「嫁だから」のブロックを外す
私は自分で言うのもおこがましいですが、気を遣いすぎるところがあります。
夫の家族や親族には特に。
夫の妻だから…というブロックがかかってしまった裏には、「良い嫁」に見られたいと思う願望があるんだと思います。
評価を外側に委ねているんですよね。
ことさら、その感情が発動するのが義父母さんの故郷へ義理の家族と行くとき。年に1回とはいえ、同じ場所で寝起きしなければならないので、思った以上に緊張感に苛まれます。
まさに今が、それ。
夫はいいですよね。
自分の家族だから。
言いたいことも簡単に伝えられます。
しかし、私は言いたいことを伝えられずにヤキモキしていたんです。
たとえば、わが家は食事のときは食事に集中するスタイル。
しかし、旅行中の滞在場所にはリビングにテレビが置いてあるうえ、夫の家族はテレビを見ながら食事する文化が根づいています。
そうすると、普段テレビを見ながらご飯を食べる機会のない子どもたちは釘づけなわけです。
食べる手は止まるし、ご飯はボロボロこぼします。
これが言えません……
夫も一緒になって見てるし、子どもたちのご飯が遅くなると対応は私。イラ立ちが募っていたけど、口をつむぐしかありませんでした。
ここで、疑問が出ました。
それを決めたのって私だよね?
協力してもらう選択肢もあるけど、場を乱したくないとか、どんなふうに見られるか怖いとかって、結局、自分のことしか気にしてないじゃん。
「どう思われるか?」より「子どもにきちんとご飯を食べさせるか?」のが大切だよね。
すると、その瞬間がきました。
娘がテレビに夢中で、ご飯をボロボロこぼしているのを義弟くんが指摘したのを機に、思いきって発言しました。
言った瞬間、心音が外に漏れ出るのでは?と思うほどで、声も上ずっていました。だって、そういう発言をこれまでしてきませんでしたから。
黙ってるのが正解だと、自分に洗脳をかけていたんですよね。
でも思いきって伝えてみたら、みなさん、普通に対応してくれました。これで思ったのは、私が勝手に壁を積み上げていたということ。
変化は続きます。
滞在場所で夕食を食べているときのこと。
サラダを盛られたお皿が給仕され、何をかけるかは自由に選べました。
私はゴマのドレッシングをかけたかったものの、私と反対側に座る義兄さんの目の前に置かれていていました。立っても、手が届きません。
そこで、
と思いきって伝えてみたら、手渡してもらえました。
きっと以前の私だったら、ドレッシングをかけずに味のしないサラダをそのまま食べていたでしょう。それに比べたらかなりの進歩です。
人によっては、なんでそんなことも伝えられないの?と思うでしょう。私もよく分かりません。ただ極力、波風を立てたくなくて生きてきた私にとって、この発言はベルリンの壁ほどの高さであったことに相違ありません。
それくらい身内へのお願いは、私にとってハードルが高いのです。
それでも、自分の行動に疑問を持って、発言や行動を変えていきたい。なぜなら、人の目から解放されて、生きやすい人生を自分で選びたいから。
それでも、まだまだヒヨっこの私。
大部分のモヤモヤを飲み込んで、時間を過ごしています。
現在、旅行3日目=便秘3日目。。。
早く1人になって、ホッとしたいのが本音です。
マインドセットの旅は続く。
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