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挑戦するのが楽しいのであって、手に入れたら消失するだけ
ロールプライングゲームは、ラスボスを倒したらエンディングを迎えますよね。ラスボスを倒す挑戦なのがゲームであり、挑戦が終わったらゲームは終わります。ということは、ラスボスは楽しみそのものであり、ラスボスがいなくなっちゃうと、主人公(プレーヤー)もろとも消失するって面白い話です。
小説も、マンガも、最後まで読み進めたら感動が待っているかもしれませんが、その世界は終わってしまいます。次の巻があればいいですが、終わりのない挑戦などありません。
むしろ挑戦の後を(ビジネス的な理由もろもろあって)描いてしまい、駄作となってしまった作品すらあります。挑戦が終わった後に、楽しさはないのです。
だから、面白さが欲しいのであれば、挑戦に対しての条件設定・前提を適切に設定するべきなんだと思います。
挑戦が成功裏に完了した場合に、それを得た経験を持って新しい挑戦に紐づくようなシナリオを、挑戦しながら、考えていくのが得策なのでしょう。これも変な話です。挑戦が成功するかどうかもわからないのに、成功した後のことも考えなければいけない。
挑戦にのめり込み、全エネルギーをつぎ込んで成功する人にありがちなのが、成功した後に次の挑戦を見失い、「つまんない」となることです。まあ成功することも難しいことではあるので、成功したことの後を考えないのも得策であることもありますが、せっかく成功したのに、その後の展開が全く無くて伸び悩むということはよくあることです。
いや、挑戦とかそういう「意識の高い」ことじゃなくて、ただやっていることが楽しいだけ。仕事をすること。音楽を奏でること。文章を書くこと。絵を描くこと。誰に見られなくてもいいから、ただそこに居てそれをやっていたい。そう思い込むのは自由ですが、きっと飽きます。何かやったら何かが変化し、それを感じることで楽しみが生まれ、上達のモチベーションとなるのだと私は思います。
きっと、何かに挑戦できている間は、むしろ心の安定期です。挑戦がいつ終わるかを冷静に把握し、これが終わったら、次に何に取り組むかを並行して考えることは、挑戦とセットで必要なのかもしれないなと思うのです。なぜかというと、挑戦が終わってしばらくすると、相当につまらないという感情に襲われるからです。
今日、この話をしているのは、NHKの「ミッドライフクライシス」と言う特集を見たからです。
きっと、これは、人生も一つのゲームであり、挑戦のシナリオが誰しも用意されていて、遅かれ早かれ結果が見えるからです。そしてそれからも人生は続くから、です。
結果が見えることが「老い」なのではなく、結果が見えた後に挑戦しないから老いていくのです。挑戦のあるなしで、人の考え方から見た目まで大きく変化して行きます。それは間違いないです。40代以上で随分外見や雰囲気まで変わって行き、50代くらいで二分化していくといって差し支えないです。
そんなことわかってる、でも何に挑戦していいか分からない、というのがミッドライフクライシスの本質なのだと思います。そしてしたり顔して、何かを見つけても、きっとすぐ終わるんです。挑戦し続けるというのは、私自身も思いますが、結構難易度が高いです。すぐに達成してしまったり、達成できるものが見つからなかったりしますから。
挑戦しましょう、ではなく、挑戦できることを横目で観察し、今のミッションが終わったら次の挑戦にすぐ着手できるように準備しましょう、ということです。なかなか難しいことですよね。でもそれが、40代後半以降は求められることとなります。
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