たのしい授業がつなぐもの
10年前に担任した子どもたちとの再会物語
これは,10年前に「たのしい授業」で担任した卒業生たちと,タイムカプセルをあけたときのお話です。
●10年前の話
今からちょうど10 年前,僕が 30 歳のとき。5・6年と持ち上がって担任した子どもたちと,涙の卒業式をしていた。卒業させるのは初めての経験だった。6年生が退場するとき,合図を出すためにみんなの前に担任が立つ。クラスは6年2組だったので,1組が退場している間ずっと,僕が出す起立の合図を見るために顔をあげている子どもたちが,僕を見つめていた。2年間のいろいろな思い出が,自然とよみがえってきてしょうがない。何人かの女子が泣いているのをみて,僕の涙も溢れだし,頬を流れた。
この子たちは,僕の「たのしい授業」元年。新任3年目に担任させてもらった子どもたちだったが,この子たちが僕のその後の教師人生を,大きく形づくってくれた。
***
初担任で受け持った5年生たちには,なかなか楽しい思いをさせてあげることができなかった。当時の僕には引き出しがなさすぎたのに,人のマネをすることには極度に抵抗があった。
人より長く学生をやってしまったものだから,変なプライドがあったのかもしれない。教師になってすぐに,僕は担任の仕事に挫折した。
次の年に担任した2年生は,授業運営が格段にラクだった。1年生の時に前担任に鍛えられ,授業のルールがしっかり身についた子どもたちだった。
だから僕は,「厳しくしなければ,学ばせたいことも学ばせられない」と考えるようになり,〈きびしい教師〉をめざした。けれど,それも僕の性格上,長続きはしなかった。僕自身,学校の仕事がつまらなくなってしまった。やめようか,どうしようか。そんなこともおぼろげに考えた。
***
そんな中,再び5年生を担任させてもらえることになったのがこの子たちだった。僕の中では,起死回生のチャンスだった。初任の時の後悔。あんな思いはもうしたくないし,子どもたちにもさせたくない。誰の手を借りてでも,毎日をたのしく送れるクラスを作りたい。そう思って,子どもたちが喜びそうなことは,何でも取り入れた。休みの日にもサークルにも通って〈たのしい授業〉の勉強した。そんな授業は,子どもたちに喜ばれた。僕というキャラクターが喜ばれたわけでは決してなかったと思うが,たのしい授業での子どもたちの笑顔は,僕をやる気にさせてくれた。
このまま6年生の担任に上がれるのかは心配だったけれど,本当に持ち上がれたときには,子どもたちも一緒に喜んでくれた。いい子たちとの,無我夢中の楽しい2年間だった。
●できあがってきた「卒業アルバム」を見て,あせる!
卒業式の前日。できあがってきた卒業アルバムを眺めていたら,驚いた。お隣3組のフリーページに,タイムカプセルを埋めた場所と,掘り返す日が記されているじゃないか! 卒業学年を担任したことがなかった僕は,タイムカプセルを埋めるなんて,考えてもみなかった。卒業式の日だというのに,すぐに子どもたちと相談した。
「オレたちも,タイムカプセルを埋めようぜ!」
卒業式が終わった次の日。集まれる子だけ集まって,タイムカプセルを作った。僕が用意した箱に,みんなで持ちよったものを入れた。僕はその様子をビデオカメラで撮影し,そのテープもそのままその箱の中に入れた。
どんな箱だったのかは忘れてしまったが,しっかりと封をして,ビニール袋を二重にしたことは覚えている。小学校の裏庭に,みんなで穴をほって,そのタイムカプセルを埋めた。体育館の階段の横だったか,前だったか。記憶はあいまいだが,みんなで覚えておこうと約束して,別れた。
掘り返す日は,10年後の2017年3月26日。その頃は,みんなとの修学旅行中に生まれた息子も小学校4年生で,僕の年齢も 40 歳。
「その時は,先生,オレらと一緒に酒飲みましょうね!」
と,ませたことを言うじゅんやくん。…遠い未来のように思えた。
●気がつけば10年
