オフィスに集まる理由ってなんだろう
はじめに
今日の話を要約すると以下3点です。興味のある方は読んでみてください。
・日本では明治以降、工業産業の勃興により「同じ時間」「同じ場所」に会して仕事をするというワークスタイルが定着した。
・現代では「あらゆる産業のソフトウェア化」が進んだことで「時間」と「場所」に縛られないワークスタイルを選択できるようになった。
・さらに「空間のソフトウェア化」が進めば、どんな職種も問題なく在宅勤務できる可能性がある。
さくらインターネットの代表取締役社長 田中邦裕氏の note が目に付いたので、今日はリモートワークについて考えてみました。
< 要約 >
日本人は長く農業中心の産業構造であったため、太陽や季節とともに歩む「時間におおらか」な民族であったとされる。しかし明治維新以後の工業化の結果、決められた場所で、決められた時間に働く必要性が高まったことで「時間に厳格」な民族に変化していったらしい。現代に視線を戻すと、テクノロジの進化によって場所や時間の制約が取り払われつつある。これまでの働き方を見直す時代が訪れていると言えるのではないだろうか。
参考:去年の12月に社員の皆さんへ「なんで会社に来ないといけないんだろう」って話した時のこと|田中邦裕|note
1.遅刻は明治以降の概念?
「いやいや、時計なんて飛鳥時代の中大兄皇子による漏刻からあるんだし、遅刻はもっと昔からあるだろう」というのが正直な感想だったので、本当の話かどうかちょろっと調べてみました。
Google で「遅刻 概念 いつ」と検索するとトップに 遅刻 - Wikipedia というページが表示されます。恐らく田中氏の発言の裏付けはここから来ていて、たしかに明治時代初期の日本人は時間におおらかであったと記載があります。
かつての日本でも、遅刻することは一般的で、人々は時間におおらかであった。例えば明治時代の初期に工業技術を伝えに来日したオランダ人技術者たちは、日本人がまったく時間を守らないことに呆れ、困り果てたという。それくらい日本人は時間におおらかで、遅刻にもおおらかであったのである。その後、日本で時計が普及し、定時法などの西洋の時間のシステムが導入されても、人々は相変わらず時間には大らかで、工場では遅刻が一般的で、鉄道などでも30分ほどの遅刻は当たり前であった。
➡ 引用:遅刻 - Wikipedia
困った明治政府はどうしたかというと「時の記念日」を制定し、日本国民に時間を守ることの大切さを呼びかけたそうです。
時の記念日(ときのきねんび)は、日本の記念日の1つ。毎年6月10日である。(中略)日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。
引用:時の記念日 - Wikipedia
Wikipedia から引用ばかりしていると怒られそうなのでもうひとつソースをおいておきます。
6月10日は、天智天皇が唐から伝承した水時計を作らせ、太鼓や鐘を打って初めて時を知らせた日にちなんで設けられた「時の記念日」。1920年当時、まだ日本人は時間をきちんと守るという意識が希薄だったので、欧米並みに生活の改善・合理化をするように、東京天文台と財団法人・生活改善同盟会が制定した。
➡ 引用:時間を大切に 六月十日・時の記念日 | NHK放送史(動画・記事)
💬 余談:個人的には時の記念日(6月10日)も祝日にしてくれれば、6月にも休みができていいのに、と思い調べてみたところ、同じように思っている人もいくらかいるようです。実現してほしいですね。
さて、 遅刻 - Wikipediaで「明治時代初期の日本人は時間におおらかであった」ことの出典となっている『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』は Amazon で中古しか取り扱いがなく、361ページの書籍で14,665円という法外な金額で売られており、深堀りすることはできませんでしたが、複数サイトのレビューを見る限り、『遅刻の誕生』という本には日本人が時間に厳格になったのは明治以降との記載があることは確かなようです。
なので、「遅刻」という概念が明治以前に無かったかと言われるとよくわかりませんでしたが、「時間に厳格な民族性」は明治以降に生まれたということで良さそうです。現代と比べ、明治以前は時間にルーズだったことを示す根拠として、不定時法(日の出から日没までを基準として昼夜を別々に6等分して時間の長さを決める方法)が挙げられます。明治以前は不定時法が用いられていたがために「1日は24時間」というきっちりした時の概念を持っていなかったことが伺い知れます。
2.日本人が時間に厳格となった理由
