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『がんばらない練習』と服を着ること


がんばらない人って実はすごい

私の思うすごい人って、肩の力が抜けている。無駄な力が入ってないような感じがする。でもぐーたらに見せかけておいて、実はすごいから、「あー私と似ているな、同じだな」と思わせておいて実は違う。参考にはなるけれど、同じように真似しただけだときっと失敗してしまうような生き方、頑張ってはいないけれど、実はすごく考え抜かれている、そして結果を出している。どうすれば相手に刺さるのかよく分かっている。

何だか非凡な感じもして、きっとこういう人って、有名な賞を受賞している作家さんと仲良かったり、大手出版社の編集長とか、評論家とかから妙に好かれていそうな気がする。売れてる小説家とかにこういう人が多そうな、努力はしてませんと言いつつも、のらりくらりと大物を狙っている。野望なんてありません、という態度で、向こうから来てくれるように実はしっかりと準備はしているだろう。

まるでスタイル抜群の美女が服ダサくてノーメイクで髪ぼさぼさでだらしないみたいな、隙をあえて与えてるようで、天然?実は狙っている?と思わせる雰囲気もこの人は策士なんだなと思う。

やっぱりスタイル抜群の美女がやるから様になるわけで、はたして凡人でかわいくもない女がそれをやってみたところで様になるのか?成立するのか?と思ってしまった。

そんな凡人にも救いが欲しい、何かヒントがほしいと思って色んな本を読み漁るけど、結局凡人は凡人のままで、他の誰にもなれないのだ、自分は自分にしかなれないのだ、といつも思う。

なりたい自分探しと服を着ること

以前私はそれでも頑張りたくて『きっと私は変われる、なりたい自分になれる』と希望を持って世間受けしそうな綺麗な服を着てみた。他の人からは似合ってるよ、綺麗だよと言われるけど、実はしっくりきていなかった。他人から評価される人になるために、自分が好きではない服を心までも似合わせようとして、結局さらに着心地が良くないと感じてしまっていた。

少しは服に合わせて体型やヘアスタイル、メイクも変えなくてはいけないこともあるけれど、自分が満足できて評価もされる服に出会うために徹底的に探し回る人生にするのか、または自分で服を作るのか、誰かに服を作ってもらうのか、身近で安価なUNIQLOで満足させるのか、ハイブランドに手を出してみるのか、筋トレをしてファッション筋肉を手に入れて裸で勝負してみるか、どんな服でも着こなして着回せる術を持つか、phaさんように頑張らない方法でやるか、色々な選択肢がある。想いを巡らせてあーだこーだとやってみるのが楽しいと思う時もあったけれど、時々ものすごく疲れてしまう。もう服なんか着たくない、誰にも会いたくないと。

結局今私は旅行の土産で買ったくたくたのセブ島Tシャツと高校の時に着ていたよれよれのジャージを着て一日中おとなしく自粛生活、いや外に出て誰かに会いたくないから引きこもっている。もうこんな状態だから服も心もダサいと思う。でも心のどこかではそんなダサい自分のまま、そのままの私でも素直に会える誰かに会いたいような、でも会いたくないような、ぐるぐると考えながらゴロゴロしている。

そしてこれを書きながら寝落ちして、朝の爽やかな光が差し込む部屋で、部屋の電気を付けっぱなしにしてしまい、すごい罪悪感が襲う。

私の気持ちは置き去りに、部屋と外だけはやたらと明るい。

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