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わたしのジャーナル#09

時の隔たりはないかもしれない

あの頃

人生で一番いい時代だったと感じる一コマを探すと、どんな時も脳裏をかすめるのはあの頃、あの時代だ。
駅前の商店街の中の長屋に住んでいた。店を出していなかったのはうちだけで、あとは全部なんらかの商売を営むお店だった。今も残っている商店街。代替わりはしているけれども、雰囲気はそのまま。
そんなお店の向こう三軒両隣は、こぢんまりとしたご飯屋さん、傘屋、もう一つ何か思い出せない。両隣にはクリーニング屋と仕立て屋があった。
車は一台しか通らない一方通行だった。小学二年の終わりまで、猫の額ほど狭いとよく言う町に住んでいたのだと今更ながらに思い出す。
駅前から国道に出るまでの道は百メートルもなかったと思う。少し上り坂になっていた。

両親が土地を買い、新築を建てた。三年の春から校区が変わった。

美しい色と形をした小石を敷き詰めた庭の中ほどには飛び石が並んで、茶の間の縁側の下まで続いていた。小石の上は歩きにくかったからだろう。大人になるとちゃんとその理由も理解できるけれど、子供の頃は、お寺や庭園のまねごとかと思っていた。
紅葉や椿、ツツジ、サツキといった数本、季節ごとに咲く植木があった。
やがて、小さな池を作り、錦鯉を泳がせた。植木の端に大岩を備えて、人工の滝を作った。
夕暮れと共に、その水の出どころの水道の蛇口を閉め、朝にはまた開ける。毎回、庭掃除当番に当たった姉妹の誰かはその役目を果たさなければならない。夜点灯していた水銀灯のコンセントを抜いて、落ち葉を拾う。縁側の縁台を雑巾で水拭きする。その時必ずサッシの桟も汚れをとった。使っていた雑巾の柄や手触り、バケツやヒシャクの色や形まで覚えている。

冬の朝は手がかじかんだ。

四季を愛した継母は、庭の手入れに余念がなかった。当時のわたしは風情など全く理解しなかったが、景色や目に映る情景が教え、覚えたのだ。
この庭でたくさんのいい時代を過ごしていた。
継母が厳しい人だったので、好きではなかったけど、しらずしらずのうちにさまざまなことを受け継いだのだと思う。
十九歳で自立する日まで暮らしたこの実家は、何十年も前に人手に渡った。立地の良さから、今は貸し駐車場となっている。

思い出は美しいもの

父は大型犬が好きな人だった。うちには必ずシェパードがいた。物心ついた頃にいたのは「エル」という名前のメス犬がいた。引っ越しをする少し前に年齢のせいで亡くなったと思う。
次に来た子は「ナチ」という名前だった。小学生の頃からずっと、高校に通っている間も元気にしていたが、最後は病気で亡くなった。世話係はわたしだったので、何日も泣いた。

一番好きな子だった。

犬の毛並みや匂いや手触り。首を傾げて見つめる仕草は可愛くてたまらない。ことばを理解し、遊んでくれた。そんな時代を今でも懐かしむ。似たような犬を見ると抱きつきたくなるし、遊びたくなる。いっしょにいるだけで幸福を感じる。どの犬も食いしん坊。生命力がある証拠だと知っている。思い出はやさしくて美しい。


時の再現

お釈迦さまの言われる「生老病死」「愛別離苦」の言葉を思い出す。生きている間の出会いの全てを通してそれらを体験する。少し時間が経てばなんでもないことだけれども、その真っただなかというのはこの言葉の通り。生きているからこそ出くわす事柄全ての中に意味があった。

振り返る時に見えてくるものは、愛されてきたことだと感じる。少し目を閉じて深呼吸を三回すればそんな気持ちになれるのに、なぜか中途半端に焦ってしまう。あくせく働かなければならないし、動いていなければいけない。こうありたい、あらねばならないという決まりを作っているのは自分でしかない。だったら、何もかも止めて、周りを見渡してみたらいい。本当にそうかどうか。

心は嘘をつかない。
やりたいことは全てやってきた。出会いの全てが道筋を示している。焦らなくてもいい。全てシナリオ通りだと誰かが言っている。
時の再現をやればやるほど、しあわせになれる。あの頃のあの時代にいた自分をゆっくり湯煎であたためて眺めていれば、チャンスや機会がやってきて、枯れそうな気持ちがうるおっていく。

やっと見つけた心地よさ。
時の隔たりはないのかもしれない。






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