心の疲れやすさに気がついたので思考してみる
最近、心が疲れやすいことに気がついた。ある一定のストレスを超えると急にパフォーマンスが落ちるのが私の性格だ。このパフォーマンス落ちを何度か経験することになった。
あふれそうなコップに対し、最後に注ぐ水はきっかけであって原因ではない。注ぐのが問題なのではなく、注ぐまでにあふれそうな状態になったコップ。そして水の管理に問題がある。したがってあふれる瞬間は色々である。そのタイミングを深掘りしてもしようがない。
色んなことに手を出して、それらを徹底的に取り組むのは私の良いところだが、反面悪いところでもある。キャパシティーがあってその中で収めないと破裂するように人の心はなっている。このキャパシティーを過大評価する傾向にある。自分はもっとできる。がんばれる。普通の人ならもっと前に、「きつい」「やめよう」となるのかもしれないがそのあたりの感覚が私は鈍い。痛みに強いと言えるのかもしれないが体や心は適切に動かなくなる。一種の生命維持装置なのかもしれない。
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