その気遣いが嬉しかった。
周りに迷惑をかける人なんかいないのに。そのお客様は深夜の時間を知っているのだ。
ただ、驚いているのはぼくも同じだ。こんなに驚いてくれるなんて思わなかったから。
それでも自分の作ったカクテルが、凍っていたような時間を少しだけ溶かしたように思えて、このお客様の来店からようやく一息付けたような気がした。
一安心すると、不思議と舌も回ってくるものだ。
はい、兵庫県神戸市の”KOBE"といいます。
「そんな名前のカクテルがあるんか…知らんかった」。
これは、昔からあるようなカクテルではなくて、全国からの応募の中から生まれたカクテルなんですよ。
「応募?」
はい、応募というのは、日本バーテンダー協会に神戸支部がありまして。3年前の阪神大震災から神戸が立ち上がったことを知ってもらうためコンクールを開いたそうです。全国から創作カクテルを募集し、集まったのは489点とか。この中から選ばれたレシピでお作りしたのが、このカクテルです。
もう3年… 早いですよね。ぼくは当時高校3年、テレビから流れる惨状に朝ご飯を食べるのも忘れ、くぎ付けになっていたのを覚えています。高速道路が根っこから倒れたあの光景は、一生忘れないでしょうね。でも、たった3年というのもあります。あえて全国から募集したというのも、気概を感じますよね。まるで、神戸の力強さを象徴しているようなカクテルですよね…。
カウンターのお客様はぼくの話にうん、うん、へぇーと頷きながら、グラスに口を付けていった。時間の流れは穏やかになったが、窓を打ち付ける風は水分を多く含んだ雪をまとい、ひたひた音を鳴らすようになってきた。
うん。
喜んでもらえたようで何より。一時はどうなるかと思ったけど、最後の一杯で取り返せたかな。
少しだけの達成感を胸に仕舞いながら、片づけを再開しようとしたとき、カラン、とグラスが空いた音がした。
お会計かな、とお客様に目をやると、何かがおかしい。下を向き、目を左手で隠しながら小刻みに震えている。
お客様は、嗚咽していた。
泣いていたのだ。
吹雪はやがて音を鳴らしはじめ、窓の曇りもやはどんどん増していった。
「お客様!どうかなさいましたか!?」
続く。