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(考察)プラトン『ゴルギアス』の良くないところについて
プラトンの『ゴルギアス』は一言でいうと、正義論です。最初に有名なソフィストのゴルギアスを登場させて、彼に弁論術がよいものであることを主張させ、その後、ソクラテスがそれを反駁していく内容になってる。ソクラテスがゴルギアスをふくむ3人の論客と5つの議題について議論をしていくプラトンの代表作の一つです。
ところがわたしはこの著作、気に入らないことがあるので。それは、ソクラテスが(実際には著者のプラトンが)、一番回答しなければならない問題にきちんと回答していないことです。
要点をまとめるとこう。
ゴルギアスの主張(弁論術は技術であり、それ自体に善悪はない)
ゴルギアスがはじめ、「弁論術は言論で人々を説得する技術であり、善悪、美醜、正不正をあつかうことができる。その結果として自分をより自由にし、自国において他人を支配することができるようになる有用な技術である。ただし、格闘技と同じく技術それ自体に善悪はない。人によっては弁論術を不正に用いることもある。ただその場合には、当人が悪いのであって、彼に弁論術を教えた教師や弁論術そのものは悪くない」と主張する。
ソクラテスの反論(弁論術は善悪・正不正をあつかう。ならば、あつかう弁論家は善悪・正不正を知っているはずだ)
対してソクラテスは、
「ゴルギアスのいうことは矛盾がある。善悪や正不正をあつかえるなら、あつかう弁論家は善悪や正不正を知っているはず。善悪や正不正を知っているなら、その人は当然よいほうを選び正しいことをするはずだ。そのほうが幸福だと判断するからである(善=幸福)。だから、不正にその技術を用いるはずはない。善悪をあつかわない格闘技とは違う。それなのに、ゴルギアスは弁論術を不正に用いる弁論家がいるという。したがって、すべての弁論家が本当の善悪や正不正を知っているわけではない」
と主張し、さらに、
「また、不正な人は弁論術を不正に用いて思うがままに振る舞うだろう。独裁者が権力を使ってほしいままに振る舞うようなものである。そのような人は、善悪・正不正がわかっていないので思うがままに振る舞うことで、余計に不正をなすことになる」
と主張する。
▼ここが気に入らないところ
ところが、この著作の最後の議論で提示されるカリスレスの質問、
「では、正しい人間が弁論術を使って思いのままに振る舞った場合はどうなのか? 正しい人が力を持つなら、正しい振る舞いをするのではないのか?」
に対しては、
「そういう人は今までに誰もいなかった。ペリクレスもキモンもテミストクレスもミルティアデスも事績を検証すると該当しない」
としか答えていない。
これこそはじめからつづいていたこの議論の大本の議題で、一番回答しなければならない問題のはずなのに、こんな回答しかしていない。
▼この回答のどこがそんなに悪いのか
この回答は不充分です。
「正しい人間が弁論術を使って思いのままに振る舞った場合」について、応とも否とも答えていないから。
カリクレスが普遍的理論的な質問(「仮にできたとしたらどうなのか?」)をしているのに、ソクラテスは個別的具体的な例だけを回答(「現実には実例がない。以上、回答終わり」)している。
このロジックだと、点や線や面が存在しなくなります。
このロジックを通すと、「現実の点には必ず多少の面積があり、『ある地点を示す、面積のない一点』のような面積のない点など現実には存在しない。だから、点というものは存在しない」と言えることになってしまう。しかし、点は現実に存在しています。
そればかりか、もしプラトンが不充分とわかってこのような回答しているなら、この回答こそプラトンが批判したはずのソフィスト的な弁論術の回答になります。本当のことを明らかにしているのではなく、「単に正しいと信じ込ませるような説得」だから。
これは、
「法理論的に見て、立憲君主制の国で国王が食い逃げしたら、警察はその国王を捕まえられるんですか?」
という質問に対して、
「警察が忖度して、国王は逮捕されない」
とか、
「必ず誰かが代金を立て替えるから、そんなことは現実にはありえない」
などと回答するようなものです(回答して、それ以上の回答を切り上げる)。
現実の結果がどうなるかくらい大体わかっているから、「法理論的に見てどうなのか」と質問しているのに、現実の結果だけを回答してやり過ごそうとしている。
そして、『ゴルギアス』ではこのような不満のある回答しかしていませんが、プラトンはその後の著作『国家』でははっきり回答しています。これが、絶対に言い負かされたくない議論の相手が消えてから自分の本音を語っているように思えて、セコく感じます。
プラトンの理論的回答、『国家』にて
『国家』で語られている回答はこうです。
「現実ではともかく理論的には、支配者は国民の利益のためには、あらゆる手段を用いるべきである、偽りや欺きも用いるべきである」
「理論的には」という条件付きであることには注意してください。『国家』は完璧な国家について、実現の可否は置いておくとしてプラトンが意見を披露した著作だからです。
『国家』という著作は副題が「正義について」で、『ゴルギアス』で論じた内容をさらに掘り広げて掘り下げて、広く深く論じています。
『国家』の該当箇所。引用ではなく、各所の要約:
偽りは人間にとって薬として役にたつ場合がある。ただし、国家で偽りを使っていいのは支配者だけである。もし、国民が支配者に対して偽りを言うなら、それは、患者が治療を施そうとしている医者に対して自分の身体の状態を偽るようなものである(『国家』389B-C)。
支配者は、支配されるものたちの利益のためならば、偽りや欺きを用いてよい(『国家』459C-D)。
支配者は、国民には秘密で、優れたもの同士が結ばれるよう、婚姻の操作を行うべきである(『国家』459D-460A)。
支配者は、劣ったものたちの子どもや欠陥児を、秘密裏に隠し去るべきである(『国家』460C)。