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人の幸せに付き合わされないための考え方

もう、ずっと、休みも仕事も関係なく家から出歩いている。通勤でも休暇の間の散策も、一人の時間が増えた。家の中にいる時も一人だったのだけど、目の前がパソコンなのか外の世界なのかで思考は全然違う。特に、他人の姿を観察することが多くなった。

一人一人性別も年齢も違うし、能力も立場も給料も違う。みんな違う。違いながら、それぞれに私は日々幸せに生きよう、とは考えているはずである。全員が幸せだと考えているとは到底思えないが、相対的に今日より明日がもっといい日であるようにとは考えているはず、である。

しかしその幸せ、という基準がものすごく違い過ぎる。私のように一人で行動することを不幸せの定義に入れている人もいるんじゃないか。グループでワイワイしてはしゃいでいる人達は多く見るが、私はその中に居るのがきっと苦手だ。できないことはないが、できれば避けたい。誰かと二人でいるぐらいまでは許容できるが、3人以上のグループ行動を好まない。

なぜ?という話をしたいのではなく、私が嫌っていることを好む人もたくさん、というより多数の人が好むのではないか。たくさんのグループ行動を見かけるし、グループ行動じゃないと外で活動する気がしない人も多分に多くいる。

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