経験しながら学ぶ Withコロナ時代のリーダーシップと組織への向き合い方④
緊急事態宣言の延長と同時に一部解除も決まり、また一つフェーズが変わろうとしている。そこでタイトルからは【緊急】という文字を取ってみた。なんとなく時代が緊急時とは異なったフェーズに入ってきた感覚があるからである。ここからまたどうなっていくのか、経験の中で見えてきているものをシェアしてみたく今回も記事にしてみたい。
まず、この時点で改めて確認してみたくなったのでここから。それはこのwithコロナ時代において、私たちが全世界で握っている2つの目標。
①感染拡大がピークアウトし、ワクチンが開発され全世界の人類に提供される時まで医療崩壊を増やさないように努めること
②経済悪化による事業破綻・失業者・自殺者を増加させないこと
つまり、身体不安と経済不安の両極の間でバランスをとり、ともに生き延びようとする営み。これらはwithコロナ時代において全世界で共通目標であり、この目標を握りながら全世界が協調的に動き変容に向かうことである。このことはやはり今後どのフェーズに至っても忘れてはならないことと改めて確認しておきたい。
2極化
さて、この5月に入り皆さんはどのような変化を感じているだろうか。私が特に気になってきたことは会う方々が口々に語る「2極化」という言葉である。この言葉を使う方が増えてきた気がしている。そして、そのような実態も以前より明らかになってきてはいないだろうか。そこで図に表現してみた。
上記のようにこの期間、振り返るとこの図の通り相反する概念を使ったり、そのいずれかの立場を取ったり、いずれかの立場に置かれたりすることはなかっただろうか。新型コロナの感染拡大という一つのショックによってカオスが生まれ、その中で実態が少しずつ見えてくるにつれ、社会全体が少しずつ分岐し始めてきているようにも感じる。このように磁石でいうS極とN極、道教でいう陰と陽のような”両極”に触れてくると、その先に何が生まれてくるだろうか。
私はこの分岐点において3つの選択肢が生まれてくると考えている。
1つ目は分断である。立場を同じくするもの同士が強く結びつきその立場を明確にしながら他と分離していく構造。2つ目は対立。2つの立場が極であるからこそ、相まみえた際に立場の違いが浮き彫りになり、自分の立場にこだわりを持つことで和合できず対立していく構造。3つ目は最適化。両極に立つがゆえに俯瞰すると第三の道が見えてくる。互いの立場を理解し合いながらバランスを取り始める構造である。
すでに、この兆候は様々なところで現れ始めているようにも感じるが、まだその動きはわずかな気がしている。皆さんの身の回りではどうだろうか。おそらく、この後人類全体がこの選択をどんどん迫られていくのだろうと想像している。言うまでもなく、理想は人類が最適化の道を選択することであると考えている。では、分断と対立と最適化の選択肢を左右する決定的な違いは何か。それは利己か利他いずれの立場でというこの時代に向き合うのかという、ひとりひとりのあり方にあるのではないだろうか。利己が悪いとか利他が良いという話ではない。利己と利他の同時実現を目指す姿こそ本来の最適化を目指す態度ではないかと考えている。ちなみに私にとっての「利己」とは、一般的に理解される「わがまま」というニュアンスの意識ではなく「自分自身を生きること」を指している。自分自身を生きながらにして同時に他者の救いとなる道の模索こそ、本来の「最適化」への道の第一歩ではないかと思うのである。
最適化への鍵とは
ここで、ここから先を考えるにあたり、そもそも最適化への鍵とは何か、そしてそのための道はどこにあるのかについて考えてみた。まず最適化についてこのように定義してみたい。「両極の立場に身を置きながら全体と部分のバランスを整える営み」。この前提に立つと、まず互いが異なる両極の立場に身をおき対話を重ねることが大前提となる。おそらく2極化の起こりやすい状況に入っているからこそ、こうした営みの重要性はますます高まるに違いない。
そして、そのうえで全体と部分のバランスを整えていくこと。
では、このwithコロナ時代において全体とは何で部分とはどこを指すのだろうか。こう問われると、私の解はこうなる。全体とはすなわち地球全体である。パンデミックとはつまり世界的感染症の大流行であり、世界の動き一つ一つが感染症の拡大に影響を及ぼす。つまり我々人類は地球と共に1つのエコシステムを形成しているということを人類はパンデミックを通して、半ば強制ギブスのような形で経験させられているように思えるのである。そのうえで「全体」という視点は常に地球全体のエコシステムに置かれている必要がある。私たちひとりひとり、あるいは自国の意思決定や施策一つ一つが他者や他国の知恵にもなり障害にもなりうる存在として認識し、最適な一歩を考えていくことである。
では、部分とは何か。このwithコロナにおける部分とは地球全体に対して地域社会というサイズまで小さくなるように思う。つまりコロナによる行動や慣習の制限を前提に考えたときに、物理空間で出来る支え合いと助け合いの適正な範囲が地域社会にまで移行すると考えているからである。つまりローカルな経済圏を想像しているということになるが、私が思い描くのは、これまでのローカルエコノミーとは異なる。なぜなら、物理空間の制限に対してこの時期にはデジタル空間の拡張が始まると考えているからである。すなわち物理的なつながりに加えデジタルのつながりによって地域を拡張した経済循環が可能になるのではないかというのが私の考えで、私はそれを「開かれたローカルエコノミー」と名付けている。この4月~5月の期間、地域創生のあり方の見直しを話し合うようなセミナーや場が多くつくられていた。おそらく今にはない経済循環が始まるような予感がする。
このように、私はエコシステムとしての全体視点を持ちながら、開かれたローカルエコノミーが実現する新しい循環を構築することに最適化への鍵があるように思っている。社会がそのような変容を遂げるとするならば、ビジネスや組織はどのように変容するだろうか。また、その過程で人はどのように変容するだろうか。最適化とはいったいどのような変容を世界に生み出すのか。
こうしたことを考えるためにも、まず一人一人の内側に生まれている両極の立場を明らかにしたり、明確にするとともにその立場から見える景色を語り合い、分かち合う場をもつことが大切であるように思う。
組織の中に必要なこと
このような前提に立つと、組織の中ではどんなことが必要になるだろうか。
ここのところ、様々な企業の管理職層があつまる場において私のフレームワークである1次パラダイムと2次パラダイムの現状についての自覚と、1次パラダイムにいる時と2次パラダイムにいる時とはどのような時なのかについてオンラインの対話セッションを行ってみている。
こうした場の中で見えてきたのは、1次パラダイムで生きている時間のほとんどは勤務時間。解放されたときに2次パラダイムに移行しているという結果であった。つまり、2次パラダイムに移行するためには、ある程度の心身のゆとりと仕事からの解放が必要という結論だったが、このことは、ある意味多くの企業で、働く時間の中ではこの先を見据えた対話や創造の場がまだなかなか作れていないという事実を教えてくれた。
すでに世界の2極化は始まっている。最適化を模索する動きを始めなければ世界は分断か対立の道をたどるようになるかもしれない。最適化への模索には互いを信じる力と分かり合おうとする不断の努力が必要になるからである。
私自身このような場を幅広く作り続けていくと同時にこの先に続く最適化への道を様々な方々と模索していきたいと思っている。
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