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ザルトボメル Zaltbommel オランダ/ヘルデルラント ~低地地方初代元帥の小綺麗かつこじんまりとした館

※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。

マース川とワール川に挟まれたヘルデルラントの要地。八十年戦争期には、市独自にスペインからの自治を宣言して「反乱」側に与しました。そのような経緯もあり、オランイェ公ウィレム一世の頃からこの街の防備の必要性は認識されていて、アドリアーン・アントニースゾーンの監修且つナッサウ伯マウリッツの助言によって近代要塞化が勧められました。ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトやコンスタンテイン・ホイヘンスなどの政治家も、要塞の視察に訪れています。

マウリッツとオルデンバルネフェルトがちょうどそんな視察中、スペインのメンドーサ提督に攻囲されてしまったのが1599年のザルトボメル攻囲戦です。

ザルトボメル攻囲戦の記事はこちら。この攻囲戦ではマウリッツはただ街に閉じ込められていただけで、実際にすごく頑張ったのは従弟のナッサウ伯エルンスト=カシミールです。

駅からこんな感じの道をひたすら1kmほど歩きます。

この辺りが駅からの道から、堀の内側の街内部に入るあたりです。

左が教会、右が博物館。

観光名所はほぼこの博物館のみ。なのでここしか訪れていません。


マールテン・ファン・ロスム博物館 Stadskasteel Zaltbommel

ザルトボメルの歴史博物館的なものです。 16世紀前半のヘルレ公国元帥マールテン・ファン・ロスムの家だった建物で、通称は「マールテン・ファン・ロスム博物館」なのですが、正式には市立城博物館という味気ない名称です。

Stadskasteel is het cultuur historisch museum van Zaltbommel (stadskasteelzaltbommel.nl)

コレクション一覧はヘルデルラントのまとめサイトに載っています。

マールテン・ファン・ロスムを初代とする低地地方の「陸軍元帥veldmaarschalk」については本館の記事をどうぞ。

公式サイトにも、ヘルデルラントの美術館一覧サイトにも、きっと載っていない掘り出し物がありそう…との鼻を頼りに訪れてみました。ナッサウ伯マウリッツとオルデンバルネフェルトゆかりの長持があったりしました。マウリッツの衣装らしきものもありましたが、ガウンと帽子が毛皮でふかふかだったので、実際に攻囲戦のあった夏のものではなく、単に当時の衣装のレプリカを置いているだけかもしれません。

これマウリッツの署名です。その上の文章の意訳は以下のとおり。

諸州の間にようこそ。この部屋は、1599年5月17日に私[=マウリッツ]が国家評議会、連邦議会の議員、そしてホラント州法律顧問ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトとここで会合したことからそう呼ばれている。
その後、スペイン軍が二度めのザルトボメル攻囲をおこなった。その対策を話し合っていたとき、スペイン軍の砲弾が建物をまっすぐに貫いた。それでもまだ足を踏み入れる勇気はあるか?

観光客のみなさんに向けたメッセージですね。

博物館自体は4部屋+地下室だけで狭いです。うち2部屋がマールテン・ファン・ロスム関係、1部屋が現代の子供向けマンガか何かの部屋で、件の長持などはちゃんとした展示室ではなく階段の踊り場にある始末。けれど、庭に回してもらえれば裏側から建物の写真が撮れたりします。そちらのほうが撮れる画は良いです。


アクセス

ザルトボメル駅から1kmほど。でも体感ではもうちょっと遠い感じ。冒頭の17世紀の地図とほとんど変わらない星型です。

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