妊娠高血圧で奥さんが入院、子どもとの2人暮らし
36週目を前に奥さんが妊娠高血圧で急遽入院することになりました。これにより私は3歳半になる長男と2人暮らしをすることに。
前々から産婦人科で「血圧が下がらないなら入院してもらいます」と言われていたため最悪に備えてはいました。しかし、実際に翌日の9時に入院することが決まると様々な見落としに気づきました。
特に院内で洗濯が出来ないため、私が病院に2日に一度は訪れて洗濯した衣類を渡し、使った衣類を回収しなければならない点は課題として大きかったです。この問題に対応するため、急遽私は午後有給をとり、近くのイオンに奥さんの衣類を買いに行くことに。また、奥さんは出産に備えた入院セットをあらかじめ用意していましたが、あくまでも陣痛が来てからの入院セット。不足している生理用品を購入したり、私が3歳半の長男と2人暮らしする際にあった方がいいと思うものを買ったり、入院中の暇つぶしになる娯楽を用意したりしました。
入院準備と同時に産休中の奥さんが対応する予定だった3歳半検診について引き継ぎも行いました。小児科での検診と市の保健センターでの歯科検診について日時や持ち物を確認し、直前の土日にやればいいかと後回しにしていた自宅での聴力検査と視力検査を慌てて行いました。
普段行っている小児科も市の保健センターも子どもを連れて行ったことがあるため、3歳半検診にうちの子と2人で行くこと自体は問題ないなと思っていました。しかし、尿検査だけは不安でした。うちの子はまだオムツが完全には取り切れておらず、トイレも失敗することがまだあります。そんなうちの子の朝一の尿なんてとれるか? と奥さんに投げかけると「私は入院するから頑張って」と笑っていました。
入院する日、私が子どもを保育園に連れて行き、奥さんは登録していた陣痛タクシーで予定通り入院しました。うちの子には奥さんの入院について説明をしていないため、うちの子は事情を何も知らないまま、私との2人暮らしがはじまりました。
普段から私が時短で働き、子どもの世話や家事全般をこなしているため、2人の生活そのものには不安はありません。しかし、完全ワンオペだと体調を絶対に崩せないという緊張感はありました。後は奥さんが家に帰ってこないことに気づいたうちの子がどのような反応をするか、そしてそれに私はどう応えるか。これについては私の腕の見せ所に違いない! と自分自身を奮い立たせていました。
仕事については上司の勧めによって奥さんの入院中は在宅勤務をすることになりました。いつも非常に人を大切にしてくれている会社だと思っていますが、今回もそれを痛感しました。このような融通を利かせてくれる会社だからこそ、働けるときは最大限のパフォーマンスを発揮してお返しをしたいと強く思います。
在宅勤務を終え、うちの子をお迎えに行き、家に帰ってくるとうちの子が「あれ? ママがいない」と口にしました。産休により奥さんが家にいるのが当たり前になっていたからこその疑問だったようです。この問いかけに対して私は「ママは病院に泊まることになったから、お家には帰ってこないよ」と伝えました。この時点では「まだ帰ってこない」と認識したのか、奥さんがいないことを気にしなくなりました。
しかし、晩ご飯、お風呂、洗濯を終え、寝かしつけをしはじめるとうちの子は「ママと寝たい」と言って奥さんを探しはじめました。私も言葉で伝わらないなら実際にいないことをわかってもらう方がいいと思い、一緒に家中を探し回りました。最後の部屋を開け、そこにも奥さんがいないとわかるとうちの子は両膝から崩れ落ちました。そして、声も出さずに泣き出しました。
奥さんがいないことをわかったとき、きっと泣いてしまうんだろうなと構えてはいましたが、静かに泣く姿に胸が痛みました。「ママは病院で寝ているから大丈夫だよ。明日、会いに行こうね」と抱きかかえながら声をかけました。
なんとかなだめて寝かしつけを再開しましたが、寝そうになっても「ママ、いない」「ママがいい」「ママと寝たい」と急に泣きながら起きていました。気持ちは痛いほどわかりますが、その望みは叶えられません。泣き出すたびに抱きしめることしか出来ませんでした。
2日目。うちの子はママがどこにいるかがわからず不安だろうと思い、午後有給をとり、子どもを連れてお見舞いに行くことにしました。うちの子を安心させるだけではなく、私自身も奥さんと会って話したかったからです。
入院している病院は徒歩20分ぐらいで電車を使えば10分ぐらいで行ける距離です。奥さんから入院してから不足していた物が多く、荷物を持ちながらうちの子を歩かせるのは体力を消耗しそうなのでベビーカーに乗せ、電車を使って行くことにしました。
