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メインコンテンツです。お仕事にまつわる色々なことを1200字~1500字程度にまとめています。もう随分長く仕事をしています。もっと早く知っておけばよかった、ということを言語化して…
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2024年9月の記事一覧

学歴について思うこと

私の学歴は公表するつもりはないが、世間的にみて高いと思う。学歴で得したことがあるかというと、きっと得をしていると思う。役割にアサインする際に候補が何人かいるときに、学歴がポイントになって選ばれたこともあったと思う。学歴とは、明らかに目に見える形で得をするステータスではなく、自分が知らない場所で勝手に判断される際に使われるものだ。 学歴が高いということは、何らかの難しい試験に挑戦し潜り抜けた実績だから、能力の目安になることは間違いない。ただその難しい試験と業務内容がリンクして

顧客に正しく伝えるための文章術

顧客に正しく伝える・・と書いてみたものの、こういうテーマの本は結構たくさん書店に並んでいる気もする。でも私はその手の本を全く読んだことがないけど立派にやっているので、私が経験の中から感じて身に着けたことを並べてみたいと思う。顧客対応三十年弱のエッセンスを今ここに。 始めの3行で、中身の8割がわかることを書け結局は要約して冒頭に書けと言っているが、案外人々はできていない。人は忙しいのだ。長文をぶつけなきゃいけないとして、言いたいことがどこにあるかわからないと相手は不満を持つ。

謝らない技術

客商売の仕事をしているので、お客様に返信を返す必要がある。私は若手の頃はサポートセンターにいて電話を取っていて、かなり得をしている。技術的なことを、正確かつわかりやすく相手に伝えることは実は難しい。意味は合っていても相手に理解できるかは別だ。相手に伝わらなかった場合は、正しいことも誤りとなる。コミュニケーションの中でどんな表現をすれば相手に伝わりやすいか、についてはまた別の機会に話してみたい。 今回は、謝らない技術、と書いた。これには理由があって、若手が顧客対応をする時、と

ありのまま、から一歩先に進む

ありのままで~、という曲が流行ったのは10年前頃か。人々は、周りの人々の同調圧力に負け、自分の思いややりたいことを抑圧していないか。そんなテーマだった。このテーマはそれからも現代の主流となっている。 一方で、自分を飾り立てる人々の有り様も変わっておらず、SNSでは見栄の張り合いとなっている。自己ブランディングを成功させつつ、その誉れ高いイメージの中で自分を社会に表現していきたいと思っている人が多そうだ。ありのまま?、とんでもない。社会から見た自分は自身でコントロールすべきも

noteがいいのか、ブログがいいのか

ブログからnoteに移って10か月ほど経ちます。ブログでは6年ほどで3000記事くらい作ったのですが、個人ブログ自体がどうにも斜陽にあったので、ばっさり捨ててnoteに移っています。 noteでは、メンバーシップを利用していて無料公開はしていません。Web広告がありませんから、モチベーション維持のために少々の料金を頂いております。 読者の方はブログで私のことをお知りになって、メンバーシップに入ってくださった方が多いです。でも、中にはXで見かけたり、noteで気になったり、

最後は俯瞰できるかどうか、になる

今の私の仕事は完全に新規事業から始めたが、随分大きくなった。たくさんの顧客を抱えるために、並行で色々なことが起きる。一個一個の難易度はそこまで高くないと思う。ただ同時並行で、かつタスク間に依存関係と、優先順位がある。そこにチームメンバーが登場することもあり、まさに複雑な状況となる。ちっとも落ち着かないし、やっとクリーンになったと思ったら後ろで何か起こっている。 自分に任せられたタスクを準備したり、そのタスクが関係しているタスクを担当しているメンバーとコミュニケーションを取っ

広い意味でのコミュニケーション能力を捉えたら、社会の見方が変わる

子供の頃は、コミュニケーション能力のことを、対人会話のことと捉えがちだろう。あの学校という狭い社会が悪い。弁が立つ人間を優遇し、そうでない人間を冷遇する。学校生活で会話を苦手に思ってしまった人は、社会に出ても不安感を持つだろう。できるだけ会話がない、もしくは会話が仕事の成果と結びつかない仕事を選ぶだろう。 しかし最近は、学校から離れて時間が経つことも関係して、違う見方をするようになっている。 コミュニケーションとは、誰かに何かを一方向で(片道で)伝える能力があれば成立する

