
当たり前のこと(生きる意義について思うこと)
あなたも私も、この世界の中で唯一の存在です。
替えのきかない、無二の存在。
当たり前のことですよね。
世界に何十億もの人が住んでいますが、私やあなたの顔と姿は、他の誰とも違う。
これまで積み重ねてきた経験も、まったく同じという人は1人としていない。
感性や価値観も違う。
興味が持てるものも異なりますし、生きていく上で大切にしたいことも様々でしょう。
同じ景色を見ても、感じ方は人それぞれ。
同じ出来事に遭遇しても、その受け止め方には個人差があります。
好きなものも違うし、得意なことも違う。
自分の中から生み出せるものも、全員違う。
人は何かを生み出すことができる存在です。
言葉や文章。
絵や歌。
体の動きや表情など。
それらを自分の意思や感性で、自由に生み出すことができる存在。
生み出せるものに、正解なんてありません。
格好をつけず、背伸びをしない。
ありのままであろうとすれば、必ず自分独自の何かを生み出すことができる。
人の評価は関係ない。
生み出したものの価値は、生み出したあなたが分かっていれば、それでいい。
何が生み出せるのかも、人それぞれ。
生み出し方も、人それぞれ。
考えてみれば、当たり前のことだと思います。
さて、ここで少し私の話をさせてください。
私は現在56歳です。
埼玉県に住んでいて、個人事業主として企業のアドバイザーや研修講師を仕事にしています。
そんな私ですが、2025年1月に心筋梗塞を発症しました。
心臓を取り巻く血管が詰まる病で、命を落としていてもおかしくない状況でした。
その1か月後、たいへんお世話になった義理の母が他界しました。
3カ月前には義理の父が他界していました。
立て続けに遭遇した、自分の病。そして身内の死。
命がなくなるということ。
命がつながり、生きるということ。
それらが現実として目の前にあり、生きることの意味について、いやおうなく考えさせられました。
私が心筋梗塞で倒れたのは、1月25日の未明になります。
強い胸の痛みで目が覚め、その痛みは身動きができないほどでした。
場所は心臓です。
このまま死んでしまうかもしれない。
自分の命はこれまでかもしれない。
本気でそう思いました。
自分の死が目の前に迫った時、私には「口惜しさ」がありました。
このまま命がついえてしまうことが悔しかった。
まだ、自分にはできることがあると思った。
できることがあるのに、それを十分に発揮しきれていないと思ったのです。
このまま命がなくなるなんて、納得がいかない。
それが生を望んだ大きな理由の一つでした。
亡くなった義母は、生前、飲食店を経営していました。
料理をつくることが得意で、店では、義母が次々に生み出す創作料理が人気でした。
義母の死は、義母にしか生み出せない料理が潰えてしまうことでもありました。
当たり前のように食べていた、あの義母の味。
それはもう二度と味わえないのだ。
「今度の料理、どうかな。ひろしさん、味見してみて」
そんな楽しいやり取りも、もう行うことができない。
そのどうにもならない現実が喪失感につながり、私に深い悲しみをもたらしました。
義父は話が上手でした。
自分の体験談をわかりやすく、面白おかしく話すことが得意でした。
仕事での冒険譚を、ユーモアたっぷりに笑顔とともに話す義父。
その時間は、私にとっても楽しく、幸せな時間でした。
義父の死を知った時、私はもう義父の話がきけなくなったことが寂しかった。
あの笑顔に、写真や記憶の中でしか出会えないことが辛かった。
大切な人を失う悲しさは、その人のかけがえのなさに比例する。
また、亡くなった人に対する思い出は、その人が生み出した何か。
例えば、声や言葉、笑顔や身振り、つくってくれた料理、楽器で曲を演奏する姿など。
そんなものがとても多いように感じます。
人は誰しもが唯一無二の存在です。
人は誰しもが、自分ならではの何かを生み出せる存在です。
生み出せる力があるのなら、生み出せるうちに生み出しておく。
それが人の生き様につながるのだ。
思い出につながるのだ。
自分の死に向き合い、親族の死を振り返り、今はそのように考えています。
何かを生み出せるのは、命がある間のみ。
命が終われば、生み出す機会は永久に失われてしまう。
当たり前のことですよね。
当たり前のことなのですが、それをつい忘れてしまう。
少なくとも私は、自分の死に直面するまで、このあたりの認識がかなりぼんやりしていました。
今でははっきりとわかります。
何かを生み出せるのは、命がある間のみ。
自分には、自分ならではの感性で何かを生み出す力がある。
格好をつけず、等身大。
それを心がければ、自分らしい何かアウトプットすることができる。
生み出す取り組みは、とても楽しいこと。
それは自分の生きがいにつながるし、生き様にもつながっていく。
身内の死に向き合い、自分の中で悲しみを昇華し、そのように考えています。
こんなことは、分かっている人にとっては当たり前のことかもしれませんよね。
でも命あるうちに書き残しておきたいと思ったので、その気持ちに正直になり、書いてみました。
読んでいただき、ありがとうございました。^^
******************************
※「心筋梗塞・体験記」はこちらから。
※私のXのアカウントです。
https://x.com/ooki_hiro