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本質を責めない人になりたい

こんばんは。Orでございます。

ツイッターでわたしが書いた「本質を責めてこない人になりたい」について、「それってどんなひと?」っていくつか質問をいただきました。なんかふんわりしたことを書いちゃったもんで、どんな人のことを思い浮かべてこのツイートをしたのかよく考えてみました。

このツイートなんだけど、

で、考えてみた人間像を140字にまとめる能力がわたしにはありませんでしたので、つらつら書いてみます。


ここ数年、どんな時でも、いかに自分がストレスフリーで生きていられるかを考えながら過ごしていまして。恋愛でも、仕事でも、その他全ての人間関係を構築する中で、それを大事にしてる。ガチガチの他人軸で、他の誰かを優先してばかりで、家に帰ってどっと疲れが襲ってくる、そんな人生を生きていたわたしが、「これからは自分軸で生きたい」っていうのを第一優先に日々を過ごすようになりました。


でもね、生きてたらなんかいろんなルールって思ったよりたくさんあるでしょ。で、そのルールの中には、「絶対守らなきゃいけないルール」と「なんかみんな守ってるから守ったほうがいいっぽいルール」があると思っていて。

前者はまあ、この社会で生きるなら仕方ないと思うんです。もちろん法に背くことはNGだし、学校やバイト先や会社ではその秩序を守るためにルールが存在しているから、守らなきゃいけない。

だけど後者のルールってさ、人間がその場の雰囲気から作り出したものだと思ってるんですよ。恋愛なんてそれこそ、たくさんのルールみたいなものが雰囲気でどんどん作られる。

敏感な人ほど、誰かが決まりと言ったわけでもないその“ルールみたいなもの"を感じ取って、勝手に守るようにして、自分を縛りつけちゃう。

でもそんなの守らなくていいよ。


「守らなきゃいけないルール」を課されてみんな日々がんばって生きているからこそ「みんなが守ってるから守ったほうがいいっぽいルール」のほうは、「わかってるけど無理」「ちょっと来月からがんばるわ」っていうときがあってもいいと思うんだよ。

それができない自分だからって、自分を責める必要はないし、「わたしはみんなとは違うのかな」って落ち込まなくていいんだよ。


日々生きてたら「〇〇であるべき」が溢れているけど、そんな中でも「今はそんな気分じゃないんだもん」とか「わかってるけどさ」って言いたくなるタイミングがある。つまり、今回言いたかった「本質ばかり責めない人」っていうのは、逃げ道を作ってあげられる人、です。

会話していて、逃げ道を与えない人っているよね。相手の返答を自分の希望通りにしたくて、操作したり、ミスを許さない。ああ言えばこう言う。正論でしか物を考えられない。そういう人と関わるのは本当にストレス。わたしはそっち側の人になりたくない。ストレスを抱えたくないから、同時に、誰にもストレスを与えたくない。

正論や本質なんて、みんな実はわかってるからね。「どうするべきか」なんて理解してて、でも見たくないときや考えたくないときもあるじゃない。わかってるけど背きたい気持ちがあるから、悩んでるんだもんね。

そういう気持ちに寄り添える人に、なりたいという事でした。




いやいやOrさん、質問箱の回答で正論叩きつけてるじゃないすか!と思ったあなた、さすがです。わたしの回答をよく見てくれています。


でもあれは、そういうもんでしょ?(笑)

匿名だからこそ、本当の所を相談してくれるんだし、わたしも正論をぶつけます。リアルの友達は良かれと思って本音言ってくれない事があるから。第三者として正論、本質、伝えています。本音を求められていると思うから。



話は逸れましたが、

・「○○であるべき」とか言わない

・「そういう時ってあるよね」って言える

・タイミングを待ってあげられる

・反対意見をいわれた時に「なるほど、たしかにそうだよね」と言ってから自分の意見を言う

・疑問を持った時は「なんで?」だけじゃなくて「なんでそう思ったの?あなたの気持ち聞きたい」まで言う(そうすると否定じゃなくて疑問として相手に伝わる)



気をつけてるのはこのあたり。

自分にも相手にも、柔軟でありたいね。






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