考えてみたら,その後にも計3回,卒業学年を担任することになるのだが,タイムカプセルを埋めたのは最初のこの子たちとだけだ。その後,僕は群馬に帰ってしまい,東京の教え子たちとは全く疎遠になってしまったけれど,年賀状をやりとりしている子どもたち数人とはつながっていて,気がつけば,「タイムカプセル開けるのって,今年でしたっけ,来年でしたっけ?」という年賀状をもらう年になった。
10 年…。
振り返ってみると,本当に幸せな教師生活を,この 10 年間過ごして来られた。
「授業はたのしいだけでいい」
僕の大好きな板倉聖宣さんの言葉。学校の常識にはなかなか合わない言葉だけれど,その大切さを教えてくれたのは,子どもの時のこの子たちだった。
6年生の時のお楽しみ会で,5年生の時にやった《ドライアイスであそぼう》という実験授業を,アンコールしてくれた。その授業で,昨年やったばっかりの問題を間違えまくり(笑),その授業中に「またやりてー!」って言ったこの子たち。僕はその出来事に,とんでもない衝撃を受けた。
「そうか,大事なことは覚えられるかどうかなんてことじゃない。続けていけるかどうかなんだ。楽しいことは何度でもやりたくなり,そして,ずっと学び続けられる。続けられるから,身についていくんだ。だから,授業はたのしいだけでいいって言い切れるんだ!」
と,板倉さんの言葉の意味が,初めて腑に落ちた瞬間だった。
それからは,完全に〈たのしい授業〉に舵をきった僕は,子どもたちと本当に幸せな 10年を過ごして来た。だから,この子たちは,僕のたのしい教師人生の恩人たちだともいえる。
そんな彼らが,もう22歳。「就職が決まったよ」「先生のおかげだよ」という連絡が届くようになった。
「先生のおかげってどういうことだろう?」と不思議に思いつつ,タイムカプセルを開ける約束と,一緒に酒を飲む約束を果たすべく,今年になってから連絡を取り始めた。
年賀状のやりとりをしていて「いつにします?」と書いてくれたはるかさんと,「教採に受かりました」っていうあかりさん,それに「就職できたの先生のおかげ」っていうじゅんやくんに声をかけ,その日の日直になってもらって,1日だけ10年前にタイムスリップするという企画を考えた。
職場の同僚の人に言わせると「え!?タイプカプセルを掘り返すだけじゃなくて,授業もするの? 頼まれたの?」と不思議がられる。「いえ,頼まれたわけじゃなくて,僕が授業をしたいって言って,部屋も取ってもらったんです」と言っても,半信半疑。「タイムカプセルだけならわかるけど,そんな計画でみんなが集まるの?」…そう思われるのも当然で,言われてみれば,心配になる。この忙しい時期に,丸一日の計画だ(笑)
こうしたのには,理由がいくつかある。
まず,僕は「タイムカプセルは見つからないのではないか」と思っている。10 年も前のことだし,埋めた場所も正確には覚えていない。工事で誰かに掘り起こされたかもしれないし,東日本大震災でつぶれてしまった可能性だってある。箱もどんなものに入れたのか忘れてしまった。
僕自身,初めての経験だし,ビニールを二重にしたくらいで10年も耐えられるとは思えない。先生方は口々に言う。「タイムカプセルは埋めないで,誰かの家で保管するものだよ」と。
言われてみれば確かにそうだ。でも,当時は「タイムカプセルは埋めるもの」だと疑いもしなかった。
タイムカプセルを楽しみに集まって,もしみつからなかったら,みんなガッカリしてしまうんじゃないだろうか…。そう考えたとき,「まぁ,みんなに会えること自体が,タイムカプセルを開けるようなものか。じゃあ,それを楽しんだらどうだろう」と考えた。
同時に,「再開したみんなと〈たのしい授業〉ができたら,あの頃に戻った感じを味わえるんじゃないかな」と思った。あの当時は,まだできなかった《授業書》の授業。僕の教師人生を変えてくれたこの子たちとも,ぜひ楽しみたい。純粋にそう思った。
それで立てた計画が,上記のような一日中のもの(笑)。我ながら,かなり欲張った計画だ。はるかさんへのメールでは,「自分の参加できる時間に合わせて,どこから参加してもいい」ということを,みんなに伝えてもらった。
