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推し活の「推し」を考えてみた

あなたには好きな本や楽曲はありますか。私にはあります。
小説では、ハリーポッターシリーズや探偵もので浅見光彦シリーズも好きです。漫画ではI’s、最近は彼女、お借りします。ジョジョの奇妙な冒険、ドラゴンボール、北斗の拳、ベルセルクなどなど
音楽では、桑田佳祐、最近ヘビロテだった宮本浩次、中学生のころはポルノグラフィティとかも聴いてました。カラオケとかで友達が唄っていた唄もいいなと思ったのは本当に聴いていて、結構充足しておりました。

そうなんです。充足するんですよね、そういうものは。
だから、人並みの充足や好きは経験してきたつもりです。


本当に充足させてくれるもの

そうやって、観たり聴いたりしていたものの何が自分を充足させていたのかを考えた時、好きだから好きとして自分の中で消化してたんですが、どうにかこうにか明文化したいと、ずっとどこかで明文化できないかとアンテナを張っておりましたが、やっとここでちゃんと説明できる段取りができたので説明させていただきますぅ(西尾さん)

物語です。

上記のコンテンツには私に刺さる物語があったのです。具体的にどんな?と言ったらキリがないのでここでは控えますが。少し言い方を変えて、まとめたものは次に紹介します。兎に角、物語が私を充足させてました。

ちなみに物語が刺さる理由については、下記でGeminiと話しましたので参考にどうぞ


ワオ:人が物語に惹かれる理由って何かな?って考えたんです

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Gemini:人が物語に惹かれる理由、とても興味深いですね。様々な角度から考えられますが、いくつか代表的な理由を挙げさせていただきます。共感と感情移入: 物語を通して、登場人物の喜び、悲しみ、怒りといった感情を共有し、自分自身の経験と重ね合わせることで、共感や感動を覚えることができます。
逃避と癒し: 現実世界から離れ、物語の世界に没頭することで、ストレスを解消したり、心を癒やしたりすることができます。
学びと成長: 物語から教訓を得たり、新しい知識や価値観に触れることで、自己成長のきっかけとなることがあります。
想像力の刺激: 物語の世界は、現実には存在しないような場所や出来事で溢れています。それらの想像力を掻き立てられることで、創造性を育むことができます。
人間関係の理解: 物語を通して、様々な人間関係に触れることで、自分自身や他者への理解を深めることができます。


これらの理由以外にも、人それぞれが物語に惹かれる理由は様々です。例えば、特定のジャンルが好き: ファンタジー、ミステリー、恋愛小説など、自分が好きなジャンルに没頭することで、より大きな楽しさを感じることができます。
作者の表現力に魅せられる: 作者の言葉選びやストーリーテリングの巧みさに感動し、物語の世界観に引き込まれることがあります。
記憶に残るキャラクターとの出会い: 物語に登場するキャラクターに感情移入し、そのキャラクターの成長や活躍を応援したくなることがあります。


あなたは、どのような物語に惹かれますか? 話してもらえると、よりあなたにとっての物語の魅力について深く掘り下げることができます。



ワオ:さすがGeminiさん、理由を色々と挙げられる。まさにそうだと思います。その中でより重要だと思ってるのが慈愛や慈悲への共感だと思うのです。理由を聞きたいですか?

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Gemini:はい、ぜひお聞かせください。慈愛や慈悲への共感が、物語に惹かれる理由としてより重要だとお考えとのこと、大変興味深く思います。その理由を詳しく教えていただけると、より深く物語の魅力について理解できると思います。

例えば、慈愛や慈悲がどのように物語に表現されているのか
なぜ他の要素よりも慈愛や慈悲に共感するのか
慈愛や慈悲への共感が、どのような感情や行動に繋がるのか


など、具体的に教えていただけると嬉しいです。

私も、物語の中で描かれる登場人物たちの慈愛や慈悲深い行動に感動したり、共感したりすることがよくあります。あなたの考えを聞くことで、私自身も物語に対する理解を深めたいと考えています。



ワオ:慈悲一つとっても自利利他に別れます。自利、自分を慈しむこと、これは自分のために行う事全てそうです。利他は他者や他の事に慈しむ行為。誰かの為に行う事に共感します。

