200円で買った乃木大将夫人の絵ハガキの話
1、古本市で絵ハガキを購入する
古本市で一枚の絵ハガキを見つけた。正面から撮影された、昔の女性のポートレイトである。葉書の下部には『乃木大将夫人』と記載されていた。
日本史に疎い自分でも、乃木大将の名前くらいは知っている。歴史的有名人なのだから、大将本人が絵葉書になっていても何の不思議もないが、その奥方まで絵葉書になっているとは! と、少し驚いた。葉書は未使用で状態もよく、価格は200円。『中古の絵葉書一枚が200円とは高すぎる!』と思うか、『ヴィンテージで状態の良い絵葉書が200円とは安すぎる!』と思うかは買い手次第であろう。
ちなみに、こうした古いポストカードの相場は、だいたい100円から数百円といったところか。1000円以上がつくものは、何か図柄に特別な嗜好が含まれるものが多い気がする。たとえば海女さんの写真などは愛好家が多いため、比較的高値で取引されているのを見かける。
自分の専門は古写真なので、絵ハガキのほうは『ついでに』チェックしている程度なのだが(RPPCと呼ばれる、印画紙自体がポストカードになっている古写真が混ざって売られていることが多いため)、この乃木夫人の絵ハガキには何かピンとくるものがあったので購入した。200円という値段は安いと思うし、加えて夫人の片目が白く光っているのが気になった。目を悪くして、片方を義眼にしていたのだろうか? そんなことを後で調べてみるのも面白いかもしれない。
2、乃木大将夫妻の生涯
乃木希典(まれすけ)・静子(しずこ)夫妻の生涯については、それこそ百科事典から研究書まで様々な媒体で記述されているかと思うので、ここでは簡単な引用のみにしておく。重要な点は、夫婦ともに明治天皇の死後、その大葬の礼が行われた日(1912年9月13日)に殉死しているということである。
様々な要因があるにせよ、陸軍大将まで務めた希典が、忠臣として殉死の道を選んだことは理解しやすいが、妻・静子に関しては諸説分かれているようである。というのも9月13日に自邸にて希典とともに死亡しているところが発見されたのは確かであるが、希典の遺書宛名には静子の名前もあり、『死後のことで不明な点は静子に聞くよう記されていた』ためである。希典の殉死の『予定』では静子は生きて後始末をするはずであったが、実際は希典とともに遺体で発見されている。日露戦争で二人の息子を亡くしてから気力を失った静子が、夫とともに殉死する道を選んだとの解釈もある。そしてここからが本題なのだが、今回の絵葉書は、乃木夫妻の殉死後に作られたものなのである。
3、何のために作られた絵ハガキなのか?
絵ハガキの宛名面はこのようになっている。
『きがは便郵』という右横書きの文字が味がある。『carte postale』とはフランス語でポストカードという意味。ここで注目すべきは、右下に押されている記念印である。
『(乃)木将軍邸』『大正二年四月十三日』『乃木会』『公開』『参観記念』といった文字が押されている。つまり、大正2年4月13日に、乃木会によって乃木将軍邸が公開された、その参観記念の印というわけである。乃木夫妻が殉死したのが大正元年9月13日であるから、その死の7ヶ月後に発行された絵ハガキということになる。しかも記念として!
実は乃木希典が自刃した乃木邸の敷地および建物は、希典の遺言によって東京都に寄贈されており、翌大正2年に「乃木公園」として開園している。つまりこの絵ハガキは、その乃木公園のオープン記念として発行されたものだった。武士道精神の色濃く残る100年以上前の時代に於いて、明治天皇への殉死が世間的には賞賛されたであろうことは想像に難くないが、そこから公園のオープン記念に故人肖像の絵ハガキまで作っていたというのは、ちょっと予想外だった。
しかもこの絵ハガキ、よく見るとなかなか凝った作りになっている。中央のモノクロ写真はコロタイプ印刷というもので粒子が細かく、銅板や鉛板を使った印刷と違って拡大しても網点が出ないのが特徴。加えて外側のカラーの飾り枠は、おそらく木版の、それも多色刷り。さらには裏側には記念のスタンプも押すという、かなりの工程を経て生産されている。
4、せっかくだから乃木公園に行ってみた
ちなみに乃木公園は現在も乃木邸とともに残っており、港区が管理しているそうだ。ハガキを買ったのも何かの縁、せっかくなので実際に行ってみることにした。東京メトロ千代田線の乃木坂駅から徒歩0分、駅出口のすぐ隣にあるのが、乃木神社と乃木公園である。
ちなみに『乃木坂』という地名も乃木大将の殉死を受けて名付けられた地名だそうだ。江戸時代には『幽霊坂』とか『膝折坂』などと呼ばれてという。歴史に『もしも』があれば、乃木坂と改名されることなく、今頃『幽霊坂48』とか『膝折坂48』といったアイドルグループが存在したのであろうか。
乃木邸の建物もしっかり残っている。中に入ることはできないが、夫人居室や殉死の室など、主だった部屋は外から見学することができる。日曜日だったためか、外国人も含めて訪れている人がけっこう多く、特に隣の乃木神社の授与所(お守りとか御朱印などの)では行列ができていた。
4、200円で買った乃木夫人の絵ハガキの話
さて、ほんの気まぐれで購入した乃木夫人の絵ハガキだったが、調べてみると様々なことがわかり、とても興味深かった。たった一枚の絵ハガキに、日露戦争と明治天皇への殉死、そして今も残る公園の歴史という様々な要因が詰まっていることを知れた。これで200円というのは、正直言って破格の安さだろう。
この乃木大将夫人の絵ハガキも、立派なコレクションとなった。市場価格は変わらず安価であるが、自分で調べて少しばかりの勉強をしたことにより、この絵ハガキが自身の一部になったような気がする。同じ200円で売ってくれって言われたって、もう売らないぞ。
そしてその後、なんと偶然にも絵ハガキセットの完品を発見したので、こちらもいきおい購入してみた。
乃木大将・夫人・子息・大将農装像・家庭の光景の5点セット。五枚一組で、価格は金捨銭とある。大正時代、カレーライス・コーヒー・週刊誌がそれぞれ10銭程度だったそうなので、現在の価格にすると数百円だろうか。
いろいろ調べた後に、あらためて記念のポストカードを揃えて眺めてみると、感慨深いものがある。まあ乃木大将夫人の絵ハガキだけ、ダブってしまったのだけれど。ん……?
なんか印象が違うな。印刷の具合が多少違うのは仕様として……そうだ、右目だ! もともと、この絵ハガキを買ったのは、静子夫人の右目が光っていて『義眼かな?』と思ったから。ところが調べてみた限り、彼女が目を悪くしていたという事実はなかった。それどころか、後から買った絵ハガキの方では、ちゃんと両目とも黒目で印刷されている。
そもそも乃木邸に展示してあった、大元の静子夫人の写真だって、片目が光ってなどいない。
何かでキズがついたり、あるいは前の持ち主が、片目にだけイタズラをしたのだろうか? マクロレンズで、乃木大将夫人のカードの右目を拡大してみる。
外部からの意図的なキズは見当たらない。あくまでコロタイプ印刷の粒子の過多で、片方の目が、白く光っている。印刷ミスで偶然、粒子に偏りができたのだろうか。右目だけ、ちょうどダイレクトに、光ってるみたいに?
おわり。