デフェンテル Deventer オランダ/オーフェルエイセル ~エイセル川と稜堡、現在も残る天然と人工の要害
※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。
エイセル川に面した街。東部国境の要衝です。1578年に反乱軍が手にしたものの、ズトフェン同様に1587年、イングランド人将校ウィリアム・スタンレーの内通によってスペインに売り渡された街です。4年後の1591年にナッサウ伯マウリッツによって共和国に奪還されています。スペインの占領地を次々再奪還していった「マウリッツの『十年』」の、皮切りとなった街のひとつです。
デフェンテル攻囲戦についてはこちら。
かつては繁栄したハンザ都市だったのですが、八十年戦争だけではなく、エイセル川の水量が減って他の街との港町としての競争に敗れたなどして、すっかり荒廃してしまったとのことです。
長方形の街の二辺がエイセル川に面しているのですが、写真はその逆方向の運河沿い。堡塁跡を撮りたかった…が、自分で撮ったものはうまくいかなかったので、他の写真で。
Claes Jansz. Visscher (1615) デフェンテル
逆にこちらが川に面しているほうです。この街のシンボルともなっているレブイヌス教会が見えます。この絵の左半分を見てわかるとおり、18世紀頃までの地図では、堡塁ではなく古いタイプの城壁になっています。19世紀には取り壊されているようです。
教会の下くらいまでは行きましたが、中には入っていません。
Unknown (ca. 1910) デフェンテルの浮橋
めずらしい絵があったので。冒頭の1649年の地図の下部にも描かれているなんだかへんな橋。 船をならべてつくった、「浮橋」とか「舟橋」と呼ばれるものです。1591年の攻囲戦でも用いられ、実に20世紀まで使われていました(攻囲戦で使うのは一時的な舟橋で、この絵のように足場もきちんとしていません)。オランダではここデフェンテルのほか、ズトフェン、アルンヘムなど、エイセル川に面した街でよく用いられていたようです。
1590年代の『マウリッツの十年』は各攻囲戦ごとにいちいちエピソードがあって面白いのですが、デフェンテルは一騎撃ちです。少し昔の中世ではフェーデはめずらしくなく、少し後の1620年代以降は決闘が禁止されるくらいに流行りましたが、このガチで戦争していたあたりはそれどころではなかったようで、めずらしいものだったようです。
アクセス
駅の側に堡塁跡が残っています。街の中心を抜けて教会。