僕は今、とても反省しています。
僕には2個上の兄がいる。よく周りの人達には「とても仲が良いのだね」と言われる。往々にして、世の中との感覚のズレがあることに、僕は知ってる。だからそう思ってなくても「そうなんだよ」と答える。素直に褒めてくれているのだから素直に感謝するべきなのもわかってはいる。では、今回はそんな仲の良い兄の話をしたいと思う。
それは、このnoteをつい昨日始めた僕なのだが、記念すべき第一投稿を書き終え、その報告と評価を求め、兄に連絡をしたのである。ちょっと話は逸れるが、何故すぐ連絡しなかったかと言うと訳があり、本名ではなく“ペンネーム”でやっているコトと、同居人に「よくわからない」という第一投稿の第一感想をいただいた、羞恥心と危惧により1日遅れになったことを伝えておきたい。兄は休日だったため、直ぐに読んでくれ、こう返信をくれた。
「めっちゃいい」
「名前もいいじゃん」
「やっぱテンポが良いよ、文章の」
コレはとても嬉しかった、“体よりも大きなモノを運んでいる蟻”を見つけた時と同じくらい嬉しかった。ましてや、僕の好きな倒置法で褒めてくれ心配していたペンネームまで褒め倒してくれた。僕はすぐさまこう返信をした、
「いや、さすが兄君、キミはわかってくれると思っていたよ」
「嬉しいね」
「ツボを押してくれるなあキミは」
それからは既読もなく返信もない。別にこれだけの話なのだからそれ以上も以下でもない。ただ、あんなにもベタ褒めした兄からの「いいね」がいただけていない事にその後気づいたのである。忘れているだけだとも考えた。そもそも「いいね」以上の行為をしてくれたのだからそれでいいじゃないかと。でも僕は、既読のついてないことを見計らい、こう追加で返信した、
「でもいいねは押してくれない」
とてもとても僕は反省している。今、静かに反省している。何を隠そう、未だ既読もつかぬ兄からのnote第一投稿への「いいね」だけが僕のもとに届いたからである。僕は欲深い人間で愚かだと反省しています。更に言うと、つい先日、兄と「いいねを押されるだけで人間は幸福を感じる」という研究結果で議論したばかりであったし、それについて僕は「そんな馬鹿な、阿呆め、愚かな奴らだ」的な発言をしてもいた手前、なんという有様。結局僕もその1人であったし、研究結果も確固たる後押しをしたわけだ。
僕は今、兄にどう思われているのかとても不安である。きっと失望したであろうが、きっと優しくて器の広い人だから、これも笑ってくれるだろう。そう踏んでいる、だからこうやって書いているのだ。それもまた醜い。「羅生門の老婆」が咄嗟に連想された。