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「読書は学び」と割りきったら、幸福感が戻った話

読書は仕事が落ち着いてからにしよう。

そう言って、フリーランスのライターを始めて封印してきた。

なぜなら読書は趣味で、余暇に楽しむものだと思っていたから。

そのため、ページをめくるのは隙間時間や休日の夕方。仕事が終わっていないのに、読書するなんて問答無用!とばかりに禁止令を自分に課していました。

一方で増える積読。

「面白そう」と思ったり、先輩ライターさんがオススメする本は迷うことなく買っていた。

行動が矛盾している。はい。自分でも気づいてます。

それもそのはず。私は何を差し置いても本だけは買いたいし、読みたい人間だったのです。

本だけは、私の人生から失いたくない。
ずっと一緒にいたい大切なものだから。

物心ついた頃から本の虫だった。
学校の図書館をフル活用して、長期休暇では親に市の図書館へ連れて行ってもらった。

高校3年間を通して、学校の図書館を利用し続けた結果、360人中1番目に利用冊数が多いと、図書だよりに記されていた。それくらい本を読んでいた。

それに飽き足らず、高校からの帰宅途中に図書館に寄ってさらに本を借りた。

社会人になっても、早く帰れる日はたいがい本屋に寄ったもんだ。

それくらい、私にとって本は優先度の高いもの。

それを禁じたからこそ、副作用が出たのだ。
いつか読むために買い続け、50冊以上の積読に囲まれている。読みたいのか、読まなきゃならないのか。希望と義務に挟まれた、よく分からない感情に囚われていた。

その感情が一掃され、今では時間をつくり読書に励んでいる。

転機になったのはライターコミュニティである、Webライターラボで開催した読書会である。

ライターならば、「書く」のと同じくらい「読む」ことが必須。近藤さんも著書で言っている。

そう言ってくれた編集Lilyさんのおかげで、潮の目が変わった。

書く人間であるならば、読まねばならない。これは勉強であり、義務なんだ。

そう思ったら、大手を振って読書できるようになった。

ずっと読みたかった本を一冊ずつ対峙できるのが、どれほど楽しいか。

心が満たされて、幸福感に包まれている。

童心に戻ったかのように、昨夜は深夜2時過ぎまで本の世界に入り込んでいた。

朝は全く起きられないけど、ご機嫌な気持ちで起きられた。それくらい本には魅力があるし、いくら読んでもまだ足りない。読みたくてたまらない欲求に駆られる。

読めば読むほど、渇望していく。
もっと文章や言葉に触れたいと。

私が尊敬する近藤康太郎先生は365日、1日2時間の読書をしているそうだ。こういった狂気ともいえる没頭があるからこそ、言葉を洗練できるのだと思う。

私がどこまでたどり着けるか分からないけれど、好きなもので自分を磨けるのは本当に幸せだ。

読書を勉強だと舵を切り直してから、毎日の質が上がった。人の言葉や本によって、大きく人生が動く。そんな大いなる気づきを得られて、とても幸せな時間を過ごせている。

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