連載第20回『発明事業列伝』 日本の産業革命は佐賀からはじまる ギエモンこと田中久重が佐賀入りします!名君・佐賀藩主鍋島直正と恩師・古賀穀堂との絆
今号(連載第20回目)は、ギエモンこと田中久重の足取りをたどる旅。
佐賀県に入ります!
📚今号のタイトル
“からくり儀右衛門”こと田中久重
佐賀編1 日本の産業革命は佐賀からはじまる
幕末の国家最先端科学技術プロジェクトに参画
名君・佐賀藩主鍋島直正と恩師・古賀穀堂
はじめに
✨おさらい:ギエモン人生第一幕の概要✨
さて、いよいよ、ギエモン(田中久重)佐賀編に突入です。
佐賀編に入る前に、これまでをおさらいしておきましょう。
久留米の職人の家に生まれたギエモンは、家業のべっ甲細工屋を継がずに、「発明事業で身を立てていきたい」、と決意表明して独立します(連載第11・12回)。
明治維新を決定づけた雄藩とよばれる薩長土肥(さっちょうどひ)、薩摩の鹿児島、長州の山口、土佐の高知、肥後の佐賀の中で、鎖国下でも長崎出島等を通して、九州は世界最先端の科学知識や原材料等も得られる地の利がありました。ギエモンはこの地から発明創意工夫を始めます(前回・久留米取材編)。
自らの腕を磨き続け、大都市圏で開催する、からくりショーのエンタメ興行で生計を立てながら、得られた資金を研究開発費に充て、最先端の科学技術情報を求め続け、技術研鑽を続け、発明事業家として、自動機構と、その動力源の開発に情熱を燃やし続けます。
ギエモンは九州から当時の「ビジネス中心地・大阪」続いて「アカデミア&カルチャー集積地の京都」に移住したことで、ビジネスとアカデミアの双方の高度な知見を己のものとします。そうして、ビジネスでは49 ~ 51歳頃にギエモンの夢の体現である「機巧堂(からくりどう)」という発明事業会社を起業し、事業を軌道に乗せ、アカデミアでは天文学を修め、「近江大掾」という天下一の職人の称号を得て、ギエモンは51歳となっています(連載第16回)。
これにてめでたしめでたし、ではなく、幕末・明治期の大波乱とともに、ギエモン人生大波乱の第二幕は、いま佐賀にて幕開きます。
✨佐賀編ダイジェスト✨
ギエモン人生第二幕の概要
(1) 佐賀藩の国家最先端科学技術プロジェクトに参画
(2) 日本の産業革命は佐賀からはじまる
それでは佐賀編スタート
京都での安寧の日々から・・・と続きます。
今号(導入)と次号(完結編)で、日本の産業革命状況がわかります。
名君・鍋島直正と、ギエモンたちがその流れを先導していくのです。
続きは「知財ぷりずむ」2024年10月号にてお楽しみください😊✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?