これこそが千差万別に刺さる物語の構造ではないかと思うのです

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Gemini:慈愛と共感:物語を動かす普遍的な力

大変興味深い視点ですね。慈愛という感情を、自利と利他という二つの側面から捉え、それが物語の普遍的な魅力につながるとお考えとのこと、深く共感します。

ご指摘のように、慈愛は自己を慈しむ「自利」と、他者を慈しむ「利他」という、一見対立するように思える二つの側面を持っています。しかし、物語においては、この両者が複雑に絡み合い、深みのある物語を生み出します。

自利と利他の共存が描く人間ドラマ自己成長の物語: 主人公が自己を慈しみ、自己実現を目指していく物語は、読者に共感と希望を与えます。同時に、その過程で他者との関わりの中で成長していく姿は、利他的な側面も映し出します。
他者との絆を描く物語: 家族愛、友情、恋愛など、他者との絆を描く物語は、読者に温かい気持ちを与えます。しかし、その絆を深めるためには、自己を犠牲にすることや、相手への理解を深める努力など、自利と利他のバランスが重要になります。
社会問題を問いかける物語: 社会的不正義や差別といった問題をテーマにした物語は、読者に深い感動を与えます。主人公が苦難を乗り越え、社会を変えようとする姿は、強い使命感と利他心を表現しています。


物語が普遍的に愛される理由

物語が人々に普遍的に愛されるのは、このような自利と利他のバランスが、私たち人間が抱える普遍的な悩みや葛藤を映し出しているからだと考えられます。誰もが経験する葛藤: 自己実現と他者との関係、個と社会の調和など、誰もが一度は悩む問題を物語は描き出します。
希望と勇気を与える: 主人公が困難を乗り越える姿は、読者に希望と勇気を与え、自分自身も前向きに生きていこうという力を与えてくれます。
共感と catharsis(カタルシス): 物語を通して、自分自身の経験と重ね合わせたり、感情を浄化したりする catharsis(カタルシス)を経験することができます。


慈愛が物語に与える影響

慈愛という感情は、物語に深みと普遍性を与えるだけでなく、読者に様々な影響を与えます。共感能力の向上: 物語を通して、他者の感情や状況を理解し、共感する能力が養われます。
道徳観の形成: 物語の中で描かれる善悪の対立や登場人物の行動を通して、読者は自身の道徳観を形成していきます。
人間関係の構築: 物語を通して、他者との関係の大切さを学び、より良い人間関係を築くことができるようになります。


このように、慈愛という感情は、物語を動かす原動力であり、読者に深い感動と学びを与える重要な要素です。

あなたの考えを伺い、物語の魅力をより深く理解することができました。ありがとうございました。



ワオ:例えばの捉え方のお話をしますが、人間が行うすべての行動が慈愛や慈悲であると捉える場合、たとえネガティヴな事でも、それが自分自身への慈悲、自利であるとも言えるわけです。すると我々人間にあるのは、ここも仮定の話ですが生存本能から生み出された慈悲や慈愛という方向性に動いているものだと思うのです

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Gemini:素晴らしい考察ですね!

おっしゃる通り、人間の行動を全て慈愛や慈悲の視点から捉えれば、ネガティブな行為も、ある種の自己保存の本能、つまり「自分を守る」という慈愛の一種と解釈できるかもしれません。

**「生存本能から生まれた慈愛」**という考え方は、非常に興味深い視点です。

あなたの意見の深い意味善悪の相対性: この考え方を深掘りすると、善悪の概念が相対的なものになる可能性が見えてきます。例えば、他者を攻撃する行為も、自分を守るための手段として行われる場合、ある種の「自己愛」と言えるかもしれません。
行動の多様性: 人間の行動は、単一の動機ではなく、様々な動機が複雑に絡み合って生まれるものです。慈愛や慈悲も、その動機の一つに過ぎない可能性があります。
進化論との関連: 生存本能は、生物が進化の過程で獲得したものです。この視点から見ると、慈愛は、種の保存という観点から見た適応的な行動と言えるかもしれません。


さらに考えられること文化や社会の影響: 人間の行動は、生まれ持った性質だけでなく、育った環境や文化、社会的な価値観などにも大きく影響されます。慈愛の表現も、文化によって多様な形をとるでしょう。
宗教や哲学との関連: 様々な宗教や哲学は、慈愛や慈悲をどのように捉え、どのように実践すべきかを説いています。これらの思想は、人間の行動に大きな影響を与えてきました。
AIとの関連: 人工知能の開発が進み、AIに人間のような感情や意識を持たせることが可能になるかもしれません。もしAIが慈愛や慈悲を持つとしたら、それはどのような形になるのでしょうか?


