
伊藤詩織さんに関して
最初にお断りしますが、この記事は関係する誰であっても蔑む意図は皆無であり、あくまで個人的な所感でしかないと表明しておきます
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とあるアングロ・サクソン系の「リベラル」な人の意見を読み「自分とはずいぶん違う」と感じながらも、人間が物事を判断するには「バイアス」が影響するのは当然とも考える者ではあるので、なるべくフラットな感覚でずっと考え直し続けてきました
伊藤詩織さんが被害者となった事件は、当時の内閣総理大臣だった安倍晋三さんとも絡んでいて、「アベガー」の人たちが多かった印象が自分にはありました
なにしろ僕自身が「アベガー」の人なので、そういう人脈関連はある程度ならばわかるんです
ただ、今回の伊藤詩織さんの行動に関してその辺を一旦チャラにして考えてみると、周囲に集っていた支援者さんと彼女のパーソナリティは合わなかったのかもしれないという感じが強くなってきました
Wikipediaにある彼女の経歴はそれなりに正しいと思いますのできちんと確認してみると、伊藤詩織さんという人は国内での学歴で勝負する代わりに、あの手この手を使って海外で「実績」をつくって「立身出世」を目指した跡があると強く感じます
リベラルとかサヨクとか言われがちな「アベガー」の人たちとは異なり、自身のやり方で道を切り拓き社会的に高い地位を獲得すべく努力してきた方という僕の理解が間違いではないならば、そういう人たちを惑わす違和感が彼女にはあって当然だろうとなります
海外での実績つくりに奔走した人でもあり、日本人のリベラル観との本質的な違いも気になっていたのかもしれません
何も無ければそういう生き方をしていても不思議ではないという意味ならば、例えば三浦瑠麗さんのような人が彼女のロールモデルだったとすら思われ、ならば余計に「アベガー」を中心とした当初からの支援者とは根本的に合わないということにもなってしまう
ただし仮にそういう女性だったとしても、当たり前のこととして、あんな事件に巻き込まれて当然とは絶対になり得ません
自衛隊に入隊してからのセクハラ体験を公けにした人がいましたけど、あの方はSNSで日本維新の会への熱烈な支持を何度も明らかにしていて、「フェミ」界隈の人たちから誰にもわかるようなサポートを受けたかとなると、それほどではなかったとの印象があります
生まれ育った東北の町の人たちが支援したことは『報道特集』か何かで視た記憶があり、「とても力強い味方が周囲にいたんだなぁ、よかったなぁ」と感じさせられましたが、伊藤詩織さんの場合はその経歴を見ても明らかなように、欧米諸国に住みながらそこでの価値観に守られるように自分で自分を助ける方向に行ったという解釈も可能でしょう
おそらく「アベガー」の日本人よりもずっと水に合うだろうとも感じます
伊藤詩織さんは日本では展開されないカルバンクラインの下着広告でグラビアまがいのポートレートを披露していますが、「そういう人」として受けとめるよりありません
違法でないのだから、どのような生き方を選んだとしてもそれは彼女の「自由」ですからね
(カルバンクラインの女性用下着は、このところずっと若い人たちの間で人気です
健康的なイメージとセクシーな印象が一致しているのだと思われます
最終決定権がどこにあったのかはわかりませんが、伊藤詩織さんを被写体として選んだのは企業戦略としてはなかなか優秀ですし、日本では各方面から叩かれるのに決まっているようなものなので、日本をオミットした判断も当然です)
その手のプロの人たちからは、伊藤詩織さんのジャーナリストとしての経験やドキュメンタリー映画作家が守るべき倫理観に関して疑問が呈されており、そこに関しては自分も首肯するものですけど、それらは既に裁判沙汰に発展していて、最終的に判決に従い相応する処分を受ければそれでお終いと考える人がいても全然おかしくなく、仮に彼女が元々そういう類いの人物だったとして「何が悪いのか?」と問われたならば、それぞれの生き方なのでご自由にどうぞとしか言いようがないものです
現在渦中にある大事件を公けにした、元フジテレビのアナウンサーだった渡邊渚さんの件については、かつて伊藤詩織さんをサポートすべく集まった人たちが、彼女にしたのと同じような支援をしている雰囲気は感じません
(嫌いな言葉なので使いたくないんですけど)女子アナ」と呼ばれる人たちとも「アベガー」の方々はほとんど量なりませんから、呆れ果てて事の推移を見ているには違いないにしても、社会情勢が大きく変わってきたこともあり、かつての伊藤詩織さんのようにはならないのもそれはそれで当然とも感じます
でも、そうした日本のリベラルやサヨクとは縁遠い生き方を選んだ人たちであっても、あの手の邪悪な事件に巻き込まれて良いとは到底なり得ず、それとこれは別の問題とせねばならないんです
日本人のリベラルやサヨクの人たちにとり、今回の伊藤詩織さんの言動に対する反応は大きな試金石なのかもしれないという結論に自分は至りました
伊藤さんにとり、誰に何を言われようと米アカデミーにノミネートされただけで海外でそれなりの地位を得て暮らしていくならばそれで十分お釣りのくる話ですが、それも多くの海外経験を持つ彼女ならではの嗅覚によるものとも思われますし、「それで何が悪いのか?」となると人それぞれですねとしか言いようがないことです
アフガニスタンでの戦争の最中に銃撃された隣国パキスタンのマララ・ユスフサイという少女のことを覚えている人はそれほど多くないかもしれませんが、伊藤詩織さんに欧米諸国でそれなりに満足して暮らせる戦略があってもおかしくない話でしょう
マララさんの現在なんてほとんどの人は知らないでしょうが、そういうロールモデルも選べる位置にいる人ですし、そうした海の向こうの事情について常に自覚的に考え行動してきたとしてもおかしくはなく、自分はそのように生きるのだと本人が決めたのならば他人がとやかく言うものではありません
ただし、何度も言いますがどんな生き方を選んだにしても、伊藤詩織さんに降りかかったことは到底許されるべきではあり得ません
それを峻別できるかどうか
そして、自分とは違うとしても彼女の生き方を揶揄するようなことはしないこと
トランプさん以降で大きく変わっていくようなものとも考えられますが、彼女が寄って立つ前提が欧米諸国の社会で崩壊するとはならないでしょうしね
元朝日新聞記者の年配男性が面白がって取り上げていますが、「キャットファイト」を楽しむようなその態度や言葉遣いはとても不快なものでした
あのようにはなりたくないし、そのように見えてしまうならば一切沈黙するとした某女性ドキュメンタリー作家の意見を僕は支持するとして、書き殴りのような記事を終えます
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追記すると、伊藤詩織さんの過度に感じないでもない「暴力」的な言動は、長期間に渡る複雑性PTSDの影響と感じないでもありません
おそらくそれは彼女自身も気づいていないこととも