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【2022年10月17日の日記】タイトル未設定タイトル未設定.zip

これまた久しぶりに日記を書いている。前回投稿をしたのが7月とのことで、まあまあ期間が空いてしまった。真夏じゃないか。真夏のピークどころか赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなっている。(これは本当にそう)

実を言うと今、現在進行形でやらなくてはならない原稿が溜まっていてメチャクチャだ。気持ちがだるい。今これを書かずにそっちを進めろよと思われているし、自分もそう思っているのだが、後回しにしてしまっている。やりたくないことじゃないのに、気持ちがどんどん沈んでいく。

私の場合は「ああ、あれもやらなきゃ…あれもやるんだった…上手くできない…自分はだめだ…逃げたい…」と、頭であれこれ考えている時ほど仕事を後回しにしてしまう。タイトル未設定ファイルが無限に湧いていく。タイトルを考えることすらできないという、一つの暗示なのかもしれない。
そういう時こそ、考えずに手を動かして、アウトプットして、頭のメモリを軽くしなくちゃいけない。自分の頭は高性能じゃないから、少しずつ出していく。それが今、この瞬間だと信じて書いている。

仕事では、書かなきゃいけない、と思うことが多くなった。今までもそうだったけど(書くことはクライアント仕事がメインだから)、「書かなきゃ」といった念字が非常に強く、憑き物のように絡み付いてしまうんだよな。結果的に、書きたい気持ちが枯渇する。しおしおになる。誰もハッピーにならない。爆発オチ…こういうスパイラルに陥ると、もうだめになっちゃう。映画「ヘラクレス」の最後のシーンみたいに、死者に足をつかまされて急激に老けちゃう、みたいな感じ。(例えが下手で申し訳ない)

でも、今この日記を書いている、この、ほんの瞬きの間で、「あ、やっぱ書けるかもな」って気持ちがふっと湧いてくるんだよな。今、まさにそうなった。1分前にだめになっちゃうと確かにタイピングしたのに、もういけるかと思えてくる。「書くことで、書けるようになる」ってこういう時のことを言うよなあ。割と仕事をしている時でも、詩を書いている時もそうだ。筆が進む、みたいな感じで、原稿用紙にサラサラ書き込むってよりは、絵を描くときのタッチというか、筆の運び方が自然とわかるみたいな感じかも。

めちゃめちゃ抽象的なことしか書いてないけど、それが日記だもん!と赤ちゃんの気持ち。

そう思うと、締め切りが間に合わなくて焦って焦った文章、テキストはあれだな、支離滅裂なことが多い。それでいて執筆時間も無駄に長かったりするよね。あれなんなんだろうね。怖いです。

書けない時は、別の文章を書いてみる。それしか、今のところ書ける道はないんだなあ。

よし。明日頑張ろうと思えた。まずは朝起きるところから始めよう。



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