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秋深まる

久しぶりにblogを書きたくなった。

新しく立ち上げた二つのマガジン。
「わたしのジャーナル#01」と「テオの童話集:まるで鳥のように」は悩みの最中、古い殻が壊れ、新芽のようにひょっこり顔を出したような感覚で生まれ来てた。

悩みの中にいたからこそ現れた何か別の感情

悲しすぎ、つらすぎる。我慢の限界がやってきて、逃げ場がなくなった時、ぐちゃぐちゃの顔が鏡に写った。

この人、だれ?

心の声がつぶやく。

泣きたいなら泣きなさい、怒りにまかせ叫びたいなら叫びなさい。今まであなたは自分自身を拒否し、偽り、顔を背けてきたのだから。本当の自分をみてごらん。ほら、よく見なさい。

真正面の鏡に写る人は、美しくない。
みすぼらしく、貧しく、憐れで、無能な人間だ。強く見せたいだけの弱い人。だれも本気で愛したこともなければ、尽くしたこともない。独りよがりな人間だ。孤独を愛しているのに寂しいと言う。

本当の自分なんて知らない。

自分だと思っていたものは借り物で、上手く演じてきた。偽りの達人。
自分は器用に世渡りしていると思っていた。
主演も、助演も出来ていた。難しい役もこなせていた。そう過信していた。

だけどいちども、心の声を聞いたことがなかった。演じている自分の中の人はどう感じているのだろうかと。

文章が思うように書けなくなって、しどろもどろになり、辻褄を合わせるだけ。上辺だけをすべる言葉しか生まれてこない。

それをつぶやいてみたのが、

「テオは半妖か?」

というタイトルで書いた記事だった。
頭上に落ちてきた巨大な岩が、脳天をかち割る。真っ二つに割れて初めて内なる声に耳を傾けた。

もしかしたら死ぬまで本当の自分がわからないかもしれない。

全部わからなくてもいい。

つぶやいてみて初めて、足りない自分が愛おしく、不器用さがかわいらしいと思えた。
下手くそでいいんだと。そして、耳を澄ますと


ちゃんとできていたよ!


演技じゃなくて、精一杯の探究と研究を惜しまなかった勇敢な冒険者さ、君は。
真剣で、できる限りの力を出し切っていたさ。倒れるくらいに。休みもせずに。

と返ってきた。


こだまする懐かしい声。
どんな時もわたしを見守る存在。
決して一人じゃないと。


これから何があっても大丈夫。
勇敢な冒険者、どんな時も挑戦者。


秋が深まり、内なる声に耳を傾けると聞こえてくるはず。

空よりも高い、海よりも深い、愛していると言う声が。

わたしはいつまでもあなたを待っている。





今朝、本棚を掃除していたら見つかりました。
昨年の11月22日、ドイツ南部
バイエルンにあるニュルンベルグ
サンタマリア・テレサ病院で
朝の巡回に来られたシスターから
いただいた聖句
聖書朗読: マタイ 24:1-14 イエスはこう言われました。「神の律法に対する不従順が蔓延しているので、あなた方のほとんどの愛は冷めるでしょう。しかし、最後まで堅く留まる者は救われるのです」(12~13節)


信仰があってもなくても、神を信じようが信じまいが、最後まで自分の内なる声に耳を傾けること。今の自分に正直であること。そして行動する。

いつか本当の自分を見つけることができる。
希望の冒険者、テオ。

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