僕の10年間のたのしい蓄積はこんなものではないが,みんなに楽しんでもらえそうな授業を選んだ。28 人のクラスだったので,授業の部は 10 人弱くらい集まればいい方かな,という予想を立てた。タイムカプセル発掘の作業を挟んで,入れ替わりがありながらも,5~6人は一日中でも付き合ってくれるのではないか。そんなふうに考えての計画だった。
●とんでもない日程を乗り越えて
3月のこの時期は毎年忙しいが,今年は特に目が回るほど多忙を極めた。通知表が書き終わってからも,要録を書きつつ,今年から全クラスが出すことに決まった「クラス文集」作成の作業と,「思い出 DVD づくり」を並行して進めた。3月 23 日は,4年生の時に担任した子どもたちが卒業の日を迎え,次の日がクラスの修了式だというのに,夜まで謝恩会をやってくれた(笑)。でも,思い入れのある学年だったので,たくさん感動させてもらった。
そのまま寝ないで朝まで作業し,クラス文集をなんとか完成させた。修了式のあと,クラスでは最後のさようならで泣き出す男の子がいて,もらい泣き。たくさんの感動的な手紙ももらい,この学年の子たちとも素敵な思い出を作れたことに幸せを感じた。
その後は,職員の打ち上げで,夜中まで飲んで,気がつけば朝(笑)。その日はなんと,自分の娘の卒園式で,今度は親として感動させてもらった。お世話になった先生方と,涙を共にした。
そんなこんなで,あっという間に夜になり,いよいよ明日は,「朝から10年前にタイムスリップする」という日程に,かなり焦った(笑)。
早めに娘たちを寝かしつけ,夜中に学校へもどった。一応,28人全員分の授業準備をして家に帰り,それから,家にしまってあった当時の写真やら,ビデオテープやらを探し出すと,タイムカプセルが見つからなくても映像が見られるように,簡単に写真と動画を編集。
ほとんど寝ないで朝を迎えたため,間に合うギリギリの7時の新幹線に乗れたことに安心し,大宮で乗り換えるはずがまさかの爆睡(!)。気がついたら東京駅に着いていた(笑)。中央線を駆使しても,僕がつく頃には,朝の会が終わっちゃうという時程にあきれつつ,でもなんとか授業には間に合いそうだと,そわそわしながら会場を訪れた。
●いい感じに予想が外れる
なんと,日直の子たちもビックリの,総勢 18 名が朝から集まってくれていた。「遅~い!!」と言われたので謝りつつ,謝るついでに聞いてみる。
「あの~,タイムカプセルはこの後で,午前中は僕の授業だってこと,わかって来てるの?」
〈うんうん〉とうなずく女の子たちの顔が大人になっていて,誰だかわからない(笑)。みんな,美男・美女の立派な大人に成長していて,ちょっと
焦った。大人になっているだろうなぁと予想はしていたけど,やっぱり僕のイメージは,10年前,6年生の時の子どもたちのままでストップしていたようだ。「先生,老けたね(笑)」って言われて,「最近,忙しくて,ちゃんと寝られてなくってさ。それがなかったら,もうちょっとマシなんだけどね!」と返したが,こんなにみんなが大人になったんだから,そりゃあ老けるわな,と思った。
みんなの大人になり具合には焦ったけど,これから授業をすることに関しては,ぜんぜん焦らずにいられる。それどころか,とてもワクワクする。
僕がみんなと10年ぶりに再開するにあたり「授業をすること」を選んだのは,そういう安心感が得られるという信頼が,〈たのしい授業〉にはあるからだ。僕と子どもたちを一緒に楽しませてくれるもの。そういう授業が存在することのありがたさを,ここでも感じることができる。
そしてそれは,僕と子どもたちだけの関係だけではなかったことを,後から読ませてもらったみんなの感想から知ることができた。
●たのしい授業がつなぐもの
・・・そうか。僕だけじゃなくて,みんなも久しぶりに,お互いに大人になった同級生との再会で,緊張したり,不安だったりしていたのだ。あかりさんは,僕の雰囲気がみんなを巻き込んだって書いてくれたけど,僕が自然体でいられるのは,〈たのしい授業〉があるおかげ。みんなが,自分らしく授業に関わって,その全てを認めてくれる雰囲気。僕が長く関わり続けて,信頼している理由がここにある。
