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台風だ!積乱雲のカーテンだ!右か?左か?真ん中か?

 那覇に行くためには、台風のスパイラル状に広がった積乱雲のカーテンのどこかに突っ込まないといけない。どこを狙って突っ込んでいくか。それがまた難しい。
 雲は、たとえば真夏の積乱雲のようにドカンと立っていれば見やすいけど、台風で帯状の雲が何層も連なると、前の雲と後ろの雲が重なってどっちが手前にある雲か分かりにくかったりする。
 それは目には錯覚があるからだ。パイロットは雲を見ると、それがどれくらい距離が離れているかを目視で判断する。真夏のギラギラする太陽に照らされた積乱雲は実際よりも近く見えるものだし、上空が層雲に覆われて薄暗い中では遠くに見えているようでも意外と近かったりする。今回のように上に層雲があって、上の雲には薄いところや濃いところがあるのでその下は暗いところがあったり明るいところがあったりすると、遠くからでは遠近がわからなくなる。だから常に雲を見続けながら、雲の見え方の変化を絶えず気にして、目測を修正し続けている。そうしないと、飛行機の速度は速いから目の前に急に雲が現れたような印象になる。
  副操縦士に操縦をしてもらう時、機長の僕が「その雲いつ避けるのかな〜」と思っていても、なかなか避ける意思を示さないでペラペラ関係のないことを喋っていたりする。それで仕方なく「で、あの雲どうするの?」って言うと「あ、あんなところに雲がある!」って副操縦士がアワアワ焦ることがよくあるのだ。
 ちょっとでも雲から目を離すと、状況が一変する。だから、常に雲を見続けて、どの雲とどの雲の間を飛行するかを考え続けなくていはいけないのだ。
 
 もう一つ、雲を避けるのに使う重要な計器が雨雲レーダーだ。雨雲レーダーは飛行機の機首のレドームといわれる円錐形の中にアンテナがあり、そこからビームを出して雲の中の水分などを反射したものを受信して、それをコックピット内の計器に写し出す。計器にはエコーの強さ、大きさ、形がくっきり描き出される。では雨雲レーダーを見てよければ良いじゃないか、と思うかもしれないが、レーダーは万能ではない。先にも書いたようにレーダーは雨粒などの反射を映している。強いエコーの反射があると、その後ろは映ってない可能性がある。だからエコーの強い、それなりに大きい積乱雲を避けたと思ったら、その奥にもっと大きな積乱雲があるかもしれない。
 目には錯覚があり、レーダーにも映らないところがある。だからパイロットが雲を避けるときは、外を見て自分の目で雲を判断するのと、計器上のレーダーで写した雲の両方を見比べながら、雲の薄そうな進路を選んでいく。
 
台風のスパイラルの雲が近づいてきた。 
「ここが空いてますよ」
 副操縦士が計器を指差す。現在の進路から少し右側の方のエリアが空いていると言っている。
「そっちには行かないよ、雲があるはずだから。左に避けるから」
あっさりと、提案を却下する。本当は副操縦士の提案を一方的に拒絶することはあまりやりたくない。その後の彼らの提案が減ってしまうからだ。却下する場合は、その理由を説明したいのだけど、今はその時間がない。刻々と変わる外の雲の状況と計器上のレーダーが写した物を見比べながら、同時に空港までの距離と高度を見ながら降下の計算もしている。目も頭もフル回転だ。忙しくてアップアップと言うわけではなが、余裕しゃくしゃくというわけではない。

「あっ!雲が湧いてきました!」
 さっき副操縦士が「空いてます」といったエリアに、急に濃いエコーが出現した。副操縦士は、なんでだろう?的な声で言う。説明して欲しいな、という意思が見え隠れする。
 ごめんね、本当に説明している暇はないんだ。
 すまないと思いながら
「そうだね!湧いてきたね!」
と、明るくあっさり済ます。ちょっと投げやりな態度になってしまっているかもしれない。冷たいようだが、いちいち説明している暇はない。こちらは目の前の雲を避けなくちゃいけない。
 
 こういう天候が悪くて雲を避ける時は、機長は副操縦士より見えている雲などの情報量が遥かに多い。そして副操縦士よりもずっと先の事を考えている。あの雲を左に避けたら、その後はこうしてああしてと考えている。そんな時に左に避けようとした雲の右側に、新たな雲が発生しましたと言われても、最初からそっちに行く気ないし、ていうかまだそんなことを考えていたのか、もっと先を考えて欲しいな、俺の思考について来て〜って思っている。
 でも副操縦士にしたら、なんで右に行かないの?ぽっかり空いているじゃない、と思っている。あれ?右に行かない理由が分からないな、なんでなんで?、そう思っていたら雲が急に出てきてびっくりしました、と感動しているのだ。
 うん、その感動は分かる。分かるけどさ、感動したり不思議がっている時間はないんだ。今結構忙しいの、分かってんのかなぁ、もう!
 
 機長が忙しい時に、機長と同じ程度にその忙しさをわかってくれる副操縦士がいたら、あるいは機長と同じ程度に緊張感を持っていてくれたら、その副操縦士はすぐに機長になれる。それくらい色々考えてフライトをしてくれているわけだから。機長からすると、たいていの副操縦士の考えているスピードは遅く、また考えは浅く、機長の考えていることのはるか手前で思考が止まっていることが多い。

 僕はスパイラルの雲のカーテンの手前をちょっと左に避けてから、隙間を見つけて右に進路をもらう。
 雲のカーテンの薄いところと言いながら、さすがに雲に入ったら揺れる。こういう時は前もってアナウンスを入れる。
「これから雲に入って揺れますが、安全性に問題はありません」
 そうアナウンスして、お客様の不安を少しでも和らげてから雲に入る。

 無事雲を避けて、那覇空港に到着した。なんとか定刻に到着して、軽い満足感を感じる。
 エンジンを切って、最後のチェックリストが終わると「ありがとうございました」と機長と副操縦士が言い合う。
「それで、あの〜」
「ああ、エコーね」
 次の便の準備をしながら、軽い反省会と質問タイムがある。

 副操縦士の質問は、なぜ急にエコーが現れたかである。これにはレーダーの特性がある。
 先にも書いた通り、雨雲レーダーは飛行機の機首のレドームといわれる円錐形の中のアンテナからビームを出しているが、レーダーは上下で2〜3度くらいの幅でしかビームを出ていない。当然だけど、そのビーム幅の内側に入ったものしか検知できない。要は計器に映っているのは、雨雲の水平の断面図なのだ。飛行中はそのビームの角度を飛行機が飛ぶ角度に一致させて、飛行する先の角度の雨雲を映している。上昇中は上昇率に見合った角度を自動的に選定して、水平飛行に映ると水平にレーダーを照射する。
 困ったのは降下時である。降下する時は飛行機は3〜4度くらいの角度で降下をするが、その角度でレーダーを照射すると地面が写ってしまい、雲が映らないのである。だからもっと浅い角度でとりあえずレーダーを照射するのだけど、自分が降下して通るであろうところの雲は映すことはできない。要は降下中はレーダーはあまり使い物にならないのである。
 副操縦士が「雲が湧いてきました!」というのは、最初からそこにあった雲が、飛行機の高度が下がって浅い角度で照射されたレーダーに引っかかっただけなのである。

「って、ことだから。分かった?」
「はい、でもなんで写っていないところに雲があるって分かったんですか?」
「それは自分で考えなさい」
 全部教えるのは良くない。少しは自分で考えさせないと。

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