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大國魂神社・参拝記/新たな学びがありました!

こんにちは。はじめまして。
全国の神社を巡拝させていただいております、神社研究家の大木浩士です。

※私の神社巡拝記・「ぶらり寺社めぐり」です。(すべての一ノ宮・官社の参拝を満行しました)

2025年2月26日(水)、東京都府中市にお祀りされている「大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)」に参拝させていただきました。

これまで10回以上参拝してきた大國魂神社ですが、新たな気づきがいろいろありました。

今回はその内容について触れさせていただきたいと思います。

大國魂神社のHP
過去の大國魂神社の参拝記(◀境内全体の様子が写真でご覧いただけます)


■気づき①:御本殿の造り

大國魂神社に参拝させていただいた際、御本殿の屋根をいつも透塀(すきべい)ごしに拝しておりました。

大國魂神社・御本殿

御本殿の屋根は「流造(ながれづくり)」と思われる様式で、横幅が広いため「三間社(または五間社)かな」とぼんやり考えておりました。

※「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」とは、御本殿の正面の柱が4本、柱間の間口が3間ある建築様式のことです。
本殿建築様式のご紹介(「ぶらり寺社めぐり」より)


さきほど「透塀」と申し上げましたが、厳密には塀の内部には、幕などが厳重にめぐらされております。

そのため、御本殿がどのような造りになっているのかは、塀や幕に阻まれ全容を確認することができないでおりました。

そして本日、何気なく手に取った神社の御由緒書き。

そこには、今まで見ることができなかった御本殿の正面からの写真が掲載されているではありませんか!

大國魂神社の御由緒書き
御本殿の正面写真

御由緒書きの写真では、柱が6本。
しかし、紙垂の場所から、間口は3間と推察されます。

また御由緒書きには、
「寛文七年(西暦1667年)造営、元は三棟三殿でしたが、この時より一棟三殿に改められました」と書かれてあります。

どうやら、かつては「三つの流造りの御本殿」があり、それが一つにつながったことで、「一棟三殿」の様式になっているようです。
これは珍しい。

御本殿の周囲を歩いてみると、御本殿の向かって左側に、写真のような説明書きがありました。

御本殿の説明書き

読んでみるとやはり、「一間社流造の社殿三棟を横に連結した三間社流造の相殿造です」との記載があります。

また説明書きには、「三棟合わさった建築様式、遺例が少なく珍しいものです」とも書かれています。

「三棟並んだ御本殿」なら、大分県の宇佐神宮を思い出します。
宇佐神宮の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

ただ大國魂神社は「三棟」ではなく「一棟三殿」になるわけで、ぱっとは思いつきません。

ちなみに、山口県の住吉神社は「一棟五殿」です。
住吉神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

奈良県の吉野水分神社は「一棟三殿」だったかな。。。
吉野水分神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

大國魂神社のHPによれば、「現在の本殿は四代将軍徳川家綱の命により久世広之が奉行となり寛文7年(西暦1667年)に完成したもの」とあります。

火災により失われた「三棟三殿」から、「一棟三殿」に変えた久世奉行。
当時、どんな思いや事情があったのでしょうか。

■気づき②:一ノ宮は「小野神社」

御由緒書きには、三つの御本殿にお祀りされている神様の名前が記されています。
ここにも大きな気づきがありました。

祭神及び神座の順序

大國魂神社の主祭神は、「大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)」です。

この大神は、由緒によれば「大国主神(おおくにぬし)」と同じ神様とされています。

大国主神は、出雲の杵築大社(出雲大社)の主祭神でもあり、神話において国土を開拓し、人々に衣食住や医療の道を授けた神様と記されています。

大國魂神社の創建は景行天皇41年(西暦111年)。
この地域で生活を営む人々も、繁栄と豊かな生活を願い、国土開拓の神様への信仰が厚かったことでしょう。

時代は変わり西暦645年。「大化の改新」が起こります。

各地域には国を治める「国府」が置かれ、武蔵国ではこの府中の地が国府となります。

統括者である国司は、武蔵国内の神社巡拝や神事執行などを行うことになるのですが、それらを効率的に行うため、国府にある大國魂神社に武蔵国内の神社を集め「総社(そうじゃ)」とします。

※総社とは、旧国内の有力な諸祭神を一社に祀った神社のことです。
総社について(「ぶらり寺社めぐり」より)


以降、大國魂神社は「武蔵国総社」と称され、御本殿の左右の相殿に、国内著名の神社六社を合祀しました。
その神様のお名前が、由緒書きに記されていたのです。

祭神及び神座の順序(アップ)

由緒書きには、下記のように書かれています。
大國魂神社のHPでも同じように記されています。

◎東殿
一ノ宮 小野大神 東京都多摩市一ノ宮1-18-8(小野神社の住所)
二ノ宮 小河大神 東京都あきる野市二宮2252(二宮神社の住所)
三ノ宮 氷川大神 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407(氷川神社の住所)

◎西殿
四ノ宮 秩父大神 埼玉県秩父市番場町1-3(秩父神社の住所)
五ノ宮 金佐奈大神 埼玉県児玉郡神川町750(金鑚神社の住所)
六ノ宮 杉山大神 神奈川県横浜市緑区西八朔208(杉山神社の住所)

武蔵国の一ノ宮には、小野神社の御祭神である「小野大神」の名前がありました。

現在、武蔵国の一ノ宮は、さいたま市の「氷川神社」であるとされています。
しかし古代から総社をつとめた大國魂神社では、一ノ宮は「小野神社」とされている。
「氷川神社」は三ノ宮に当てられています。

小野神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)
氷川神社(大宮)の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

