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orangeitems photo[11] 駒場

今日も元気に出かけてきました。東京の駒場という場所です。東京大学の駒場キャンパスがある場所です。駅で言うと、小田急線駒場東大前駅です。今日も車で行ってきましたが駐車場は苦戦しました。コインパーキングの数は少なくはないですがどこも満車で・・。なんとか見つけて散策開始です。


日本民藝館

日本民藝館、民衆が生活の中で用いた道具に美を見出すことをコンセプトに、思想家の柳宗悦氏を中心に開設された博物館です。

日本民藝館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営。「民藝品の蒐集や保管」「民藝に関する調査研究」「民藝思想の普及」「展覧会」を主たる仕事として活動している。

本館は博物館で、西館は柳宗悦氏の元邸宅です。

こちらが本館です。

こちらは西館です。

なお、写真撮影不可ということで、中の様子までは今回お届けできません。柳宗悦氏は朝鮮に渡り熱心に活動されていたことから、今回は朝鮮文化の展示が中心でした。

1910年に韓国併合、1945年に日本が敗戦し実効支配を失うまで、この間に何があったのかはあまり歴史でも語られません。その史実は間違いないものの、そこにいる人たちが何を考え、どんな状況だったのか。ただし35年間とはとても長いので、「いびつながらも何かがあったのだろう」というのは間違いないと思います。

その一端を目にすることができ、とても複雑な感情を覚えました。もし、柳宗悦氏がとても朝鮮にて、朝鮮の方と全くわかりあえてなかったら、多分に今日見た展示物は東京などにはなかったでしょう。その人となりが伺い知れました。

なお、西館側はご自宅跡でしたが、とても生活感があり、それでいて美しいご自宅でした。とても居心地が良さそう、と言ったらいいでしょうか。各部屋が機能的で、広さも適切。民藝という民衆の生活から美を見出そうとする柳宗悦氏のコンセプトが見て取れました。


旧前田家本邸・和館

さて、次は旧前田家本邸へ向かいます。こちらは、今は駒場公園と言われていますが、実際は石川県の大名前田氏の末裔、前田利為氏のご自宅でした。ご自宅といっても、大名屋敷のようなものでめちゃ大きい敷地で、今や公園扱いです。

明治17年、華族令発布により、前田家は侯爵の爵位を授与されて、百万石大名の威信を保ったが、隣接して建てられた東京帝国大学の敷地拡張のため、本郷の地も駒場の東京帝国大学農学部実習地4万坪と交換されることになった。こうして、はからずも加賀百万石大名の子孫の屋敷が、目黒は駒場の地に出現することとなった。
昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主前田利為(としなり)侯爵は、駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させた。マツ・ケヤキ・イチョウ・シラカシなどうっそうと茂る駒場野の林をそのまま生かした奥庭や芝生の広場。使用人も100人以上いたという前田侯爵邸は、当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせたものだった。

ということで、超ゴージャスな大邸宅です。戦前で日本が最も自信をつけていたころの建物ですので、それはもう圧のすごい建築物です。

まず入った入口は和館に近い入口でしたので、まず和館から見ていきます。

私の家です!とは言い難い、アメリカで言えばハリウッド俳優の自宅みたいな感じですかね。

こちらは和館の入口です。

和館自体は、お客様を招く際にお泊り頂く際に利用したそうです。この後洋館が出てきますが、私はこの和館の方がとても気に入りました。

結局のところ、日本では和の建築の方が断然いいのです。そりゃそうですよね、自国の文化が反映されているんですから。

靴を脱いで入っていきます。

これはもう、お城の大広間ですね。ひろーーーい。

相変わらず思うのですが、古民家の庭ってのは絵ですね。光も含めて一つの芸術作品です。

趣きのある庭です。

で、普段は二階は非公開、なんですが、館員さんから「二階も見られますか?」と声をかけられ、「ぜひ!!!」ということで二階を見させていただきました。

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就職氷河期初期からIT業界に入ったインフラエンジニア・技術系マネージャーのorangeitemsが運…

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