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市民オペラに参加するということ 8

せっかく欅の会に復活することに決めたのに、私はまだ自由の身に未練があって、初回練習の翌週は会を休んだ。ちょうど家の近くのホールで定期演奏会があって、チャイコフスキーのピアノコンチェルトを弾くのが、私の好きなピアニストだったのだ。まだチケットを買っていなかったので、コンサートは諦めて練習に行けばいいのに、私はコンサートのほうを優先した(素晴らしい演奏だったので、結果的にその選択は正しかったが)。

翌週は練習に出かけた。私は外出が苦にならないタイプではあるのだが、それでも欅の会の練習に行くのは荷が重い。出かけるのがとても面倒くさいのだ。土曜日なんて家でゴロゴロしていたい。たとえゴロゴロしなくても、前もって予定を決められたくない、そんな気持ちがどうしても起こってきてしまうのだ。でもこの日の練習は、2時半から4時半の2時間だったので、まだ気が楽だった。前回は合唱祭に向けての強化練習だかなんだかで、1時半から3時間も練習があったのだ。初回だったから遅刻もできないし、1時半に着くためには昼食の時間を早めて、しかもその後のんびりすることもなくさっさと出かけないといけなかったので、かなり心理的負担が大きかった。

この日は合唱指導が、いつもの会の代表者の先生ではなく、若手の先生だった。そういえば以前カルメンをやっていた時も、月1回若手の先生がいらしておられたな、と私は思い出す。代表者の先生は、若手の育成にも取り組んでおられるのだ。

私は音楽のことはよく知らないのだが、それでもなんとなく、日本で音楽で食べていくことは難しいのだろうな、という想像はつく。藝大はある意味東大より難しいらしいが、そういうトップエリートがその中で競い合い、ある者は脱落し、そして卒業生は毎年輩出されていく。それに対して音楽マーケットはあまりにも小さい。以前日本のオペラの、プロの合唱団員の給料を調べたら、生きていくのも難しいのではないかと思うような薄給だった。その世界のエリートたちがそんな待遇では浮かばれない。

ともかく、歌の世界で言えば、それなりに力のある若手歌い手でも舞台を経験する機会はそう多くないらしい(まあそうだろう)。そんな若手に歌う機会を提供する目的もあって、欅の会は運営されているのだ。なぜ人は苦労してまで後進を育てようとするのだろうか。時間もお金もかかるのに。敬うよりほかない。

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