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orangeitems photos[37] 横浜・日本大通り

今日は横浜、日本大通り駅からお届けします。かなり史跡も多くて一日じゃ周りきれない場所・・とはいえ、こつこつ攻略していきます。


ニュースパーク(日本新聞博物館)

歴史、特に明治~戦前にかなり知見ができていたので、いよいよ新聞の博物館に来ました。


駅直結です。この情報文化センターの中にあります。


二階に上がると、昔使われていた大型の機械がお出迎えしてくれます。


企画展として「ニュースを伝える情報デザイン」という展示が行われていました。ちなみに、お客様はいませんでした。貸し切り状態です。係員はたくさんいらっしゃいました。


一個一個のパネルは撮影禁止でしたが、全体を撮るのならOK、という不思議な条件でした。この展示では、新聞の内容というより、見せ方、特にフォントについて強調されていました。戦争中は資材不足で、1日2ページしかなかったし、字が小さく詰め込まれていたのが印象に残りました。

さて、常設展に移動します。3階です。


結構いい展示なのに、いやー、お客様がいなかったですね。贅沢な時間です。


昔の新聞がたくさんあります。今日の目当ては、もちろん戦前の内容。新聞がプロパガンダ化して言論の自由を失って行ったのか。また、なぜ戦後つぶされなかったのか、の辺りを知りたかったです。


日清戦争・日露戦争あたりの新聞は、なんだかスポーツ新聞みたいに結果を伝えていたようです。明治の後ろ辺りから、ずっと外国で戦争をしてますね、日本は。


世界のすごろく。大阪が朝日新聞なのがらしいというか。大正十四年。国旗も今とは違う国もありますね。


昭和初期の新聞です。戦争にひた走る日本。多分に、戦争取材をしていれば兵士に駆り出されない、って発想もあったのかな。五・一五事件、二・二六事件。日中戦争や太平洋戦争、暗い時代の資料が見られてうれしかったです。


こちらは戦後の新聞です。戦争終結が八月十五日で、こちらは間もない九月三十日。良く残っていたね、という保存状態です。


GHQは既存のメディアを潰さずに、民主化のツールとして利用したのですね。


さあ明るく朗らかにスポーツだ!!と、この切り替えの早さが日本人の調子のいいところだと思います。


戦後については、まだまだ勉強不足。ただ、昔よりは様子が理解できてきました。

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就職氷河期初期からIT業界に入ったインフラエンジニア・技術系マネージャーのorangeitemsが運…

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