では,僕の職場の同僚が唖然としていた,10年ぶりの授業の感想はどうだったのかというと・・・
さきさんやなつみさんの感想が嬉しい。あの頃も今も,変わらずに〈たのしい授業〉に関われていることを誇りに思う。そして,それを今でも受けたいと応援してくれること。こんなに幸せなことって,あるだろうか。
これらの感想を,授業の後すぐにみんなに読み聞かせていった。
こういう感想にも,ほんとうに和ませてもらえる。いろんな感想があって,どれも大切で,誰が欠けても,このクラスの温かい雰囲気にはならないんだよな,と思い出した。
覚えていたわけではなくて「思い出した」の方が正確だ。みんなが子どもだった頃,その様子をみていて,それまで忘れていた自分の子どもの頃の記憶が一気によみがえってきて,この話が書けたのだ。そんな君たちから「小学生のピュアな恋心がかわいい」なんて言われる日が来るとは考えもしなかったことで,微笑ましくなる。
改めて,みんなの感想に成長を感じる。小学校を卒業して10年。僕の知らないところで,様々な人と出会い,それぞれがいろいろな経験をして,いま,こうして大人になっているのだ。そんなみんなが,こうしてまた集まって,僕の授業を10年前と変わらずに楽しんでくれていることに,何だか不思議を感じてしまう。
朝の会もなく,ギリギリで入って来た10年前の担任が,突然,自分の初恋の話をし出す,まさかの展開(笑)。でも,終わってみれば,
という,高評価で1時間目が終了。とても嬉しい。
●みんなで楽しく給食の時間
日直さんがみんなにお弁当の注文を取ってくれて,取りに行くときにはたいへいくんが車を出してくれたみたい。机を向かい合わせて,お互いにみんなの顔が見える形にして,たのしくお弁当を食べた。この頃には,もうみんなの顔にも慣れて,小学生の時の顔がアップデートされた感じになって,違和感なく話せるようになった(笑)。みんな,大人になったね!
●いよいよ,タイムカプセルの掘り起こし
ようやくお腹が落ち着いたころ,あいにくの天気で小雨の降る中だったが,歩いて数分の母校に立ち入る。門が閉まっていたらどうしようと思ったが,開いていて助かった。元職場だけあって,スコップの場所もすぐにわかり,作業開始。僕の記憶では,埋めた場所は「新しくできたばかりの体育館の階段の横」。新しくできたところだから,10 年くらいは掘り返されないだろうと予想したことを思い出す。みんなが指し示したところも,僕の記憶と同じ場所だったので,確信を持って掘り始めた。
ところが,かなり掘ってみても,出てくるのはレンガや石ころばかり。30 分くらいかけて,ほぼ,考えられる一体は掘り返し,諦めかけていた頃,この日,国家試験を受けた後でかけつけてくれたあべくんが,わざわざ作業着に着替えてきて登場。「あれ!?そっちだったっけ?」と言って,階段の逆の側面を掘り始める。
僕は,(いや,そっちじゃなかったような気がするな。そっちだったら,階段の前の方が可能性があるかも?)と思ったが,自分の記憶というのも当てにならないものだし,埋めた本人であるあべくんの記憶にかけてみることにした。
「小学生が,こんなに深く穴を掘れるかなぁ」と言いながら,かなり深くまで掘っていく。僕は穴掘りを手伝った記憶が全くないので,おそらく,子どもたちが穴を掘って埋めたことは間違いない。だから,その場所もきっと間違いで,残念だけど,もうタイムカプセルは見つからないだろう,と思ったとき,「あった!これじゃないかな?」とあべくん。
実は,この「これじゃない?」というくだりは,レンガや岩やパイプなどで何度も裏切られてきたので,最初は全然信用できなかったのが,「ビニールでがっちり保存されてる。これだったら大丈夫じゃないかな」とか,「青い箱に入れた?」などと具体的な情報が聞かれてきて,寒いから早く帰ろうと思っていた女子たちも,穴をのぞきだした。僕は掘り返した反対側を完全に埋めて,そろそろ諦めて戻るか,と思っていたところだったので,これにはかなり驚いた。なんと,10年前に埋めたタイムカプセルを,本当に発見したのだ!
