ディズニーで神様になる方法を思いついた
「ジェラトーニは男か、女か?」
レイジングスピリッツに並んでいる時に、そんな話をした。
高校3年間一緒にお昼ご飯を食べた友達と4人で定期的にディズニーに行く。その時は一人が誕生日なのと留学から一時帰国した人がいたので、ディズニーシーへ行った。めっちゃ晴れた。
4人全員の共通の趣味はなく、3人はアニメが好きだったり、ハリーポッターが好きだったり、猫が好きだったり。2人はセカオワが好きだったり、バンドが好きだったり。ジャニーズ好きが一人いるが、他3人はまったく。
このジャニーズ好きの子だけ、今後のために「ぬぞ」と名前をつける。私たちは、彼女がHey!Say!JUMPの有岡大貴のアクリルスタンドで写真を撮るのを手伝ったり無視したりする。
服の系統もバラバラなのでディズニーのカチューシャはそれぞれ毎回違うのをつけるが、今回は全員が納得いく頭が見つかった。
4人で白いミッキーの頭をつけながら、話題はぬぞがつけていたキーホルダーのジェラトーニに移った。
「ジェラトーニって男?女?」
ちょっと並び疲れていた私たちは脳みそをあまり回転させないまま考え始める。
「なんか女の子のイメージあるけど」
「水兵の服を着ているし、男では?」
「でも服は着せ替えできる」
「脱がせろ」
「関西のジャニーズのぬいでズボンの下にも小細工して炎上してた」
「「「わ〜。」」」
話は拮抗した。
「そもそも性別とかあるの?猫じゃん」
一人が議題に対するそもそもの疑問を呈した。
物事を根本から疑う。私はすごく好きだ。
「シェリーメイは明らか女キャラだから
ディズニーは男女のコンセプトちゃんとありそう」
「たしかに。」
「でももし、ああいう形状の種だったら?ピカチュウってサトシの所有してるアレじゃなくて何匹もいるらしいじゃん」
「え、そうなの」
「メスのピカチュウとかいるらしい」
「「え!!まじで!!」」
その場でポケモンを履修している人間がいないので、みんなが関心する。
固有名詞だと思ってたものが実は普通名詞だったという事実。ここ最近一番の驚き。
でももしそれが本当なら、あの世界の住人は、犬を「犬」と呼ぶまぁまぁ尖った人間の集まりということになる。あの世界ではポケモンってめちゃくちゃ使役の対象なんだなーと少し寂しい気持ちになる。
「たしかに、ジェラトーニ、お土産屋さんに大量に吊るされてたから、ジェラトーニっていう種の、1匹の個体をぬぞは今持ってるんだね」
結局ピカチュウ理論が導入され、ぬぞは自分のジェラトーニに「有岡」と名前をつけた。
名をつけられたことで、このジェラトーニは個人としての自我を獲得した。
我々の住む世界にはマサラタウンのような残忍さはない。よかった。
しかし、私たちの討論は終わらなかった。
スタンバイパスを持たない私たちのレイジングへの道は長いのだ。
「ジェラトーニに有岡ってつけたら、犬に猫ってつける人みたいになるじゃん。」
誰かがいちゃもんをつけた。
「有岡も個体がたくさんいるじゃん。ぬぞもアクスタとか数匹持ってるやん!」
「人間目有岡科ってこと?笑」
「そう。有岡もピカチュウとジェラトーニと一緒。
有岡は種。」
なんだか語呂が良くて「有岡って種?」という問いがその日のハイライトフレーズになった。
有岡は種である。
グッズ化されると、人は、動物は、種となり、ひとつ高次の存在へと変わる。
私が日々感じていた、デフォルメ化していない人間のグッズに対する嫌悪感はここから来ているのかもしれない。
二次元へと次元を落とさず、大量生産することで、元の人間の次元が4次元へと引き上げられる。ジャニーズも、小林私も、オモコロのブロガーも、佐伯ポインティも、写真をそのままグッズにしている。そのことで彼らはすでに種となり、話すタイプのそれらは、個体の象徴という存在になった。彼らは、自らを象徴としたのだ。
となると、神様になるのは意外と簡単、なのかもしれない。朗報だ。待ち時間にちょっといい話ができた。