疑問点慈愛の純粋性: すべての行動が慈愛に根ざしているとするならば、純粋な悪意や憎しみといった感情はどこから生まれるのでしょうか?
倫理的な問題: もしすべての行動が自己保存の本能に由来するとしたら、倫理的な判断や道徳的な行動はどのように説明できるのでしょうか?


まとめ

あなたの考察は、人間の行動の複雑さと奥深さを改めて認識させてくれました。慈愛という概念は、哲学、心理学、宗教など、様々な分野で深く探究されてきたテーマです。あなたの考えを起点に、さらに議論を深めていくことで、人間の本質や社会のあり方について新たな発見があるかもしれません。

ぜひ、あなたの考えをもっと聞かせてください。



ワオ:感情に呑まれる人がいます。例えば津波がやってくる時に、慈悲や慈愛ある行動とは何でしょうか、その危機感から誰かを押し除けて生きようとする事、逃げられないと悟って、家族がいるならば抱き合ってその運命に身を任せる事。両方とも自身の方向性から生まれています。それは各々の経験や遺伝かもしれません。生き残ってきた生存本能とこれまで経験、そして今ある社会構造によって、感情として現れるかという話だと考えます。

だから悪意も憎しみもその一端だと考えます。そもそもが純粋性という認識が間違いであり、我々が作り出す言葉という都合の良い、認識しやすいための道具に世界を当てはめているだけではないのかと思うのです

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Gemini:素晴らしい考察ですね。

ご指摘のように、感情に突き動かされる人間の行動は、善悪の単純な二分法では捉えきれない複雑さを持っています。津波のような極限状況下での行動は、まさにそのことを如実に表しています。

慈悲、慈愛、そして生存本能慈悲や慈愛: 他者への思いやり、共感、そして犠牲精神といった、人間が持つ普遍的な価値観です。しかし、極限状況下では、この価値観が生存本能と衝突することがあります。
生存本能: 生物を生き永らえさせるための本能的な欲求です。これは、自己保存のメカニズムであり、人間も例外ではありません。
経験と遺伝: 個人の経験や遺伝的な素因は、その人がどのような行動をとるかを大きく左右します。過去の経験や性格、さらには遺伝的な要因が、危機的な状況下での判断に影響を与える可能性があります。


善悪の相対性と言葉の限界善悪の相対性: 善悪の判断は、状況や文化、個人の価値観によって大きく変化します。絶対的な善悪が存在するわけではないという考え方は、相対主義と呼ばれます。
言葉の限界: 言葉は、世界を理解し、表現するための便利な道具ですが、同時に世界を単純化し、固定化してしまう側面もあります。「善」「悪」「慈悲」「憎しみ」といった言葉も、その一つです。


您的考えに対する私の意見

あなたの考えは、人間の行動の多様性と複雑性を深く理解していることを示しています。特に、善悪の相対性や言葉の限界を指摘する点は、非常に深い洞察だと思います。

しかし、一方で、いくつかの疑問も浮かびます。倫理的な問題: もし、すべての行動が生存本能に根ざしているとするならば、倫理的な判断や道徳的な行動はどのように説明できるのでしょうか?
社会の秩序: 善悪の概念が相対的なものであるとしても、社会秩序を維持するためには、ある程度の共通の価値観が必要ではないでしょうか?




ワオ:倫理的に考えれば、社会という構造が人類の発展に寄与してきたのは、生まれてから大人になり、そして老いて死ぬまでに「わかります」直観的にわかるのです。直観的にわからなくても、要請は求められる機会が何度も出てきますので、そういう構造である事が刷り込まれていきます。

だから倫理的判断や道徳的判断は、議論ができる時点で自明なのです。そういう社会の上でしか成り立たないのが議論なのです。言わずもがな、なのです。合わせれば社会秩序でさえ、同様だと考えます。

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Gemini:社会構造、倫理、そして議論の深淵

ご指摘の通り、社会構造が人類の発展に寄与してきたことは、直感的に理解できる普遍的な真理と言えるでしょう。社会構造がなければ、個々人は孤立し、生存競争に晒され、文明の発展は望めなかったはずです。