その場所を正確に覚えていたのは,20 人中,あべくんだけだったことになる。いや,あべくんが着替えるために少し遅れてきたために,僕らがなんとなくまとめてしまった予想に,違和感を感じられたのかもしれない。その場に一緒にいたら,もしかすると違う選択肢の可能性を受け入れてしまったかもしれない,とも思った。
掘り出された実物の箱をみて,ようやく当時のことを思い出した。水漏れしないことを考えて,ホームセンターで発泡スチロールの箱を買ってきたこと。テープで何重にも固定したあと,ビニール袋で二重にして,しっかりと防水したこと。当時はこれで完璧だと思ったものだ。
しかし,部屋に戻ってワクワクしながら中を開けてみると,グチョグチョになって全然読めない手紙やノートの山(笑)。箱の中で,さらに缶に入れられていた手紙などは,奇跡的に読めたものもあったが,それ以外は全て解読不能で,みんなガッカリした様子。
僕がタイムカプセルを埋める直前までの様子を撮影し,そのまま防水を施して箱に入れたテープも,あまり濡れていない状態で発見されたが,肝心のテープの部分がカビていて,残念ながら再生することはできなかった。カプセルを見つけたのが感動的だっただけに,中身にはガッカリしたが,逆に,読めてしまったじゅんたくんの手紙は,みんなの前で読まされることになり,恥ずかしそうだった。でも,すごく真っ直ぐな夢を語っている昔の自分に「背筋が伸されたよ」というじゅんたくんの様子に,みんながホッコリした。
せっかく,その時のテープを見ようと,プロジェクターを借りてもらったので,こんな事も予想していた僕が,昨晩のうちに昔の写真や動画を編集しておいたものを見てもらった。ちょっと,タイムスリップをした感じを味わってもらえたようで,準備しておいてよかったな,と思った。
●あの頃はまだ始めていなかった仮説実験授業
僕とこの子たちの「たのしい授業・元年」に,本格的な科学の授業,「仮説実験授業」は,まだなかった。
「授業はたのしいだけでいい」。その最も大事なことを僕に教えてくたこの子たちに,その後に始めてハマっていった,授業書の授業を体験させてあげられなかったのは,実は,ずっと気がかりだった。
その夢が,10 年越しに叶う日がきたのだ。選んだのは《自由電子が見えたなら》。第2部までやって,食塩水の実験で,これから社会人になるみんなに,大事なことを伝えよう,と思った。
実験に使うのは,乾電池を使った回路。電気が通ると,わかりやすく豆電球が点灯し,なおかつ,ブザーが「ブー」っと鳴る。試しに,スプーンはどうか試し,ちゃんと電球がついて「ブーッ」と鳴ることを確認する。
さて,〔問題1〕の予想はというと,大人になったみんなも,予想はアとイで半々。注目の中,実験してみると…「ピカッ」っと光るのと同時に「ブー」という音が。正解は「ア.明るくつく」。みんなで,「へー」という感想。どうやら,アに手をあげていた人も100%自信をもって「つく」と思っていたわけではないようだ。
一番難しい一円玉がつくとわかったので,次の五円玉は,「つく」という予想がほどんど。でも,「つかない」という予想が0人になることはなかった。学校の授業では「金属は電気を通しやすい」と教わる。けれど,知識として教わったところで,そうそう,簡単に信じられるわけではないということを,みんなの様子が語ってくれる。しかし,〈真ちゅう〉でできた五円玉が「つく」という実験を見てからは,銅の十円,白銅の百円は,自信を持って手を挙げられるようになってきた。「やっぱり,金属は電気を通しやすいんだな…」と納得がいくようになるからだ(もしくは,そう考えた方が正しそうだと思えるようになるのか)。知識というのは,押しつけられると拒絶反応(勉強嫌い)が起こるが,自分から「そうかもしれないな」と納得できてようやく,自分のものとして使えるようになるのかもしない。
そこで,次は
という問題。
電極を付ける場所は,野口英世の頭とあごの部分。今回は金属ではなく「紙」。でも,「つく」に手をあげる人もいた。
