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会社で、すごく良いビジネスを行い、組織も盤石で、退職率も低く幹部も固定されている、と言う場合、幹部を集めると、ほぼ同じメンバーとなる。 同じメンバーが手分けして会社の経営を担うので、それぞれのメンバーが狂わない限りは会社は安定する。むしろ経験は積み重なっていくわけだから、去年より今年、今年より来年の方が能力も高くなる。人間は成長していくのだから。 ところが、この状況を放置しておくと、集まったメンバーが毎年、一歳年齢が上がることは確実だ。十年経つと十歳、年齢が上がっている。
私がマネージャーとして誰かを管理している時の話。ただこの話はもう20年以上前の話である。 SESで十数人が他社常駐している中で、私はSES軍団の中のマネージャーとして置かれた。私は若いながらも仕事はめちゃできて顧客にも評判が良かったので、状況的に年齢を度外視してマネージャー扱いとなった。 ある日、私のチームのメンバーの一人に対し、常駐している会社の社員の方から「あの方の仕事っぷりがあまりよくない」という話を聴いた。どう悪いんですか、そうなんですか。色々情報収集をして、それ
立場上、よく部下のスケジュール作成をレビュー(確認)する。レビューしていて気が付いたことを指摘するのだが、必ず守るべきポイントというのが存在していて、かつそれらをよく部下が踏んでくるので、ここでまとめておこうと思う。レビューされる人も、わざわざレビューで指摘されるのもしゃくだろうから、気を付けて頂けるとありがたいかな、と思って書く。
もはやコロナに一度でもなった人の方が多いかもしれないけど、遂に私も本日陽性の判決が降りたので、記録として残しておこうと思う。あんだけ世の中が盛り上がっていたころは一度もかかってなかったのに、皆が忘れかけた頃にこれである。私はかかりにくいんだって認識もウソだったね。 1日目:睡眠時の関節の痛み多分、うつされたのは、あの飲み会だな、っていう飲み会がある。過去、飲み会の時に席がアクリルで区切られていたこともあったけど今は昔。何人かの方とたくさんお話させて頂いたが、その誰かが私にう
小さなチームの中で、部下が育たん!を繰り返していた私だったが、このところ優秀な部下が育ち活躍している。そのおかげで、私が全部のことを把握しコントロールしなければいけなかった状況が変わってきた。部下がほとんどを把握してくれるようになり、その中で高度な判断が必要になったときだけ私に連絡が来るようになった。 ちょっとだけ私も不安である。全てが把握できない。私は一人で部下は結構いるので、そりゃ一人で把握すること自体が今まで無理をしていた。ただ少なくない部下の人達がそれぞれ機能し出す
不思議なことに、私はあまり他人の記事を読むことは少なく、見るとしても流し読み程度だ。というのも、ほとんどの記事が人に読ませるようになっていない。文の構造や展開自体に違和感があると集中力が途切れて、もういいや、となってしまう。 そういう感性が自分自身にも働いて、ブログを始める前は自分が物書きなんてありえない、と思っていたのだが、いざ始めてみると7年以上毎日書けるのであるから、適性というのはよくわからない。 さあ、私は何を、記事を作るときに気にしているのだろうか。それは、読み
最近の教育論は基本的に人を褒めて伸ばす、だね。叱られてもシュンとするばかりでモチベーションは落ちるし、怒られないように事を為そうとする態度を養うと、自発的には何もしなくなる。それなら褒めるを繰り返す方が、人は生理的にうれしいからもっとがんばるだろう、と。そりゃそうだね、ロジックは合ってる。 でもさ、私自身は褒められた記憶が無い。できてあたりまえじゃ、できないのは気の緩みじゃ、と言う雰囲気は昔に確実に会った。私の世代(40代)まではその考え方が現役だった。今の20代はもはや褒
若手のプレゼンを見ることがあって、とても優秀な人たちだけどやっぱり、気を付けないといけないことを平気で踏んでくるなと思ったので、ここに書いておく。当たり前なことばかりかもしれないけど、どの人たちもできていなかったからね。 ①正面を向くことわかるよ、先輩方を前にして話をするのは恐怖よね。でも、プレゼンターとして立ったからには堂々としなさい。後ろの投影に目をやって読んでる人もいたけどだめ。自分が発表する内容は頭の中に入れておいて、自分の言葉でしゃべるのが理想よ。 音読するのな
まあまあそれなりに出世しているので、メンバーレベルから経営に近い層まで、仕事の負担のようなものは可視化できている。会社によっても立場によっても、仕事の内容は変わってくるだろうが、ある程度の傾向のようなものはある。 係長から課長、課長から部長、出世によって責任の内容が増えていくのはこれはしょうがない。責任がね、初めは与えられたタスクをこなす、だった。問題があれば上司に報告すればいいだけだった。それがしばらくしたら報告を受けることも仕事になる。自分のタスクもこなしながら、である
過去の教育が暗記主体で考える力が不足していると言う時代があり、それから考える教育へ変わって行った頃をリアルタイムに見て来た。その結果が今の若手だと思うのだが、なんだか危なっかしいなと感じることがあるので書いておく。 何か課題が突き付けられたとき、彼らはわかりません、知りませんとは言わない。何か答えを探して見つけるようにはなっている。それは、私たちの世代が暗記主体だったから、暗記していないことは知りませんということを良くないとされてから、何か答えは出さないといけなくなったのだ
子ども時代から今までを思い返してみたら、そういえば若い頃の方が緊張と戦ってきた。 学校の試験はあまり緊張していなかった。まあ答案を解くことを一人でやればいいので緊張することより問題を解くことの方に気が向き、気にならなかったのだろう。 緊張したと言えば、子どもの頃にやっていた剣道の公式試合のとき。あの独特のスポーツの緊張感は、きっと「人に見られる」ということが契機となっているはずだ。そこでの勝ち負けを人は注目し、勝ちたいと強く思うことと、自分を良く見せたいという欲が重なって
社会人になってからの知恵。 20代で業界に入って、始めのうちは言われたことをするだけで良かった。言われたことはそんなに難しいことはなかったので適当にこなし、余った時間をしれっと勉強に充てていた。そうやって周りと差をつけていったのを記憶している。 さて、その段階は過ぎて、人の世話をしたり将来の話の準備をしたり、みたいなリーダーやマネージャーの真似みたいな仕事をするようになる。情報量がどんどん上がる。自分のことだけやればよかった時代とは大違いだ。自分のことができるのは当然。チ
私はブログ開設から6年半記事を書き続けているが、欠かさずネットを見て感じるスタイルである。だからこそネットが今どんな状況なのかの変遷を見てきてけど、ここ最近のつまらなさは特筆すべきである。 どうつまらないかは主観的な話なので置いておくが、共感する方だけ読み進めて欲しい。 なぜつまらなくなったか。これは書き手の変質が大きい。書く人が学んだ。何か刺激的なことを書くと炎上する、と言う体験をした人が多くなった。故に、人々に隙が無くなってきた。隙が無い事でネタが無くなり、ネットは平
テレビ東京をぼんやり流していたら、今後のマネジメント論はどうあるべきか、という番組をやっていた。パネラーが7人くらいいただろうか。それぞれマネジメントの本を出している方達で手元に自分の本を持っていた。本が売れるといいので宣伝しにきた感じだね。パネラー達は意見を戦わせているのではなく、好き勝手に自分の意見を言い合っているだけのように見えた。確かに、マネジメントの形は人それぞれで違っていいからね。 基本的に人々はマネージャー教育を受けないまま、実務能力が高いことでマネジメントを