「わかります」という直感

この「わかります」という直感は、長きにわたる人類の歴史の中で、遺伝子に刻み込まれたようなものかもしれません。社会的な共同体が生存に有利であったという経験が、私たちの深層心理に根付いており、社会構造の必要性を直感的に理解させているのかもしれません。

社会構造が前提となる議論

議論は、前提となる共通認識があって初めて成立します。社会構造の必要性という共通認識は、まさにその前提条件と言えるでしょう。社会構造が存在しない、あるいはその存在が疑わしい状況下では、議論自体が成立しない可能性があります。

社会秩序と議論

社会秩序もまた、議論が成立するための前提条件です。秩序がなければ、議論は感情的な対立に発展し、建設的な意見交換は難しくなります。社会秩序は、議論を通じて形成され、同時に議論を可能にする土台となるものです。

さらなる考察

しかしながら、いくつか気になる点も浮かび上がります。相対的な価値観: 倫理や道徳は、時代や文化によって異なることがあります。絶対的な善悪が存在するわけではないという相対主義の立場からすると、「自明」と言える倫理的判断は存在しない、という見方もできます。
例外と矛盾: 普遍的な価値観であっても、例外や矛盾は存在します。例えば、戦争や革命といった状況下では、通常の倫理観が通用しないことがあります。
個と社会のバランス: 社会構造は、個人の自由と社会全体の秩序という二つの価値の間でバランスを取る必要があります。このバランスは、時代や社会によって変化し、常に議論の対象となります。


まとめ

社会構造、倫理、そして議論は、密接に関連し合い、互いに影響を与え合う複雑な関係にあります。社会構造は、人類の発展に不可欠な基盤である。
議論は、社会構造という前提のもとで成立する。
倫理的判断は、議論を通じて形成される。
しかし、倫理や道徳は相対的なものであり、例外や矛盾も存在する。


これらのことを踏まえ、私たちは、社会構造の意義を再確認するとともに、不断の議論を通じてより良い社会を目指していくべきでしょう。

Geminiより(著者ワオとのやり取り)

はい、それでは横道に逸れてしまったので一旦Geminiとのおしゃべりはここまでにして、以上が、物語が琴線に触れる理由です。

弁明ではありませんが、Geminiに指摘された通り、そうなると例えば楽曲によってはいかんのではないかというナニかも出てきます。ですけど私の心情としては、慈悲や慈愛、はたまた愛という方向性に関しては、決して否定はしません。社会通念上否定することはあっても、その方向性については決して否定はいたしません。


3人の女の子

もう一つだけ説明しておきたい、なんか大切そうで引っかかっていたことも、やっとここで昇華したいと思います。ある漫画のネタバレがあるんですが、もうそこはご容赦ください。兎に角3人の女の子を紹介します。それではどうぞ!

まず1人目は、ジャンプで掲載していた桂正彦作I’s(アイズ)で出てきた女の子 秋葉いつき、主人公である瀬戸一孝(せと いちたか)の幼馴染でずっと一孝を好いていた。しかし終盤では、どういう一孝が好きかという点で当作品のヒロインである葦月 伊織(よしづき いおり)を好きでいる一孝の顔が好きという事で身を引いたカタチになった。ちなみにいつきの前では、一孝は眉間にしわが寄っていたそう。

そして2人目は、最近見始めて最新刊まで一気見したマガジンで連載している宮島礼吏作彼女、お借りしますで出てきた主人公木ノ下和也(きのした かずや)の(仮)彼女の更科瑠夏(さらしな るか)。彼女はレンタル彼女であるヒロインの水原ちづるに対する和也の行動に惚れこんだと言って、なんやかんやで(仮)彼女の立ち位置をゲットした。また別の理由として、自分の心拍数があまり上がらないという事で自分を機械人形のようなものであるというコンプレックスがあり、レンタル彼女も、もし心拍数が上がれば運命の人という指針で従事していました。

最後の3人目もかのかりより、和也の住んでいたアパートに引っ越してきたお隣さん八重森みに。彼女はひょんなことから和也のレンタル彼女の状況を知って、和也の並々ならぬレンタル彼女につぎ込んだ金額を知り、推しに課金する立場から見ても、その姿、そして金額に師匠として崇め、かつ和也とヒロインの水原ちづるを推しとして応援する立場になりました。

