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「人生生涯小僧の心」塩沼亮潤

 仙台市の秋保(あきう)温泉に、かって宿泊し学生時代の仲間と旧交を温めたことがある。その秋保町に慈眼寺を建立したのが筆者であり、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)で千日回峰行を達成された大阿闍梨である。
 もう何度も読んでいる。今回は何回目だろうか。それだけ心を惹かれるものがある。理屈ではなく、死に際の体験から出た言葉の強さは真実であり、僕のひ弱な体験に照らしてみると塩沼氏は例えようもなく神々しい。
 千日回峰行のコースは、吉野山の金峯山寺蔵王堂をスタートし、24キロ先にある大峯山の山上ヶ岳頂上まで登り、再び帰ってくる往復48キロ、標高差1,355メートルを歩く。百日回峰行から入り、千日回峰行、そして四無行で満行となる。山を歩く期間は5月3日から9月22日までで、あしかけ九年に及ぶ。四無行とは九日の間、断食、断水、不眠、不臥、つまり、食わず、飲まず、寝ず、横にならずを続ける行。まさに死と隣り合わせ。
 平地の48キロさえ普通の人は歩けない。しかも標高差は1,355メートル。以前南アルプスで標高差600メートルの急登を雨中黙々と登ったことがあるが、尋常ではなかった。山深い吉野山では猪や熊に遭遇、マムシにも注意が必要。南北朝時代の戦場となった場所もあり、亡霊に悩まされる。僕もそんな山の経験があるが、空気感が異なり、昼間でも暗く深閑としている。年間120日間程度を連続して歩く。熱が39度以上、30分毎に下痢をしながらでも歩く。異常な世界としか言えない。
 そして、四無行でミイラのようになっていく。死臭が漂う。一日に二度の小水は紅茶色から焦げ茶色になる。脈拍は90〜120。感覚は研ぎ澄まされ、見ずとも臭いで誰かを判別する。遠くの話し声が聞こえる。線香の灰の落ちる音が聞こえる。
 行を終えて感じたこと。人間が生きていく上で一番大事なものとは、足を知ることであり、人を思いやることであると言う。

<読書メモ>
・途中で行をやめることはできない。やめざるを得ないときは、神仏にお詫びをして、左腰に携えている短刀で腹をかき切って自害するか、死出紐を木に結び付けて首をくくって命を絶つ。
・毎日が想像を絶する苦難の連続でした。体の調子が良いか悪いかではなく、悪いか最悪か。
・後悔を残さないように、日々丁寧に根気よく、心を込めて。
・行とは行じるものではなく、行じさせていただくもの、そして人生とは生きるものではなく生かされているものだという感謝の気持ち。人生とは、ひとつひとつの見えない徳を積み上げていくものではないか。
・己とは、人生とは一体何なのか。こうしたことは、普段すべてが整った幸せすぎる生活の中では見えてこない。それを知るために自分自身を奮い立たせ、厳しい行に挑むのではなかろうか。
・貧乏だから、何もないから、持っているものが少ないほど、より良いものが心の中から湧いてまいります。足を知ることによって、人は幸せになれるのだと思います。
・行を終えたら行を捨てよ。行をしたからこうなりたいとか、他と比較して損得勘定をしたりとか、少しでもそのような心があってはいけないのです。
・何事も根気よく、丁寧に、ぼちぼちと。
・真夜中に雲ひとつないきれいな星空に、ちょうどガスがかかり、月の光で出た七色の虹を見ました。震えるほどの感動でした。
・人生を論ずる暇はない。今この時を情熱をもって生きるのです。
・人間は雨を降らすことも、そよ風を吹かすこともできない。ただ一つできることは、人を思いやること。
・苦しみは一緒なのだからと考え方を変えて、あえて自分から苦しみの中に飛び込んでいくようにすると、今度は楽しくなってきます。
・はじめから知識として頭に入れるのではなく、自分で実修実験をするのが修験です。
・九百九十九日目、今の心が今までで一番いいなあ。この心がずっと変わらないといいなあ。体が言うことをきくなら、ずっと歩いていたい。もしこの体に限界がないなら、今の心のまま永遠に行が続いてほしい。人生生涯小僧でありたい。
・苦しみの向こう、悲しみの向こうには何があるのだろうと思っていたが、そこにあったものは、感謝の心ただ一つ。
・人生最後の最後まで途上でありたい、いつも自分を抑える心を持ち続けていたい。人としていつまでも花でありたい、輝いていたい。
・今までこの人を受け入れられなかったのは、自分自身に我があったからなんだな。
・人を思いやる心というのは、厳しすぎても駄目、優しすぎても駄目。
・人生生涯小僧のこころ、原点を忘れないことは大事ですが、忘れないだけでなく常に実践しているかどうか、何を言われても「はい」と謙虚に、皆さんが気持ちよくなるような元気な返事をすれば清々しいものです。
・親が子を思う、子が親を思う絆こそ、大自然の律であり、信仰の原点であると思うのです。
・宗教とは、信仰とは、行を積むとか知識を頭により多く詰め込むとかではなく、生活そのものであり、そんなに難しくなく分かりやすいものだと思います。
・さまざまな行のなかで私が感じた「人間が生きていく上で一番大事なもの」とは、「足を知ること」と「人を思いやること」の二つです。

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