見出し画像

フロニンゲン Groningen オランダ/フロニンゲン ~近代的な駅前に対して、政治の中心部は17世紀の立地と趣そのまま

※ 訪問記は2009年4月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。

北東部フロニンゲン州の州都。北の大都市で、強固な要塞都市。現在も大きな街のひとつで、日本でいうと札幌のような立ち位置だと思います。

フロニンゲン州は1579年の「ユトレヒト同盟」のうちの1州でしたが、早くもその翌年の1580年に「レンネンベルフの背信」と呼ばれる出来事により、スペインに帰順します。1590年代、何度か攻囲が試みられて断念が続いたあと、1594年に共和国軍によってスペインから奪還、その後、ユトレヒト同盟に再帰および連邦諸州に加入しました。いわゆる「七州」のうち、最後に加盟したことになります。

フロニンゲンの街は広く、星型城塞内部にも堀があって二重堀になっています。この1610年の版画では、まだ古い城壁のように見えます。旧市街地を囲んでいるものかと思います。

1615年頃のプランです。冒頭の地図とちがって右が北になります。旧市街地の外側に新たに星型城塞を巡らせています。この星型城塞跡は街の北西にほんの少しだけ残っていて、現在公園になっています。

約50年で相当に防備が固められたのが2つの地図から見て取れます。冒頭の図では旧市街地では街の中央に市庁舎があり、その北に教会があります。教会の庭を挟んで左上がスタットハウダーの館、プリンセンホフです。その右隣は州庁舎のようです。スタットハウダー(州総督)は都市よりも州と近しいのでこのような位置関係なのかもしれません。

「レンネンベルフの背信」と「フロニンゲン攻囲戦」の詳細はまとめて本館記事に載せてます。


プリンセンホフ Prinsenhof

訪問時は企業が入っていて観光客は入れなかったので、外周だけぐるっと回ってきました。2012年以降はホテルとレストランになってます。 

「プリンセンホフ」はデルフトが有名ですが、固有名詞ではなく、「公(こう=Prins)の館」の意味。ここも、1594年の奪還後、スタットハウダーのウィレム=ローデウェイクをはじめ、ナッサウ伯たちが居館として使用しました。入口にも説明文のプレートがかけてあります。

このプレートを見ると、ナッサウ伯たちの館の前も、レンネンベルフ伯やベルデューゴ将軍など、スペイン側の州総督たちが住んだようですね。でも名称は州総督館ではありません。

Wikimediaにあったいい感じの写真を挙げておきます。

これ、中央がコリニーの紋章なのでフレデリク=ヘンドリクの個人紋章だと思うんですが、フレデリク=ヘンドリクがフロニンゲン州総督になったのは6年程度なので、その間にピンポイントで掲げられたものだと思います。

レストランになったので、夜はずいぶんと魅せる感じになりました。


プリンセンホフの庭 Prinsentuin

2012年以前も、春~秋の天気の良い日には、不定期で庭に入れてお茶が飲めたそうです。訪問当日は閉まっていました。

なのでこちらもWikimediaにあったいい感じの写真を挙げておきます。


州庁舎・市庁舎

17世紀から変わらぬ位置取り。現在でいうと県庁と市役所みたいなものですね。割と近くにあります。市庁舎はマルクト広場のど真ん中。

自分で撮ってきた写真もこんな角度でした。

近くの教会の塔からみるとこう見えるようです。ハーグのマウリッツハイスなどと似たような作りの建物。


フロニンゲン美術館

駅の真向かいの運河上にある、こちらも近代的な建物。訪れたときは比較的新装オープンしてから日が経っていなかったと思います。

ランチついでに寄ったはずなんですが、半地下ぽかったかな~くらいで、ぜんぜん覚えていません。公式サイトも動的すぎて、収蔵品データベースもないようです。


アクセス

駅の真向かいの運河上にフロニンゲン美術館があります。街の中央のマルクト広場までは、徒歩だと地図で見た印象よりもけっこう遠かったです。プリンセンホフはマルクト広場からさらに少し足を延ばします。

いいなと思ったら応援しよう!

KOTOYO
サポートいただいた費用は、おもに本館『金獅子亭』サーバ・ドメイン維持管理費用や、関連書籍の購入に充当いたします。

この記事が参加している募集