人付き合いが疲れることをもっと大きな声で言っていいはずなんだ

この前、集団行動を経験したんだけど、集団の中には大騒ぎしたりおしゃべりし続けたりする人たちが必ずいる。本質的に人付き合いを好む人たちがいることは知っていて、心の底から交流を願い、心の底から楽しんでいるらしい。明るい声を出し、笑い、楽しいらしい。一方で私のように、誰かと薄く広く交流することはできるけれども、心が疲れる人間もいる。社会生活に必要なやりとりは否定しないけれど、できるだけ静かにいたいと心から思っている。 その中間で、他人からは明るく思われたい。だから辛いけど、疲れる

あきらめる時のエビデンス

この前、昔やっていたブログを閉じた。あそこにはいろんな思い出や心の動きが残っていたけれど、もう一度盛り上げるにはこのnoteとコンセプトがに過ぎていた。最近は、度々古いブログを更新しようとしていたけれど、そこまで読まれることもない。それなら、このnoteに集中すべきだと考えた。 何かを始めてもいつかやめることになる。あきらめるときが現れる。何でも初めてすぐにあきらめていたら、何にも物にならず時間だけが過ぎていくから、あきらめ時を適切に見極める必要がある。

色んな場所に行った夏

この夏は色んな場所に行ったので、ストックからよく撮れた写真をコメント付きで披露しよう。そろそろ秋になるらしいから。ちなみに扉絵は迎賓館です。 渋谷は大開発が進んでいるが、その外れの外れにある渋谷ブリッジという建物。私は基本的に人がいないところを好む。ここには保育所もあり、基本は平日の設備なんだろう。元々東横線が通っていて、急に静かになった場所。しばらく眺めていたくなる。 鉄道博物館での一コマ。もう何の電車か覚えていないけど、シンメトリーと色使いがもはやアート。 新富町で

他人が当たり前に持っているのに、自分には無いもの

コンプレックス、という言葉は私が若い時に流行したけど最近は言わなくなった。自己肯定感と言う言葉でうまく言い換えられてしまったようだ。劣等感、が私にはしっくりくる。劣ってると言っても、他人と比べた時に、優れている部分もあれば劣っている部分もあって当然だ。違う人物なのだから。なのに自分だけに備わっていないと焦る。特に学校生活は集団行動が前提なので、絶えず周りに他人がいて、自然と自分を比べてしまう。 別にそんな能力自分の中になくたっていい、その分、他人にない能力を自分の中で見つけ

ネットから、作文が消えている?

インターネットには、元々は個人が書いた作文だけしかなかった。当初から見ているので知っている。画像すら無理だった。広告なんてなかった。世界中の人がポストしまくって情報交換したらすごい、という発想で始まったインターネットは、瞬く間に世界を変え、完全に時代は変わってしまった。 その後画像の送信くらいは問題ない状況がやってきて、そしてブログが流行した。それまではHTMLを知ってコーディングしていたのが、ワードでドキュメントを作るように文書を作り、簡単にインターネットに公開できるよう

無責任な我々

日本は民主主義の国であるという前置きは誰しも知っていることだが、民主主義が万能であるというのはアメリカの影響が最も大きい。もともと輸入ものである。民主主義の地盤などこれっぽっちも無かったのがこの国だ。それが、教育の効果もあって、民主主義であれば未来は素晴らしいとほとんどの人が思っている。 民主主義は自由と結びつくが、案外この世には自由は少ない。島国に一億人の人が住むのだもの。結構な制約を設けなければ利害関係が衝突してしまう。民主主義であるから自由なのだというのは思い込みであ

意味がないからやらない、を続けていると人生が詰む

図書館に行くことなんて大学卒業以来、全く無かったのだが、最近orangeitems photosの取材で何度か足を運んでいる。 図書館に意味を見出せないのに図書館に行くのだから、手ぶらで帰ることになると覚悟して足を踏み入れるが、予想通り収穫を得て帰ることになる。今回は図書館の話ではないから詳しくは語らないが、また、図書館には改めて来ようと思った。 意味がないからやらない、という行動理念を続けて人生を継続すると、余計な知恵ばかりついた結果、何をやっても意味がない、まで到達す