産業革命/文明開化によって進んだ日本の工業化ですが、田中氏が言うように「工業化すると時間に厳格となる」のはなぜでしょうか。田中氏の記事によると「決められた場所で、決められた時間に働く必要性があったから」だそうです。もう少し深堀りしてみます。
明治時代の工業というのは産業革命後の世界ですから、大規模な設備のもと大量生産を行うものでした。2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場なんかを思い浮かべていただければイメージが湧きやすいかもしれません。当時はもちろん機械化は進んでいましたが、ロボットによる自動生産なんてまだ想像もつかない時代です。大規模生産をするには、それ相応の人員が必要でした。
富岡製糸場の場合は寄宿舎が併設されているため女工の半数は住み込みで働いていたそうですが、どうも他の工場では「通勤」スタイルが一般的だったようです。そうすると、工場というのは「何時から何時まで、何人体制で生産することでどのくらいの成果がでる」という勘定で動くシステムですから、時間通りに出勤してくれないと生産数が安定せず困るわけです。だからこそ工業化を推進することで世界から認められたいと考えていた明治政府は困ったわけで、時の記念日を制定してまで国民に時間の大切さを理解させようとしたのです。
3.物理的な制約からの開放
では、明治時代の工業産業における働き方と現代日本のサラリーマンの働き方は同じといえるでしょうか。田中氏が発言している通り、答えはNoです。テクノロジーの進化によって、わたしたちは「場所」や「時間」に囚われない働き方が実現できる時代をたしかに生きています。
どういうことか、もう少し深堀りしてみましょう。
まずはインターネットの普及です。わたしたちは、ラップトップPC(ノートPC)やスマホ、タブレットを持ち歩き、常にインターネットに接続しています。
💬 余談:書いてて初めて知りましたが、ラップトップPCって死語なんですね…。
これが、ロケーションに縛られない、人と人とのコミュニケーションを可能にしています。たとえ、コミュニケーションする相手が地球の裏側にいようとも(時差の問題で眠い頭さえなんとかすれば)、インターネットを通じてコミュニケーションできてしまうのが現代の我々が生きる世界です。
また、コミュニケーションツールも変化しました。一昔前までは電話やメールが主体でしたが、チャットツールやZoomに代表されるインターネットを使ったビデオ通話が積極的に利用される時代となりました。20年~15年くらい前はテレビ電話なんて普及しないだろうという雰囲気がありましたが、今日においてはZoomを知らない人はほとんどいません。
変化はコミュニケーションだけでありません。2011年8月、有名なブラウザソフトウェア Netscape の開発者として知られるマーク・アンドリーセン氏は、ウォール・ストリート・ジャーナルに『ソフトウェアが世界を飲み込む理由(原題:Why Software Is Eating The World)』を寄稿しました。この中でアンドリーセン氏は「あらゆる産業においてソフトウェア革命が起こる可能性がある」と予言し、現在の世界はまさにそのようになりました。たとえば小売業では Amazon が覇権を取り、DVDレンタルは Netflix によって駆逐され、Apple の iTunes は音楽業界を骨抜きにしました。ITを提供するサーバは仮想化され、クラウド化され、利用者からその物理的存在が見えなくなりました。医療分野でも、5Gの到来とともに遠隔医療/診断が実現してきていますし、健康という曖昧な指標もウェアラブル端末から身体データを得ることによってデジタル化しています。本当に様々な産業がソフトウェア化しましたし、この勢いはとどまるところを知りません。そして、あらゆる産業がソフトウェア化したことによって、我々は物理的な制約からどんどん開放されているのです。
そして、ロケーションに代表される物理的な制約から開放されることで、時間的な制約からも開放されます。たとえば、明治時代の工業産業では沢山の人が協力して働く必要があるので朝9時に出社しなければならなかったかもしれませんが、現代においては朝9時に会社にいなければならないという明確な理由を示せる職場はかなり少なくなってきているのではないでしょうか。もちろん、工場勤務だったり工事現場だったり医療現場だったりと、物理的な制約が存在する職種は時間的な制約にも囚われてしまいますが、そうではないいわゆるオフィスワーカーにとっては物理的な制約がほとんどなくなっているため、時間的な制約からも開放されるといって差し支えないでしょう。
4.やっぱりオフィスはいらない?
