内科専攻医日記・8月(退職)〜神の代打は
「留学までの5か月ここ(内科)で働かせてください!ちなみにその後内科になる予定はないです、形成外科に行くつもりです!」
という千尋もまっくろくろすけもびっくりなお願いを聞き入れてもらい、
そして8月、内科専攻医もどきとしての5か月が終わった。
唯一の夢はスペインのグラナダに住むことだと思い出し、ついでにイギリスで熱帯医学の講座も通おうと思い立ったのが初期研修医1年目。初期研修2年間がおわり、同期は専門科で研修を始めるなか、初期研修でお世話になった病院の内科に居座わらせてもらった形だ。
神の代打は無理だって!
「いつまで生きるかはわからない。でも確実言えるのはに、われわれは毎秒、死に近づいているということです。」
高校生のころ神父様にそういわれて衝撃だった。私たちはみな、生まれた瞬間から死へ行進している。
そうは言っても、内科で診る患者は一味違う。「本当に」死にゆく者たちだ。9割は80歳以上で、平均寿命を越している。死はすぐそこ、あるいはとっくに来ているはずなのに生かされている。
そんな患者層を診る内科としての一番の仕事は、Quality of Life(QOL)の担保と、死を遠ざけること、この二つのバランスをとることだった。
例えばコロナで入院してきた、認知症で寝たきりの人。コロナの治療が終わったが衰弱してしまって、ご飯が食べられない。
この人の死を遠ざけることはできる。胃管や点滴で栄養をとればいい。ただ管を抜いてしまうので手を縛る必要があり、QOLが下がる。
管のない状態で元の施設に帰って、知っている職員や家族に囲まれながら過ごすのはどうだろうか?穏やかに過ごせるかもしれないけど、数日で亡くなる。
あるいは腸が腐ってしまった人。手術をして余生を入退院の繰り返しにするか、このまま看取るか?
この人と家族にとっての幸せのためにはどちらがいいのだろうか?医療経済的には?
悩んでいると、いつも1つの疑問文が降ってくる。
Who am I to judge?
人の幸せを、死に時を決めるなんて、何様だ?
もちろん本人が意思表示できればいいけど、認知症だったり意識がなかったりで答えてもくれない。答えられてもどれだけ理解してるかは怪しい。
家族に、終末期にどうしたいか話し合ったことあるか確認するけど、大抵はそんなこと考えたこともなかったって言う。90代なのに。
それに生死に関する決定を家族に丸投げするのも確かに酷だ。
ある程度はパターナリズムで導かなければならない。だれが?わたしが。
人の幸せなんて人それぞれなのに。生死は神聖なものなのに。
このひよっこの私なんかが決めるのか。
神は死んだ、とニーチェは言った。
でもその代打が私なんて、医者なんて、無理がある。
死んではないと思う。きっと、人間が勝手に医療を発展させて天命から逃れようとしたから、ふてくされて隠れているだけだ。
ごめんやけど、ちょっと手伝って?
これが恩ってやつ?
おかげで泣いたし、痩せたし、胃粘膜をおろし金ですりおろすような日もあったけど、たくさんの人に見守ってもらい、大切にしてもらい、幸せ者だったとも思う。
8月は送別会が8回くらいあった。
先輩、同期、後輩、友達。
廊下を歩けば看護師さんやクラークさんが声をかけてくれた。
退職届を叩きつけるのが夢だったので楽しみにしていたが、受け取った上司は寂しくなるなーと言いながら判子を押してくれたので、しんみりしてしまった。
去年地域実習でお世話になった先生は、私が元気かいまだ心配してくれているらしい。
鈍感な私でも、さすがに大切にしてもらってるな、としみじみ感じる。
知識も技術もない私にやらせて、後ろで見守り、アシストやリカバリーするのは大変だっただろうに。
これはきっと、恩ってつやつだ。
育ててもらって、大切にしてもらって、でも私からは何もお返しができない。
とりあえず、上司の退院サマリーを密かに書いておいた。
あとは留学のお土産話で埋め合わせますので。
お世話になりました。