Antichamber ~フェアネスとアンフェアネス~

 パズルはフェアでなくてはならない。これは大前提であり、全てのパズルが守るべき規則である。フェアネス無くしてパズルは無い。たとえどれほど面白い論理が介在しようと、そこにアンフェアネスが一欠片でも混ざればその瞬間にパズルではなくなる。
 というのはまるきりの嘘である。パズルというものが娯楽である以上、面白ければなんでもよい。逆立ちすると軽くなる動物とは何か。答えはイルカだ。物理法則に反した話をするな、そもそもイルカが逆立ちをするのか、などと託つのは無粋極まりない話である。
 嘘ではあるが、しかしフェアだと思い込ませることは大方の場合で必要だ、ということも事実ではある。理由は簡単で、フェアに見えないと面白くはないからだ。逆立ちすると軽くなる動物とは何か、という問いの答えは「珍獣サカダチフウセン」などでもいいわけだが、そんな出題をしたら殴られるのは必至である。フェアネスなるものは常識のようなものであり、常識がない人間は叩かれる。当たり前のことだ。そう考えると、フェアネスとはヘイトコントロールと言い換えても大差はない。

 このフェアネスについて、なかなか面白いバランスを保っているのがAntichamberだ。プレイしてみるとなかなか腹が立つ作りをしている。交差点を通過しようとすると床が抜ける。通れないと思ったところに床ができる。個々のギミックを乗り越えた先にはイラストが配置されており、通過したギミックと関連する人生訓を滔々と語られる。ともすれば手のひらで転がされていると感じる人もいるだろう。
 このようなことを書くと理不尽なゲームであるかのように感じるが、いざ遊んでみるとそれほどでもない。確かに腹が立つ場面はあるが、我慢できないほどのアンフェアネスは感じられないのだ。プレイヤーの誘導をしっかりしているため、むしろフェアな印象すら与えられる。
 分かりやすいのは開始直後だ。目の前には大穴と“JUMP!!”という文字がある。どう頑張ろうと向こう岸には届かないように見えるが、言われた通りに跳ぶ。当然ながら落ちる。穴の底には道がある。道なりに進む。上り階段と下り階段がある。どちらかに進む。もとの場所に戻る。別の方に進む。もとの場所に戻る。そこでプレイヤーは、このフィールドが通常の3次元空間のような繋がりを持っていないことを理解する。
 どこへも行けなくなったので、Escキーを使って元の場所に戻る。すると今度は“Walk?”という文字が見える。その通りに歩いてみると、足元に床が出現し、無事向こう岸に渡ることができる。渡った先を探索する。あちこち見て回ると、やがて壁に円形の出っ張りを見つける。怪しんで調べる。どうやらこの円形の出っ張りは、見つめたまま後退すると別の場所に移動できるようである。行き着いた先は大穴の底だ。そこには円形の出っ張りがある。プレイヤーはすでにどう動けばよいか分かっている。
 この後、プレイヤーはゲームのキーアイテムであるMatter Gunを手に入れることになる。駆け足で説明したが、そこに至るまでの流れはもう少し詳細に設計されており、改めて見るとなかなかに面白い。プレイヤーの反応を考えたうえで、最終的には確実に答えにたどり着くように作られているのだ。
 このような誘導は随所で見られる。袋小路は別の箇所へ進むためのヒントになっているし、さらには時として進むべき方向を示す矢印が壁に浮かび上がることもある。塔のように進むべき順序が暗示されていることもあるし、配置されたキューブの色で大方の探索順序を把握することもできる。その第一印象に反し、プレイヤーにこの空間を習熟してほしい、そのためには必要なヒントを出すのをためらわない、という精神が感じられる。
 非常にアンフェアな外観を持つが、しかし内実はそれなりにフェアである、というのがこのゲームの特質だ。PortalやThe Witnessなどの系譜をもって語られる一人称視点3Dパズルゲームの中にあり、Antichamberが凡に堕することなく一定の支持を得ている理由はおそらくここにある。非常に単純なことではあるのだが、こういった些細な点がゲームプレイの面白さを支えていることを忘れてはならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?