ようやく本題です。幸か不幸か、2019年前半で日本の「働き方改革」は驚くほど進みました。いや、進んだと言うよりは壮大な社会実験ができたと言ったほうが適切かもしれません。その結果「もうオフィスいらないじゃん」という声もちらほら聞こえてきます。わたしもどちらかというとオフィスいらない派です。
⚠ 注意:基本的に工場勤務だったり工事現場だったり医療現場だったりと、物理的な制約が存在する職種ではなく、いわゆるオフィスワーカーにとってオフィスは不要なのかという点を深堀りしています。
リモートワーク(在宅勤務)のメリットはいろんなところで語り尽くされているのでデメリットについて深堀りすることでオフィスの必要性を考えてみたいと思います。
まずは雑談の機会が圧倒的に減ってしまうということです。
雑談というのは偶発的に生まれるものであり、リモートワーク環境だとその偶発性が生まれにくいです。「チャットツールで雑談すれば良い」という人もいますが、あれってもはや「雑談しよう」という目的をもって行ってるものだと思ってます。オフィスで生まれる雑談って、たまたま廊下ですれ違ったときに生まれるものなので、偶発性が極めて高いで、リモートでは真似できないものだと思っています。
つぎに局所性が高い仕事はリモートワークに向かないということです。
局所性が低い仕事、つまり事務のような作業内容が明確、または作業に対する責任範囲や作業範囲が明確でひとりで完結できるような業務の場合はリモートワーク(在宅勤務)でも問題ないと考えます。
イメージとしては内職に近いかもしれません。主婦(主夫)しながら空き時間に裁縫やパーツの組立を行うような仕事はこれまでも内職として成立してきました。これは、オフィスという場所に集まらなくてもできる仕事で、かつ成果がわかりやすい仕事だからこそ成果主義が成立していたものです。これが、近年のテクノロジーの進化によって、従来はオフィスで行っていた事務的な仕事もオフィスという場所に集まらなくてもできる仕事に変化してきました。
一方で局所性が高い仕事、たとえばアイデアを出し合うような仕事の場合、同じ会議室で、同じホワイトボードに書きながら話をするほうが圧倒的に仕事が進みます。「Zoomでもできる」という人もいますが、ホワイトボードにペンで書くユーザーエクスペリエンスとZoomのホワイトボードにマウスやApple Pencileを使って書くユーザーエクスペリエンスは全然違います。Miroのようなオンラインホワイトボードも流行っていますが、正直何か物足りません。
自分では何が違うのか答えが見つけられなかったのですが、もしかするとマコなり社長こと株式会社divの真子就有氏が「感情的報酬がなくなってしまう」と言っていることと近いのかもしれません。ライブやコンサートと同じで、場を共有することで集中力があがり、何かをやり遂げたときにある種の感動的報酬が得られるという点がリモートだと実現できません。
なので、アイデアを出し合うような仕事はリモートワークでもできないことはないけれど、生産性は落ちてしまうというのが結論だと考えています。
これについては、VRやARがもっと進化して場を共有せずとも感動的報酬が得られる環境が整えば、オフィスはいらなくなるかもしれません。個人的にはこれはかなり近い将来に実現できるのではないかと思っています。
昔からゲーム空間でオフ会のようなものを行う楽しみ方があります。最近だとゲーム『あつまれ どうぶつの森』でもゲーム内で集まるような遊び方が散見されました。また、今まさに開催されているMicrosoftのイベントであるde:code 2020はVR空間でも開催されています。つまり、仮想空間で同じ「時間」と「場所」を共有することが一般化してきています。たしかに、VR/ARはまだまだ発展途上ですが、着実に「空間のソフトウェア化」が進んでいると言えるでしょう。
5.大工もリモートワークできる時代が来る?
さらに、空間のソフトウェア化が進むことで、リモートワークが難しいと考えられる工場や工事現場、医療現場などでもリモートワークが進む可能性があります。
たとえば工場であれば、現代においてもかなりの割合でロボットが活躍しています。近年のロボットの進化も目覚ましいものがあるので、今は手作業で行っている工場であっても、ロボットの低価格化が進むことによって自動化が大きく進む可能性があります。リモートワークとはちょっと毛色が異なる話かもしれませんが、明治以降の工場産業の概念自体が大きく変わる時代に私たちは生きているのかもしれません。
たとえば工事現場であれば、工事するまさにその場所に人間がいなければならないというのが現代までの常識ですが、工事現場の重機をリモートで動かす実験はすでに始まっています。これはもちろん危険な環境に人間が入らなくても良くするという目的も含まれていますが、これが進化していけばひょっとすると家にいながらにしてゲームコントローラーから工事する事ができるようになるかもしれません。
医療現場も同じです。簡易な診断であればオンライン診断がすでに実用化されていますし、手術のような場所が指定されそうな業務であってもロボットアームの進化によってリモート手術の実験が始まっています。また、医師のスキル不足から手術が行えないケースや地方で行われる医療のケースに対しても、スキルレベルの高い医師が遠隔から手術状況を映像でウォッチすることで難易度の高い手術を実現できる仕組みがすでに整っています。
近い将来、私たちは「時間」や「場所」の制約を受けない人生を歩み始めているかもしれません。
おわりに
おまけですが、小売業もAmazon Goのようにレジが不要な店舗形態が実験されているところですし、都会であれば無人レジも結構見かけることが増えてきたのではないかなと思います。少し話は逸れてしまうので良くないのですが、つまりは人の手を必要とする職種が減っているということだと思います。
とすると、今後ますますいわゆる知的労働に対して人々は従事する、もしくは職人やアーティストのように特定分野に特化する形でしか価値を発揮できなくなる可能性があるなぁと思いました。
そうなってくると「学び続ける」ことができない人間は価値を認められづらい世の中になるのかもしれません。貧困の差が拡がるひとつの要因となるのかもしれません。そうなってくるとベーシックインカムをもって救済していくという仕組みも必要な気がしますし、「働く=労働」という価値観も今後どんどん崩壊していくような気がします。
何も答えはもっていませんが、オフィスの価値を考えながらこんなことを考えていました。このあたりも追々文章にしていけるといいなと思います。
今日はここまで。
以上
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