教育効果というのは偉大なもだ。ずっとコインがついてきたから「お金というものは全部つく?」と考えることもできる。もしくは,「この光っているのは金属なのでは?」と予想して,「つくかも?」と思うこともある。
しかし,実験の結果は…がんばっても,つかない。正解はイ。理由は,お札が「紙」だから。紙は電気を通しにくいのだ。
***
続いての問題は,「アルミホイル」。先ほどの千円札で「紙はつかない」とわかったけれど,「アルミホイル」は紙のようでもあり,金属のようでもある。
これも予想は割れたが,正解は「明るくつく」。
お次は,台所用品つながりで「サランラップ」。キラキラしてるからどうかな?と考えて,これも予想は別れたが,これは「つかない」。材質はプラスチック。
さらに,「木のおはし」,「鉄釘」,「スチールウール」,「お茶碗」,「鉛筆の芯」と続く。予想が別れたのは「鉛筆の芯」だったが,これは,なんと「つく」という結果。
そこで,ようやく「まとめの話」。
いきなりこんなことを教わっても腑に落ちないと思うが,実験を繰り返してくると,「まぁ,そうかもしれないな」とか「しょうがない。そう考えた方が正しそうだ」と納得していくことができる。
人が本当の意味で知識を習得するためには,科学の成果を知識として教えられて覚えていくだけではダメなのだ。考えていく順序があったり,とても時間がかかったりするのは当然なことなのだということを,授業書の授業はいつでも僕らに教えてくれる。
これを事実を知ったとき,大人になってからの僕は,とても感動した。中学・高校で教わる〈自由電子〉は,ただの知識でしかなかったが,実は「ピカピカしているところにたくさんあると思っていい」ということがわかるだけで,とっても身近に思えてくるし,応用がきくようになる。
その後も,「アラザンは電気を通すのか?」や,「金色の折り紙は電気を通すのか?」など,予想が分かれる問題を重ね,自由電子が見えてくるようになったてきた。
水銀の問題で,その原理を使った「居眠り防止アラーム」を紹介したら,「先生,なんでこれがあったのに今朝は使って来なかったの?」と笑われた。うまいこと言うなぁ。
そして,自由電子がありありとイメージできるようになったころ,大人になるみんなへのメッセージをこめた,最後のお話に入る。
●最後の問題と,僕がみんなに伝えたかったこと
最後に,こんな問題をやった。コップに水をいれて,ここに電極を入れたら,豆電球はつくか?という問題。
これは,自分の経験や,習ったことを思い出しつつ,意見が割れた。
「よく見なよ。金ピカ・銀ピカじゃないじゃん」
「いや,よく雷が鳴ってるときは,プールは危ないから入れないっていうよ?」
どっちも正しそうだが,どちらなのか。みんなが見守る中,電極を両方水の中へ。・・・結果は,
つかない。
接触不良かな?という声もあったので,線を近づけてみるが・・・
やっぱり,つかない。結果は,「イ.つかない」だ。
「みんな,ここに,自由電子が見える?」
・・・そう。銀ピカでなければ,そこには自由電子はいないのだ。
そこで,今度はコンセントを使って,「電圧を100ボルトにしてみる」という実験を決行。乾電池では3ボルトだったので,今度はつくだろうと予想。これは,明るくつきそうな気がするが…。
結果は「つかない」。
電極を近づけてみても「つかない」。
100ボルトくらいでは,電気を通さないのだ。
みんなでびっくり。「へー!そんなに!」
でも,コップの中に〈塩〉を入れてかき混ぜて,そこに電極を入れてみると…
「おー!」
「わー!ついたー!」
「すごい威力!」
「塩スゴイ!!」
では,いよいよ,本当に最後の問題。
「最後だから,みんなでしっかり正解しようね!」と発破をかける。
最後だから,みんなで気持ちよく正解しよう!と言っているのに,イに手をあげたのは,先ほど一人でタイムカプセルを掘り当てたあべくん。
みんなに「おいおい」と言われつつ,変更は特になし。
そして,そのまま最後の実験へ。
●「主体性」は簡単にはつぶせない
では,やってみます。
・・・つかない。
線を近づけてみます。
・・・つかない。
正解は,つかないです!
またまた,あべくんのひとり正解!!
