スヘーレンベルフ 's-Heerenberg オランダ/ヘルデルラント ~「低地地方 Nederland」にしてはめずらしい「山 Berg」の名を持つ無骨な城の街
※ 訪問記は2014年6月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
オラニエ・ルートに含まれるオランダ都市のひとつ。ヘルデルラントの封地のなかでも南ネーデルランド・ヘルデルラント州の州総督を務めたファン・デン=ベルフ伯の領地です。貨幣の鋳造地でもありました。
's-Heerenbergの意味は、「領主の山」。's-Gravenhage(ハーグ、スフラーフェンハーヘ:伯爵の領地)や's-Hertogenbosch(スヘルトヘンボス:公爵の森)と同じタイプの、日本人にはかなり読みにくい地名です。これらと同じく「デン=ベルフ」と略してもいいのかな。確かにバスの車窓からは、オランダにはめずらしく山並みが見えました。が、街自体の海抜は17m程度しかないそうです。
ベルフ城 Huis Bergh
以前はミュージアムカールト使用不可だったんですが、現在公式サイトでは使える旨書いてあります。
ファン・デン=ベルフ伯代々の城。 ファン・デン=ベルフ伯ウィレム四世はオランイェ公ウィレム一世の義理の弟でした。が、ネーデルランドの「反乱」の途上、そのカトリック信仰を理由に息子たち全員と「反乱」を離脱しスペイン国王に下ります。
そのため、城の中にはカトリックに関するものがたくさんあります。中世の写本など貴重な史料も多く、おそらくウィレム四世その人やその祖先が集めたであろうコレクションです。逆に八十年戦争期のものは、ファン・デン=ベルフ伯家ゆかりの人々および、主家筋にあたるハプスブルク家の人々の肖像画がメインとなります。
城は2つの部分に分かれているので、外観の写真も撮る場所によってかなり印象が違って見えます。
塔に登る場合はガイドツアーのみ。塔はお城ホテルとして宿泊も可能なようです。
ファン・フェーンによるファン・デン=ベルフ伯ヘンドリクの肖像。入口から左手の階段下にどーんと壁一面に掛けてある大きなものです。2009年に購入したものとか。
その階段の途中や階段上に、ハプスブルク家(カール五世、フェリペ二世、大公夫妻、フェリペ四世夫妻や、15-16世紀の人物など)の比較的小さめの肖像がたくさんあります。 また、1Fいちばん左側の大きなホールには、オランイェ公ウィレム一世や、その次男マウリッツなど、ファン・デン=ベルフ伯側から見れば敵側となった人々の肖像たちも。
アクセス
オランダ・ドイツ国境の街。オランダ側はローカル線のドゥーティンヘム駅またはウェール駅からバス、ドイツ側はエメリヒ駅からバス、いずれも20分程度。祝日運行に制限があったり、それぞれ1時間1本以下と少ないので注意。バスターミナルからベルフ城までは400mくらい。
おまけ。大変な目に遭いました。
訪問した日は日曜で、ちょうど自転車のロードレース大会の日に当たっていたみたいです。バスが途中で通行止めに遭い、乗客の地元のおばあちゃんの道案内で、畑の畦道のようなところを通ってとりあえず目的地付近には到着しました。
城での観光は目一杯楽しみましたが、日曜夕方ということもあり、そのまま終日運休にしてしまったのかレースが終わってもバスは来ない…。バス停に書かれていたバス会社やらタクシー会社に片っ端から電話をかけ、タクシー会社と1時間待ち+48ユーロでなんとか交渉成功。(しかしこの地名まったく口頭で伝わらない…スペルアウトでようやく通じる始末でした。)
そもそも地元バス会社がなぜレース大会の日程とコースを把握してなかったのか甚だ疑問ですが、宿泊+翌日の時間とのトレードオフであれば48ユーロ程度(高いけど)で済んでよかったです。
タクシーはマイクロバスのような乗り合いタイプ。残念ながら会社名などもすっかり忘れてしまいました。電話が運転手さんに直でつながり、料金も予め伝えてくれたので良心的だったと思います。
それでなくてもオランダ・ドイツは日本に比べて交通トラブルが多く、2回に1回以上の割合で何かしら迂回やら振替やらに見舞われています。この出来事は自分の中ではワースト2ですかね。以来、公共交通機関での移動に制限がある僻地に行く場合は平日を充て、土日は都市部などアクセスの楽な観光地を予定するようになりました。