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なんの変哲もないものを


レシピ本の落書きから

今朝、焼き菓子を作るためにレシピ本をめくっていて、とあるページの端っこの落書きに目がとまった。

小さく縦書きに、こう書いていた。
苺と喉。
子羊と指輪。
虹と鯨。

fragola e gola.
agnello e anello.
arcobaleno e balena.

日本語と対訳してみると、童話や物語のイメージが頭の中に浮かんできたのは、二十余年も前のこと。

発音は、
苺と喉→フラゴラ エ ゴーラ。(「エ」は日本語の「と」と同じ)
子羊と指輪→アニェッロ エ アネッロ。
虹と鯨→アルコバレーノ エ バレーナ。

エ(e)を省いて続けて読むと、
フラゴラ、ゴーラ。
アニェッロ、アネッロ。
アルコバレーノ、バレーナ。

イタリア人にはなんの変哲もないことばでしかない。むしろ、もっとたくさんあるよと笑われた。日本人のわたしには、別物。慣れない頃に初めて覚えた、なんの変哲もないことば。それを通して新しい感覚が生まれていった。

発音が似ていても、全く違う意味の単語同士。好奇心のかたまりが、くっつけてしまった。新しいマリアージュ。

語呂が良くて、魔法のことばのようにも聞こえる。楽しく幸せになれる一つの呪文のように。

童話の世界へ

フラゴラ、ゴーラ(苺と喉)
アニェッロ、アネッロ(子羊と指輪)
アルコバレーノ、バレーナ(虹と鯨)

興味津々。子供は両手でひざをかかえ、暖炉の前にすわる。パイプをくわえたおじいさんや、手編みのショールを肩にかけたおばあさんからお話を聴く時間がやってきた。

冬になると、外は寒く、夜は長い。

薪が燃える音を聞きながら、片方の頬は熱くなる。
始まりの合図。
目と目が合えば、かたりべと暗黙の了解。

静まり返る部屋の窓に、目には見えない小さな生き物が集まってくる。
家の壁や食器棚、敷物の絨毯などは使い古したものばかり。黄ばんだ食器でチキンの丸焼きを出されても最高においしい。

おじいさんがニワトリを屠った。
おばあさんはトリをきれいに洗い、表面に油を塗り、串刺しにして回しながら庭で焚き火をして焼いた。
いつも皮がカリカリしていて、あつあつの身は、本当に柔らかい。おじいさんは尾っぽの丸いところが好きで、美味しそうにほおばっていた。

夕食のあとに必ずお茶を飲む。
庭に咲いてるペパーミントを摘んでくる。
葉っぱは大きくて緑色が鮮やかで、おばあさんは手でちぎると、熱いお湯を注ぐ。香りがパァっと部屋中に広がる。
この数分間は、頭の中が洗われたようにスッキリした気分になれる。

紙をめくる音のあい間の静けさは特別な空間となった。

おじいさんの低くしわがれた声。
おばあさんの細く静かな声。
時に子守唄のように、まどろんで、眠りをさそう。

その日とその時に味わった感動は、記憶の奥底に揺れるかすかなともしびとなって、どんな時も、さみしくて泣いていた涙のあとを乾かしてくれているのかもしれない。

フラゴラ、ゴーラ
アニェッロ、アネッロ
アルコバレーノ、バレーナ

…このお話は次回につづく。

もしかしたら、たのしい夢や冒険にさそうための呪文かもしれない。

              テオ


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