武蔵国の一ノ宮は、小野神社なのか氷川神社なのか。
神社や識者によって見解は分かれておりましたが、「総社である大國魂神社では、小野神社を一ノ宮としている(いた)」ことがはっきりしました。

これが2つ目の気づきでした。

また、「四ノ宮」は秩父神社(ちちぶじんじゃ)。
「五ノ宮」は金鑚神社(かなさなじんじゃ)。
「六ノ宮」は杉山神社であったことも確認ができました。

秩父神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)
金鑚神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

「六ノ宮」が杉山神社であったことは、恥ずかしながら今回はじめて知りました。
今まで参拝したことがありませんでした。。。
近いうちに参拝させていただきたいと思います。

■気づき③:摂社「坪宮(つぼみや)」

御由緒書には、大國魂神社の摂社や末社が記されています。

摂社の一つに「坪宮」との記載があります。
恥ずかしながら、はじめて目にする社の名前です。

神社の境内案内図で確認したところ、場所は「境内」ではなく、外にお祀りされているようです。
神社の境内案内図
神社HP内の「坪宮」の紹介ページ


御由緒書きによれば、「坪宮」は「国造神社(くにのみやつこじんじゃ)」とも称され、御祭神は「兄多気比命(えたもひこのみこと)」とのこと。

兄多気比命は、出雲族の出身で、武蔵国の初代の国造だそうです。

※「国造(くにのみやつこ)」とは、大化の改新以前の日本史において、地方の豪族が朝廷から任命されてその地方を統治した世襲制の地方官のことです。

神社のHPによれば、
「出雲臣天穂日命の後兄多気比命が武蔵国造に任ぜられ、以来代々の国造が当社に奉仕せられ、その国造の霊を祀った。5月5日の例大祭で御旅所への神輿渡御の折、当社より奉幣を献ずる式は現在でも行われ、是を国造代奉幣式と称する。」との記載もあります。

「坪宮」の場所

「坪宮」のグーグルマップ

坪宮の社殿

坪宮に実際に足を運んでみましたが、住宅地の中にひっそりとお祀りされていました。

しかしながら社殿や扁額は美しく、神職の皆さまや氏子の方々から大切にお祀りされていることがうかがえます。
今回参拝させていただくことができ、たいへん嬉しく思っております。

■気づき④:所管社「国府八幡宮」

御由緒書には、さらに「所管社・八幡宮(国府八幡)」との記載もあります。
こちらもはじめて名前を知った神社です。

神社のHPによれば、
「祭神:応神天皇(おうじんてんのう) 例祭:8月15日
第45代聖武天皇の御代に、各国に一国一社の八幡として創立された社であると伝えられている。
京都の石清水八幡宮が皇城の守護神であるように、諸国にある八幡宮もその国府の守護神として建立されたため、此処の八幡宮は西向きになっている。
周辺は杉などの鬱蒼とした森に囲まれており、荘厳な雰囲気を醸し出している。」との説明書きがあります。

神社HP内の「国府八幡宮」の紹介ページ

この神社も「境外」にお祀りされています。
早速足を運んでみました。

「国府八幡宮」の場所

「国府八幡宮」のグーグルマップ

「国府八幡宮」の鳥居
「国府八幡宮」の社

神社は森の中に静かにお祀りされていました。

■気づき⑤:安産祈願のひしゃく

大國魂神社の摂社に「宮乃咩神社(みやのめじんじゃ)」があります。

摂社・宮乃咩神社

創立は本社と同時代といわれており、源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社とも伝えられています。

御祭神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)です。
神社のHP

印象的だったのは、「底の抜けたひしゃく」が奉納されていること。

底の抜けたひしゃく

神社の説明書きによれば、
「安産祈願の折に願いを託した絵馬を奉納し、無事願いが叶うと御礼に底のぬけたひしゃくを納める風習が今でも行われている」とのこと。

宮乃咩神社の説明書き

「底のぬけたひしゃく」にはどんな意味があるのでしょうか。

インターネットで調べてみると、
「底の抜けた柄杓は、安産祈願の奉納物として全国的に知られています。底が抜けていることから、水が抜けるようにして楽に産まれることを願う意味があります」との説明がありました。

また
「底が抜けているため、いくらでも水がすっと抜けてしまうことから、楽にお産が済むようにと願掛けをする」との解説もありました。

底の抜けたひしゃくの奉納例では、
愛知県豊川市の砥鹿神社。
そして東京都府中市の武蔵国総社の大國魂神社や摂社の宮之咩神社、との記載もありました。

砥鹿神社の紹介ページ(「ぶらり寺社めぐり」より)

天鈿女命は、安産祈願の神様でもあるんですね。

岩戸に隠れた天照大御神(あまてらすおおみかみ)を外に誘い出すため、上半身(下半身も?)裸で踊ったことが由来となるのでしょうか。

それとも、「源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社」ということが由来となっているのでしょうか。。。


以上が、今回の大國魂神社の参拝で気づいた事柄です。

当日は青空が広がり、風はほとんどなく、気持ちの良い1日でした。

以下、参拝時に撮影した写真を掲載いたします。

社号標と鳥居
参道
随神門からのぞむ中雀門(ちゅうじゃくもん)
拝殿
御本殿の千木(ちぎ)
松尾神社
巽神社
御本殿裏の社叢
ご神木のイチョウ
東照宮
住吉神社・大鷲神社
なんと「1番」を引いたおみくじ
大吉でした^^

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お読みいただき、ありがとうございました。


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大木浩士/OOKIWORKS・代表/『まずは小さくはじめてみる』著者/とちぎ未来大使/山伏
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