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【Obsidianぶらり旅 #10】座右の銘はわからぬが。

「人の振り見て我が振り直せ」で生きてきたなぁと気づく今日この頃です。


みんな座右の銘を持ってるの?

おぎやはぎのメガネびいきのポッドキャストを古い方から順に聴いていたある日のこと。座右の銘募集の回が。

結論は「やる気 元気 宮崎!」とかだったと思いますので、どうしようもなく気になってしまう方はぜひ聴いてみてください。

有名人のインタビューとかでも時々出くわすこのテーマ。

自分の心に据えた一つの言葉。あるとかっこいいなぁといつも思うものの、自分にはこれといったものはなく。同時に「一つって難しいよなぁ」とも思ったり。

そんなもやもやを胸に秘めたまま数日を過ごし、「もし転職活動の時に面接官に尋ねられたらどう答えよう?」などという妄想もしたりしていた中。

そういえば昔から「こうはなりたくない」が結構な原動力というか、今の自分を作った実感はあるなぁ、と気が付きました。

自分が嫌だと思うタイプの人間にならないために、意識的にも無意識的にも自分の言動を選んできたことが多い気がします。

人を尊敬するのって簡単じゃなくない?

一方で「こうなりたい」と思える先輩や上司が欲しいなぁと思いながら仕事をしていた時期もあります。(今もそうかもしれません。)

多くの先輩や上司はさまざまな方面でそれぞれ凄いのですが、「この人の努力と経験や身の回りの環境があって今のこの人なんだろうなぁ」と勝手に納得というか丸く納めてしまったり、あるいは「これはちょっとなぁ」と思ってしまう面に目がいってしまったり。

「その人になることはできないから、憧れられない」みたいな感じでしょうか。

あるいはその人がいるのだから、この職場で自分が同じようになる必要はない、と考えたりもします。

その人が持つ知識やスキルなどの具体的なものではなく、生き方や考え方などの"人として"の部分に憧れたいのかもしれません。

「この人みたいに仕事したい、生きたい」と思える人が身近にいたら楽しいだろう、楽だろう、と思わずにはいられません。

こう生きれば理想の自分になれそう、という指針。

ふだん踏み込んだ話をあまりまったくしないので、ただ自分が相手の良さや魅力を引き出せていないだけなのでは…?と、書きながらふと思いました。

自分は他人のどんなところを発見したら尊敬するんでしょうね?

心の声

答えを知りたい現代病?

私は理想とする自分に至る道を知りたいのでしょうか?
尊敬できる人がいれば、その人のように生きればいい、と。

あるいは自分が理想とする姿を知りたいのでしょうか?
尊敬する人に出会ったら、「あ、こういう風に自分はなりたいのか」と。

ゴールが知りたいのかプロセスが知りたいのか、どっちも知りたいのか、それともこれらとも全く違う何かなのか。

そもそも自分の道の先に他人が見えていないのかもしれません。日課も趣味もキャリアも経験も、あらゆる面で自分と他人とは違いますもの。

この感覚は、後者の「自分が理想とする姿を知りたい」だと思いました。「この道であってるのかな」と思いながら歩き続けるのが不安なのかもしれません。

そういえば一人いた

生まれて初めて「尊敬ってこんな感じか!」と感じたことが大学時代にありました。部活のコーチに対してです。

それまでのコーチや監督のトレーニングメニューはその方々の経験で培われた感覚に根差したようなもの、あるいは部内で脈々と受け継がれてきた内容などが当たり前で、疑いもしませんでした。

いわゆる強豪校とかだとまた違ったのでしょうが、当時は普通の中高の部活動だったので、それが当たり前でした。

ですが大学では結構ガチな部活を選びました。そこでコーチが持参した資料にはそれぞれのトレーニングで狙う効果などが体系化され整理されていました。そこにいたく感動したのを覚えています。

体系化されていること自体もそうですが、そういったものが必要と判断されたところも、時間をかけてちゃんと作られていたところにも、感動というか感嘆していました。

こういうのって、当然あるべきだよな。と。
こういうのが好きなのかもしれません。

最近だと、コーヒーの味の違いが判る男になろうと自宅で豆を挽くところから始めてみたのですが、その際に大いに参考にさせていただいている粕谷哲さん。この方の思考も近いものがあります。

バリスタの感覚に左右されがちだった淹れ方を体系化し、誰でもおいしいコーヒーを淹れられる方法を開発・紹介されています。

こういうのが好きです。(確信)

おれはこの道を進むぜ!が座右の銘?

尊敬する人が目指すべきゴールだとすれば、座右の銘はプロセスの部分、明確なゴールの有無にかかわらず「おれはこの道を進むぜ!」という方向性と言えそうです。

目指すゴールを設定できない場合にも、「こっちの方向なら間違いない」というのはあって、それを示すのが座右の銘なのではないか。

ちょうどバックキャストとフォアキャストみたいですね。

それはそうとして、座右の銘は一つでなければならないのでしょうか。自分の進む方向を示す言葉が一つだけだなんて。

だってほら、ベンジャミン・フランクリンだって「13の徳目」って13個までしか絞れなかったわけじゃないですか。

・・・考えすぎでしょうか?

とはいえどこを目指していいのかはやっぱりよくわからないので、わからないなりにも「こっちが良さそう」てな感じで毎日を積み重ねていきたいなぁと思う2024年の冬。

結論

ということで私の座右の銘は「人の振り見て我が振りなおせ」です!!
(唐突)

これまでは「こうはなるまい」という方向で使ってきたこの言葉ですが、これからは「こういう言動をまねしたい」を重視していこうと思った次第です。

自分にとって人を尊敬するという行為は大変に重そうである一方、この人のこの言動はいいな、素晴らしいな、みたいなのを見つけてまねすることはできそうです。というかできるようにしたいです。

これから先はこの言葉をポジティブな意味合いで捉え、座右の銘トークが始まったりした場合には、胸を張ってこのnoteに書いた思考なんかを語らせていただきたいと思います。

Obsidianでタグ化して管理してみないか。

この話題を無理やりObsidianにつなげるために、タグを用意して、真似たい言動をObsidianに集めてみてはどうでしょうか、という提案をしておきます。

私は「#まねたい」とかでやってみます。もっと洒落たタグ名があればご紹介いただきたいです。

おまけ

メガネびいきを順に聞いていて共有したくなった回をシェア。

この回の前半の阿鼻叫喚っぷりは非常にクレイジーでした。無表情で聞ける人はいないのではないでしょうか。私は電車でうつむき加減でニヤつきました。。

興味のある方はぜひ聞いてみてください。

それでは!

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