アドリアン・フルティガーによる前書き全文
9月24日に全国書店で発売予定のエミール・ルーダー著「タイポグラフィ─タイポグラフィ的造形の手引き」。最新は第9版ですが、1980年代に刊行された第4版の前書きにスイスの書体デザイナー・グラフィックデザイナーであるアドリアン・フルティガーが文章を寄せています。
前回も紹介したフルティガーの文章に、いまこの書籍の日本語版を刊行する意義として読むことができる内容がありますので、今回は全文を紹介しましょう。こちらを読みつつ、日本語版の登場を期待していただければと思います(予約いただけるとうれしいです)。
※下記は制作中の本書内容であり、予告なしに変更されることがあります。
本書はある決意に満ちた人物による意思の表明であるとともに、彼が同時代の文化に残した大いなる遺産でもある。
エミール・ルーダーの仕事の始まりは終戦直後にさかのぼる。その当時、ほとんどすべての応用芸術の領域では時代に即した新しい表現形式の兆しが見られず、停滞した時期にあった。そんな中、ルーダーは時代遅れの因習的なタイポグラフィの規則から脱却し、近代という時代に即した新しい構成法則を確立した。
その刊行から20年を経て本書はいま第4版を数えようとしている。この事実は本書が原理的にまったく新しい教科書であったことを証明している。その後に続く世代のタイポグラファやグラフィックデザイナーたちは本書を足がかりに歩を進め、また、これからもそうし続けるであろう。
エミール・ルーダーにとって余白は単なる生気の無い、文字や装飾によって自在に覆われるべき紙の表面ではない。ルーダーの手にかかれば〔文字や図の〕後ろへと退くものとされていた余白が、活き活きと活動的な前景へと変容される。ここではあらゆる組版が、黒と白が互いにせめぎ合う一幅の絵画となる。それらはしばしば深さの効果を伴い、眼が行や列によって空間的に誘導される。
文字、単語、テキストの固まりが完全に判読可能な要素としてスペースに配列される一方で、紙上を舞台に運動する形象となる。ここでは活字によるデザイン、すなわちタイポグラフィが舞台演劇に近づくと言っていいかもしれない。
絵画的な表現への傾倒を見せながらも、エミール・ルーダーのデザインは印刷物の本義 ―判読性 ― をおろそかにしたただの戯れに陥ることはない。ルーダーは本書の序論で次のように述べる。すなわち、「読めない印刷物は目的を持たない制作物である」。
本書が比類するもの無い「手引き」であることは確かである。しかし、それ以上のものでもある。つまり、全体の構成、各テーマの取り扱い、相似とコントラストの対照、豊富な図像、美しく調和されたコンポジションにおいて、本書は完成されたマスターピースなのである。正しいプロポーションについて解説するためだけの作例の向こうにも、日常の問題を越えて人間の知を教示、例証しようとする豊かな哲学が浮かび上がる。
エミール・ルーダーはまぎれもなく、その仕事を通じて20世紀中葉のタイポグラフィに足跡を残した。それは二つの側面において達成された。まず直接的には彼自身の作品の衝撃を通じて。そして間接的には、彼の教えと数多くの生徒たちを通じて。教師として、巨匠として、傑出した人物としてルーダーが与えた影響は、その教え子たちを通じて今日なお世界中で受け継がれているのである。
アドリアン・フルティガー
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