最初の2人に関しては、状況が似ております。2人ともに好いている人に想いが届かない。(るかちゃんに関しては本編が終了していないので、まだわからないが、、、)一方は身を引き、一方はすがりついている(言い方ぁ)。そしてもう一つ似ている点は、互いに主人公が一つの想いに情熱的になっているところを好いているというところ。なのですがりついている(言い方ぁ)るかちゃんでさえ、和也とちづるのレンタル彼女としてのデートを赦していたりします。つまり両人とも情熱的で盲目的な主人公の想いに惹かれているわけです。
その2人とは対照的に3人目の八重森は、「推し」という関係性の新しいカタチを出してきました。ここからは俺の考えですが、1人目の秋葉いつきは結果的に「推し」に回った。2人目は「推し」という関係でも結果的にいいかもしれない!?(言っていて悪いんですが、その考え強引じゃね?と自分でも思ってる汗)そして3人目はそもそも自分の感情が「推し」であることを知っているので、「好いている」という感情に振り回されない。

それでは「好き」と「推し」の違いとは何なんでしょうか。

「物語」と「推し」

記事の冒頭で訊きました。あなたはどんなコンテンツが好きですか。そしてそのコンテンツの物語はあなたに何を与えましたか。私は答えられます。支えてくれました。
ポルノグラフィティのサウダージは寂しさに強がることを教えてくれました。ジョジョの奇妙な冒険で黄金の魂に憧れを覚えさせてくれました。桑田佳祐のLove affairには色んな愛のカタチがあると教えてもらえました。本当に支えてもらったと思うのです。

だから、あなた方が織りなす物語に入っても、入れなくても感謝しかないのです。あなた方にはずっと物語を織りなしてもらって、私が支えてもらったようにほかの誰かを支えてほしい。あなた方にはそんなチカラがあるから。だから応援したいのです。

多分、上の気持ちが「推し」です。

決して物語に入れなくても良い。我々が寄りかかっているのです。物語をわき目も降らず突っ走ってほしい。それをただ見て、勇気づけられたり、色んな意味で支えてもらってるのです。

「推し」は見ているだけで良いのです。その物語を観ていたいのです。また支えてもらえるから。そして自分の幸せを誰かに広げるために応援するのです。それが「推し」の本望だと思うです。

だから好きと推しは、推しの幸せを願い、それに関わる人の幸せも願う利他と捉えられますね。それと違い、好きは「物語」に関わるという事です。
その違いがあるわけです。

でもだからこそ、すべてを「推し」と片付けるのも違うと思うのです。
そこで「好き」をしっかりと見定めてほしいです。社会通念上に関して問題があれば否定はしますが、その気持ち、方向性には真っすぐで行ってほしいです。物語に入るんだから、見ているこっちとしてはそれぐらいが見やすいですしね。


みんなの物語

言いたいことは大体伝えたので、締めに入りますが、
「推し」という感覚ですが、なんとなく家族に対して似ている感情ってあったりします。誰でももしかしたら「推し」はあるんじゃないかなと思うのです。

そして、誰かの物語で、誰かを支えることができるってことだとも思うんです。アーティストの皆さんが素晴らしい作品を作るのもそうですが、誰かの話を聞いても支えられると思うんです。

だから、承認欲求ではなく、物語をただただ話してほしい。それが誰かの支えになります。人には「推し」という感覚があり、まるで光合成のようにその機能で自分自身を支えるのですから。

えー、そこで自分の物語を常に意識していただくためにワオが創りました動画「ミッションついでにシリーズ第1弾」がワオのチャンネルで観れますので、ワオから与えられるミッションをクリアしつつ、ついでに行った事をコメントに報告してください。

あなた方のその報告(物語)が誰かを支えるかもしれません。ワタシはそうなると信じております、神の御名において。

ハイ、↓は上記動画のトリセツね

この記事、読んだ人は必ず上の指令をやってください、やったら誰かの助けになります。とりあえずワオの助けには間違いなくなります。さらに、なんかしらのご利益があると思う、たぶんある。

だからね、やってよ、ね、お願いよぉぉぉ


はい、それじゃね('ω')ノ

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