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子どもにとって大切なもの

●はじめての授業書は?

 「小学校の現場で,はじめて仮説実験授業をやってみるなら,どの授業書がいい?」
  
そう聞かれたら,ぼくは迷わず「《空気と水》がいいよ!」と勧めるだろう。ぼく自身も,はじめて本格的に取り組むことができた授業書が,この《空気と水》だった。それ以来ずっと,子どもたちとの出会いの仮説実験授業は《空気と水》だ。

 子どもたちにとって,すごく身近な題材であるのに,聞かれてみると「あれ,どうなるのだろう?」と惑わされてしまう問題群。
 簡単な道具で実験できてしまうし,みんなでわくわく感を共有できる雰囲気が最高だ。
 水をはった水槽とコップだけで,こんなにも子どもたちを惹きつけられる方法を,これ以外にぼくは知らない。

 はじめて授業をする前には,「これって,やる必要あるのかな?」と思った〈スポイト競争〉も,やってみると,子どもたちは大盛り上がり。
 6年生でも例外なく夢中になり,子どもたちが操作を十分たのしめる要かなめになっているのだと,やってみてはじめて気づかされた。

 取り組んでいるうちに自然と〈空気が出た分だけ水が入る〉という原理・原則がつかめてくるのだから素晴らしい。
 100 円ショップのものだけど,一人一本スポイトをプレゼントしてあげると,子どもたちは大喜びだ。スポイトと,こんなにステキな出会いができることって,他にあるだろうか。

 すべて終わるまでに7,8時間はかかる授業なのに,最終回では「もう終わりなの?」「さみしい……」「もっとやりたい!」という声であふれかえる。

 もう10年以上,どの学年を担任しても,毎年のように新しく出会う子どもたちとこの授業をしているけれど,「これにしなければよかったよ」なんて思ったことは一度もないし,やる度に「ああ,今年も,この授業のおかげでステキな出会いができた!」という体験をさせてもらって,信頼感は高まる一方だ。

●この授業書にはウソがある?

 そんなことを,嬉しさと感謝をこめて,《空気と水》作成者の板倉聖宣さんに伝えたことがある。そうしたら,板倉さんも嬉しそうに,そして,ちょっと誇らしげに「あれは自分でもよくできた授業書だと思っています。なにがよかったかというと,思い切ったことをしてるんです。あれには,ちょっとだけ〈ウソ〉が入っているんですよ」と,わざとぼくを「えっ!?」と思わせるようなセリフを言われてから,こんな説明をしてくださった。

「あの実験をちゃんと説明しようと思ったら,大気圧や表面張力なんかの話もしなければ,本当は正確じゃないんだね。だけど,これまでの教育では,そんな〈正確な知識〉ばかりを大事にして,子どもがわからないことを次々に教え込んでしまったから,子どもたちは自分で考える意欲をなくしてしまったんだと思うんです。《空気と水》の授業書ではね,古代の科学者アリストテレスの〈自然は真空をきらう〉という考え方を使っていくことで,理解できるようになっているんだ。現代の科学からすると,それでは不十分なんだけど,子どもたちがのびのびと考えていくには十分通用する考え方なんだよ。ぼくは,そういうのを大切にして,授業書を作っているんだ」 

 ぼくはこれを聞いて,今までの常識を覆されたような衝撃を受けた。〈正確な知識〉よりも,〈子どもたちが意欲的に考えていける道筋〉の方を大切にしているという板倉さんの話は,極端に言ってしまえば,「正しい知識だからといって,何でも教えてしまってはいけないことがある」ということだ。
 そして,「意欲的になった子どもたちは,いずれ,本当のことに自分でたどり着くことができる」。そんなふうに,子どもたちの力を信頼しているんじゃないだろうか ── そう思った。

●子どもが喜ぶことを中心に

 いままで,《空気と水》の授業書に従って授業をしながら「どうしてこの授業は,子どもたちをこんなにも惹きつけてやまないのだろう?」と思っていたけれど,その謎が少しとけたような気がした。子どもたちの意欲がわくように問題を用意してあげなければ,それはただの〈知識の押しつけ〉になってしまい,授業は死んでしまうのだろう。
 子どもたちが躍動するような授業には,子どもたちが意欲をもって考え進められる〈たのしい問題群〉と,「そうだったのか!」と思わせてくれる〈お話〉,それに,〈一緒になって知恵を出し合い,予想し合える仲間たち〉が必要なのだ。

 絵本『空気と水のじっけん』(仮説社)のあとがきに,板倉さんは「この本のねらい」として,こんなことを書かれている。

 この本は,子どもたちに,自然についてのたくさんの知識をあたえようとするものではありません。
 この本は,子どもたち自身が,自然のなかから,おもしろいことがらを見つけ出せるように,「自然をみるときのめのつけどころ」を教えることをねらっているのです。
 子どもたちにいくら「自然をよく観察してみなさい」とか,「いろいろ工夫してみなさい」などといっても,子どもたちはなかなか自然の中からおもしろいことを見つけだせるものではありません。
 同じ自然をみるのでも,ある視点をきめて,系統的にみていってはじめて,「それまでまったく気のつかなかったようなおもしろいこと」が,いろいろと見つかるようになるのです。
 この本は,子どもたちが,自然についていろいろななぞをもって,しらべていく,いわば,「探求の精神」を養うことをねらっているのです。

※太字は峯岸

 この板倉さんのねらいは,子どもたちの様子にドンピシャに表れている。
 授業のあと,子どもたちはしきりに自分で気がついたことを,ぼくに教えに来てくれる。「おふろでもやってみたけど,大きなタライでもできたよ」とか,「ストローの上を指で押さえると水が出てこないのは,スポイトとおんなじだね」とか,「ペットボトルに横から穴を空けたって,小さい穴だったら水は出てこられないと思うよ」などなど……。
 子どもたちは,《空気と水》で学んだことを使って,空気の強さや,空気のないところへ水が入りこむ力などを,自分自身でイメージできるようになり,それを使って,生活の中の自然現象について主体的に考えられるようになってしまうのだ。そして,そうやってわかったことを,ついみんなに話してみたくなってしまう。
 こんな自然な学習の〈振り返り〉,普通の授業ではなかなかお目にかかれない。ただ知識を覚えさせたのでは,それを使ってこんなにも生き生きと考えたくなってしまうことなんてないだろう。

●子どもにとって大切なもの

 「自分が考えることで,世の中のことを理解していけるのだ」という体験は,きっとその子にかけがえのない〈自信〉を育んでくれる。その〈自信〉は,新しい問題を見つけたときの〈わかりたい〉という意欲を生み出し「生きていくことをたのしんでいける力」を与えてくれるのだと思う。

 たった数時間の授業で,そんなことができるようになるとは思えないけれど,この授業をしているときに子どもたちが見せる,本当に生き生きとした姿を目の当たりにすると,「子どもたちにとって大切なものは,いつでも,ここにあるんだ!」ということを,教えてもらっているような気がして心地いい。

 そんなことを求めて,きっとまた来年も,《空気と水》で授業開きの準備をしながら,わくわくしているぼくがいるのだろう。

おしまい


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