コンパッション、では足りない。ふひ〜
【Dr.コトー映画鑑賞大反省会とコンパッション地獄】
ドクターコトー大好きな中野先生と、映画の振り返りを行う機会を得ました。
中野先生とドクターコトーをきっかけに、コミュニティにおける医療のあり方や佇み方を考える、4時間レベルのイベント。全国からたくさんの参加者が濃厚に語り合いました。
さて、私たちの活動にもつながる気づきを、たくさん得ました。
「共同体的合理性」と「経済的合理性」の違いとバランスについて、中野先生とかなり深められたように思います。
絶妙に双方の合理性が崩れていく映画描写を引用しながら、私たちはどう医療や社会と向き合うのかを考える。
共同体的合理性は、まさにコンパッションなのかもしれない。
「災害医療におけるトリアージ」
「離島医療における診療所の統廃合」
「医師一人が地域住民全員の命を守ることは合理的じゃない」
「家族からも『先生』と呼ばれる。役割があることで存在がある共同体」
「『生きていたい』の意味。命、暮らし、人生。」
「卵焼きを焼く、という、闘い方」
「ずっと、ここで生きてきた。」「そして、ここに生きている。」(映画のコピー)
最近の「医療者は街に出るべし。」
みたいな風潮には、実は大きなズレがある。
自治医科大学出身の義務も含めて自己の活動として地域とがっぷり組み合ってきた人たちの根っこの想いはそう簡単には揺るがない。それこそ、ドクターコトーくらいでは揺るがない。
そして、中野先生は覚悟への向き合い方がハンパなかったり、
僕は医療者として自虐的になっていたり。
どれにも当てはまらない若者は楽しげに地域に出ていたり。
この現象は、見てるレイヤーが違いすぎるのだ、と理解できた(良い悪いではなく)
幸手の中野先生や小泉さんの活動は、いろいろ見てきたけれどやっぱり一番根っこが太く、でもそのせいで、すごく重厚感があって、苦しそうだ。
幸手モデル=中野先生、ではない。そこがポイントなのかもしれない。
幸手モデル=小泉さん、でもない。迫力とインパクトはあるが、そうではない。そこがやっぱりポイントなのかもしれない。
幸手モデルは、幸手のモデルなのだ。
コミュニティナースの矢田さんの活動と表現は、ずるい意味でこのレイヤーを行き来するので「医療者、街に出るべし」とはちょっと違うベースなのに、ノリに巻き込まれてしまう。そこはさすがだが・・・医師ではやはり無理なのかと残酷な気持ちにもなる。
コミュニティナースは、矢田明子さんのモデルなのだ。
まぁ、楽しければいいじゃん、という時代を間に挟むのいいかもしれない。
さて、そうすると、
秋山正子さんの「暮らしの保健室」と、オレンジの「みんなの保健室」の違いは何か。
マギーズセンターと、かあさんの家の違いは何か。違いはあるのか。
市民活動なのか、医療活動なのか、どっちでもないのか、どうでもいいのか。
街に出よう、とするときに、コンパッションを大事にするのか
街に出る時に、何を着て、どちらの足から踏み出すのかを考えるのか。
今日は半日、オレンジの臨床宗教師・木下克俊とLINEでやり取りしまくって、考え、瞑想し、迷走し、また瞑想している。
堀田聰子さんの「コンパッション都市」が数ヶ月前にやってきた。
これは相当大きなインパクト。
しかし、医療なのか、まちづくりなのか、政治なのか、科学なのか。
オレンジの臨床宗教師・木下克俊とディスカッションしていると、その歪みに気づく。
そして、実は僕はその歪みにちょっと納得できる。僕の地域医療観はいい意味で歪んでいる。僕はそこが気に入っている。
僕たちが、ほっちのロッヂでやろうとしてること、勝山オレンジクリニックがこれから向き合うべきこと、もちろん、それ以外のオレンジグループの活動について全て。
https://www.instagram.com/orange__katsuyama/
オレンジキッズケアラボだって、医療福祉の延長に医療的ケア児のお預かりをしているだけなら、あんなことやそんなことはしない。しない方が楽だし、ハッピーだ。でも、やらないといけない、という圧力が、僕にとっては地域医療なのだ。良い圧力、と言って理解できる世代はもはや限られている。
あぁ、その手の融合が起こってるんだなぁ、と思う。
去年、やっぱり「メキシコに行かねば」と思ってしまった自分。
そして、手にした「コンパッション」に関する本には、バリバラの「死生観」でご一緒したスマナサーラさんが登場するし。
かつて、オレンジメンバー(看護師と臨床宗教師の2名)がアメリカ・サンタフェのお寺に修行にいった、ジョアンハリファックスさんの話も、ようやく理解できるところに近づいてきた印象。GoogleやAppleも繋がってくる。
ハリファックスさんの禅寺で全世界から集まるメンバーで見た映画が「おくりびと」だったというのだから、ぐるぐると巡っていく。湯道ももうすぐ。
楽しそうな若者もたくさんいるが、
苦しんでいる若者もたくさんいる。
今さらながら「死にゆく人と共にあること」とかの研修を懐かしくオススメしたくなる。
若者には、
過去に作られた制度や資格に逃げるのではなく、今ある地域にコミュニティに向き合ってみてほしい、と願う。怖いよね、怖いけど背中を押したい。
僕は自虐的だし、中野先生は苦しそうだけど、
実は、こう見えて、二人とも幸せなのだ。しかも、結構。知らんけど。
意外と、たりてないのは「エンタテイメント」だということも、申し添えておきたい。
be happy, me
be happy, you
be happy, them
and, be happy the world