ポイントクリック式のパズルはパズルなのか?

 ポイントクリック式と呼ばれるゲームがある。怪しい箇所をクリックし、アイテムを拾ったり、パスワードを入力したりしながら進める謎解きゲームのことだ。何らかの空間から脱出することに主眼を置いたものは脱出ゲームと呼ばれる。こちらの方が親しみがある、という人も多いかもしれない。
このジャンルには名作と呼ばれるものが多数ある。The RoomやGorogoa、未プレイのゲームの名前を出すことを許せばMystやRusty Lakeシリーズが挙げられるだろう。

 それほどこのジャンルを遊んだことはないのだが、特にGorogoaは4画面を操作する特殊性と同時に、ストーリーテリングや画面の面でも非常に興味深いゲームだった。ジャンル全体で見ても、直感的に操作でき、ストーリーをゲーム中に落とし込むことも容易なので、常に一定の人気があるのにも納得できる。今の時流では、動画配信とも相性がよいという点もかなりプラスの要素だろう。
 ところでこのポイントクリック式のゲームだが、パズルとして取り扱われているところをしばしば見かける。おそらくは謎を解いているためパズルとして扱われているということだろうが、私としてはこの分類に多少のひっかかりを覚える。
 私は普段、一筆書きや倉庫番派生のゲームをよくプレイしており、世間的にはパズルゲーマーという分類になるのだと思う。そのようなプレイヤーがなぜこのような感想を抱いたかというと、ひとえに私の中のパズルのイメージが一筆書きや倉庫番に固定されているからである。
 一筆書きや倉庫番パズルの操作は極めて単純だ。一筆書きはクリックとドラッグで線を引く。倉庫番は上下左右に移動する。ギミックもゴールもそれぞれのゲームにより大いに異なるが、それを解くための操作というのは必ず数種類で完結している。一筆書きをしようといつもどおりクリックしたら突然ステージが回転した、どうやらこのステージだけ操作が今までと違うようだ、ということは基本的には起こらない。既知の操作から可能なことを推測していくにあたり、操作を単一化しておくことは必要不可欠なことだ。そしてこれが私の中のおおよそのパズルの認識である。
 反してポイントクリック式のゲームの操作はかなり多義的だ。画面の遷移、アイテムの仕様、拡大や縮小(実際にはこれも画面の遷移のバリエーションである)などが全てクリックで行われる。さらには上に挙げたそれぞれの操作もその場によってそれぞれ違う意味を持ち、数え上げようとすると本当にきりがない。例えば画面右端の矢印をクリックしたとする。この際、単純に右方向を向くこともあれば、向いている向きはそのままで右に移動することもある。下向きに矢印が出ようものなら、これは後ろを向くのか下を向くのかそれとも後ろに下がるのか、それはクリックするまで分からない。拡大や縮小も、どの程度拡大するのか縮小するのかは場面によってそれぞれ違ううえに、あるいは見る角度が微妙に変わることもある。アイテムを使用するにしても、どのように使用するかはアイテムごとに異なっており、たとえば椅子を選択すれば床に置くという行為が行われる一方で、ドライバーを選択すればネジを回す。棒を選択すれば隙間に落ちている物を掻きだして取るし、チケットを選択すれば適切な挿入口にチケットを入れる。決してドライバーを床に置いたりはしないし、棒をチケットの挿入口に入れたりはしないのだ。
 この操作の多義性というのは、他のパズルジャンルと比較しても非常に広い。例えば一見操作が複雑そうに見える3Dパズルゲームを例に挙げよう。Portalは移動とジャンプ、ポータルの設置、オブジェクトの取捨、スイッチを押す、といった程度のものだし、The Talos Principleもギミックごとに作用は異なるものの、操作の結果はおおよそ一貫したものになる。ロジックよりも観察眼が必要とされる、言ってみれば初見のギミックを初見でクリアするような多義的なルールを持つAntichamberやSuperliminalでも、その多義性はフィールド自身が担っており操作自体は意外なほどに単純であることに気づくだろう。少なくとも持つもの一つ一つがクリックで違う挙動を起こす、ということは起こらない。
 要するに、操作の単一性が大きな意味を持つパズルの中に置くにしては、ポイントクリック式のゲームの操作は多義的すぎるために私からは同じ文脈で語ることはできない、という話だ。なぞなぞをパズルに含めるか、という話に感覚的には近い。これにはもう少し面白い話が付随する。この多義的な操作は直感的でなくてはならないということだ。
 「多義的な操作」と聞くと何か複雑で扱いづらい印象が感じられるが、実際に触ればそんなことはないのは読者もご存じのとおりだろう。とりあえず矢印をクリックすれば(その結果どのような画面が展開されるのかは分からないが)画面が遷移するし、近づけそうなものをクリックすれば(どのように近づくかは分からないが)その物に近づく。わざわざ拾ったドライバーを床に置こうなどと考える人はいないし、椅子を使って隙間の物を取ろうとする人もいない。この「よく考えればよく分からない」操作というのは、よく分からない方法で人間が直感的と思う操作と結びついている。この結びつき自体がポイントクリック式のゲームの暗黙のルールとも言えるだろう。これを意識していてもプレイヤー側にはメリットはあまりないが、おそらく制作する際にはメリットがある。あまりにも突拍子のないアイテムの使用方法、一箇所だけやたらと厳しいクリックポイントなどといった不評な要素はこのような視点を持っておけばおおよそ判定は可能だ。直感というのは主観的なものではあるだろうが、それでも個々人の間で大きく逸脱することもあるまい。テストプレイの際の一つの指標とするのは有効だと思われる。
 以上が私の感じることだ。所詮この程度の違和感というのは非常にありふれたものであるし、何らかの用語の定義について他者とすり合わせることほど不毛な行為も他にない。したがってことさら声高に主張するつもりはないし、自分でも周囲が問題ない様子ならばポイントクリック式のゲームをパズルとして話したりすることもあるだろう。ただ、ポイントクリック式のゲームについてこのような感覚を持ちうることがある、というのは面白い事実ではあるため、このように記事として書くことにした。

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