みんな「えー!!」
いやいや,みんな,ここに,自由電子が見えるかい? 自由電子なんて見えないでしょう。キラキラしていますか? この授業では,そればっかりなんですけどね(笑)。
なかなか先生の言うことを聞きませんねー。主体性のある人間はダメですねー。
・・・なんてね。みんなは,先生の言うことを聞かない人を,「しょうがない人だ」と思いますか? テストで点が取れないと「ダメな子だ」と思いますか? 僕はそうは思いません。心から。
一生懸命考えるから,間違えるわけでしょ。
テストが答えてほしい通りなんて,考えたくないんだ。
じゃあ,そういう子は「ダメな子か?」と聞かれたら,僕は逆に,「よく考えられる子だ」と思います。アを選んだ19人の子が「ダメな子」だったら大変です(笑)。
だから,間違えた自分のことを誉めてあげてほしいです。とっても主体性のある人間なんです。言うことを聞かないんだから,優等生にはなれないかもしれない。でもそれは,やはり素晴らしいことだと思います。「頭がよくなければ,間違えられない」わけですからね。
それと同時に,無理に我を張ったり主体性を発揮しようとしないで,「しょうがない,この際は科学に従おう。そうしないと勝てないからな」「やっぱり科学というものは素晴らしいからな」と考えて,「自由電子が見えないから〈イ〉を選んだ」というあべくん。
これも素晴らしいことです。いや,周りのみんながアを選ぶ中,教わったものを信じたあべくんの方が,主体性があると言うべきかもしれません。だからやっぱり素晴らしい。
結局,一生懸命考えたら,すべて素晴らしいのです。「こっちの人間が素晴らしくて,こっちの人間はダメ」という座標は,科学には一切ないのです。どっちも素晴らしい。
しかも,両方いて,いろいろ考えるから,新しいことが見つかるわけでしょ。僕ら人間は,そういうふうに考えを科学的に積み重ねてきて,今に至っているんだね。
だから,どうか,自分の〈自信〉だけはなくさないでほしいと思ってます。間違ったら,「人と違う考え方ができた自分を〈誉める〉」ようにしましょう。自分の自信さえなくさなければ,人は,たのしく生きていけるし,新しいことをどんどん学ぶことができます。賢くなり続けられるのです。
けれど,「どうせオレなんて…」と思ったら,もう,何も学ぶ気がなくなって,成長はそこでストップしてしまいます。大事なのは,〈意欲と自信〉の育て方であり,それは,自分自身とのつきあい方でもあると,僕は思っています。
もう社会人をやっている人も,これから社会人になる人も,どうか,自分の考えや,仲間の考えを大切にして,たのしく生きていってくださいね。
***
そんなメッセージをこめて,この授業を選んだのだ。
引用文献
板倉聖宣『仮説実験授業の考え方~アマチュア精神の復権』(仮説社)より
4月から新社会人になって働き始めるという人もいれば,もう職場で中堅になっているという人,今日まさに国家試験を受けた人,保育園を退職してマンガ家をめざす人,学生続けて薬剤師をめざす人,留学する人がいたり,商社マンをめざす人がいたり,管理栄養士がいたり,看護師の卵がいたり,発展途上国に学校を立てる人(!)がいたり,はたまた,1ヶ月後にはお母さんになる人まで,本当に多彩な生き方をしているみんなに再会できたことは,僕にとっても,ものすごく元気がもらえた夢のような時間だった。
あかりさんは,教員採用試験を突破して,この4月から先生になるそうだ。教師は,やりがいのある仕事だけれど,本当に楽しんで続けられる先生は一握り程度が現状の,過酷な職業だとも思う。でも,そんな教師の仕事をめざし,僕の授業から〈人と出会うことの素晴らしさ〉を感じ取れるあかりさんは,きっと,ステキな先生になれると思うし,僕も同じ職業の仲間として,頼もしいなと思った。
このクラスから先生をめざしているというこうへいくんとあつしくんの2人もそうだ。そんなふうにして先生になっていく人たちに,また教わる子どもたちがいる。たのしい授業がつないでいく大きさを感じることができた,本当にステキな出来事だった。
おしまい
・・・その後,飲み会にもみんなが残ってくれて,また,昼間には来られなかった人たちも駆けつけてくれて,話が盛り上がり,忘れられない感動的な夜になりました。じゅんやくんと一緒に酒を飲む約束を果たせ,帰りたくなくなりました(笑)。またやりましょう。
※子どもたちの名前は全て仮名です。
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