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やさしくてすぐ病む人へ

ここでは、私が普段思っていることやふと感じたことなどをつらつら書き連ねようと思う。拙い文章だが自己満なので理解していただけると幸いである。


私は昔から「やさしすぎだ」とよく言われる。親にも、友人にも。そのスタンスは自分としても自覚しており理由もちゃんとある。それは人が満足そうにしていたり、その人が幸せを感じている瞬間が自分にとって「幸せ」と感じる瞬間だったからだ。そのためには多少の自己犠牲も厭わない。

その反面すぐ病む。自分の存在価値とかなんとかふとした時に考えてしまう。

この文章を読んでくださっている方の中にも、もしかしたら同じ境遇の方も多いのではないか。人に接するときはできる限り丁寧することを意識したり、LINEで重要な会話するときに相手が自分の返信によってどう思うのかをよーーーーーく(これは1返信に1時間とかそういうレベル)考えてから返信するとか。そんで自分が失敗した時にめちゃくちゃ病むとか。

私は病む面も含めて、それを「やさしさ」だと思っていたし、そのスタンスでいることが「正義」なのだと思っていた。

しかしある時、当時交際していた方とある曲の以下の歌詞について話すことがあった。

「”君のため”というその全てが
 僕のためのような気がして
 ”君の気持ちになろう”っていう
 それがまずもう僕の主観で」(SUPERBEAVER [your song])

特にサビのフレーズなどではなくAメロの途中にちらっとだけ顔を出すだけの恥ずかしがり屋な歌詞なのだが、胸に来るものがあった。

自分が今まで「その人のため」と思ってやっていた思考も行動も、結局はその人が本当の思っているかどうかなんてはわかるわけないのだ。そのうえで病んだりするのははっきり言ってバカである。それは正義でも何でもない。

例えば気になる人にいきなり思い切ったことは失礼かなと遊びの誘いではなく様子見(世間話など)について返信を行ったが、相手の反応が自分の思うものではなくて病んでしまう。それは言ってしまえばあなたのエゴ通りにいかなかったことに対してのわがままを露呈させているだけである。

結局私を含めてこの文章に共感している方は表面では「人のため」と言っているが、実際「自分のこと」しか考えていないのだ。

なんだかとても厳しいことばかり綴っていているが、私は私のようなスタンスの人を否定する気は全くない。人に対してこれほど考えることができるのは素晴らしいことだし、なかなかできない。あなたの存在や行動によって笑顔になった人、幸せを感じた人もたくさんいるだろう。

だからこそ、もっと「自分」を出してほしい。「相手のため」とか「相手がどう思うのか」ではなく、「自分はこう思う」を発信していってほしい。ありのままをぶつけることが相手にとっての「本当のやさしさ」であると思うし、それがあなたが幸せと感じる結末へとなるかもしれない。今の相手を思いやれる性格のままで自分の意見もきちんと表明できるようになれば、自分としても楽だし人としても一歩先のステージに行けるはずである。

もちろん少しずつでよい。何かを「変える」というのはとっっても難しいことだから。ただ、あなたが変わろうとすることを否定する人は絶対いないし、支えてくれる仲間も必ずいると思う。

私のような性格ではない人にとっては「そんな当たり前のこと何いまさら言ってるんだよ」と思うような内容かもしれない。しかし、私はこの性格で感じ嫌な思いや自己嫌悪などによる経験を同じ境遇の人にしてほしくない。そして同じ境遇の人は必ずいると断言できる。だからそういう方へ寄り添うものとしての文章媒体を密やかに残しておこうと思い立った。(もちろん自分自身に対する戒めというものもあるが。)だから、周りに考えすぎている人がいたら否定せずに彼らがより「自分」を出せるように支えてあげてほしい。

長ったらしい文章を読んでいただきどうもありがとうございました。また不定期で更新するでその時はどうぞ御贔屓に。

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