はじめてのお見舞いはお作法がわからず、少し手間取りましたが奥さんと一日ぶりに会うことが出来ました。うちの子はベッドに横になる奥さんにダッシュで駆け寄り、抱きついていました。それだけ寂しかったんだと思います。
たった一日いないだけで話したいことは山ほどありましたが、頼まれた荷物を渡し、使った衣類を回収します。その際に衣類の受け渡し頻度は3日に1回だとギリギリになりそうだと告げられました。上司の計らいにより毎日在宅勤務なので、電車の時間を意識すれば昼休みに衣類の受け渡しが行えそうだと伝え、2日に1回はお見舞いに行くことをここで話しました。
そのような業務連絡意外にも話したいことはありましたが、うちの子が普段よりも奥さんに話しかけていたため、私はそれを眺めるだけにしておきました。今、一番我慢しているのはうちの子だと私もわかっているからです。
お見舞いの時間は病院のルールで1時間まででしたが、気がついたら一時間が経っていました。案の定、ママとのお別れが悲しくてうちの子は号泣。抱っこでなんとかベビーカーに乗せましたが、駅についても泣き止まないため、帰りはベビーカーを押して徒歩で帰ることにしました。途中、泣き疲れたのかうちの子は眠っていました。起きたとき、ママがいないことに気づき、また泣くんだろうなと思いながらも、かわいらしい寝顔を見つめていました。
思った通り、家に着き、ベビーカーから降ろされて目覚めたうちの子はまたママを探し、いないことがわかり泣いていました。私はただ抱きしめて泣き止むのを待つことしか出来ません。
時間が経ち、うちの子が落ち着いてから食事やお風呂を済ませ、私が家事をこなしているとうちの子が玄関の電灯をつけ、玄関に座っていました。声をかけると「ママ、帰って来るの待ってる」と返事がありました。うちの子の気持ちを尊重したいとも思いましたが、1月下旬の夜、エアコンもない場所に座らせておくわけにはいかないと抱きかかえてリビングに連れて行きました。
うちの子がお気に入りのブロックで遊びはじめたのを見てから家事を再開し、一通り終わって戻ってみると上着を着て、靴下をはいていました。「どうしたの?」と聞くと「ママに会いに行く」と笑顔で返答がありました。普段は私や奥さんが手助けしないと身につけないのに、自分自身でやってでも会いに行きたいんだなと目頭が熱くなりました。ただ、それを許すわけにはいかないため、「ママは今に帰ってくるから、お家で待ってようね」と伝え、上着と靴下を回収しました。
その夜の寝かしつけもママに会いたくて泣き出すうちの子を抱きしめながら眠りました。
3日目。小児科での3歳半検診が午後からあり、午後有給をとることに。この日は尿検査に朝から大苦戦しました。
尿検査の指示書通り、朝一の尿を採ろうとうちの子をトイレに座らせるも出る気配はなく。子どももはじめは笑っていましたが、私が真剣におしっこを採ろうとしているのが伝わったのか、出そうとしてくれていましたが、出ないものは出ないのです。しまいには子どももおしっこが出せなくて泣きそうになっており、私と子どもにダメージだけ残して朝一の尿検査は失敗。子どもを保育園に連れて行き、小児科に行く前にもう一度採尿を試みることにしました。そのため、保育園にうちの子を預ける際に「13時ぐらいにお迎えに来るんですが、尿検査が上手くいかなかったので、積極的にトイレに行かせないでください」というお願いをしました。まさか保育士の方にこんなお願いをするなんて思っても見ませんでした。
しかし、このお願いが結果として効果てきめんでした。13時ぐらいに家に連れ帰り、尿検査をリベンジしたところ量は容器の3分の1にも満たなかったのですが、採尿が出来ました。このときは指示書よりも量が少ないが大丈夫なのだろうかと心配していましたが、これ以上うまくやることは不可能! 最悪、再検査でもいい! と割り切って小児科に持って行きました。
うちの子をベビーカーに乗せて小児科に行き、書類や母子手帳などと一緒に尿も提出しました。待合室でうちの子が選んだ絵本を読み聞かせていると名前を呼ばれて検診が始まりました。体重が17キロを超えており、お菓子を食べまくっていることからも肥満判定が出るのでは? と恐れていましたが身長とのバランスを考えれば全然問題ないと言われて一安心でした。検診の最後に尿検査も問題なしと告げられ、無事3歳半身の前半戦は終了となりました。
スムーズに3歳半検診が終わったので、子どもを連れて奥さんのお見舞いに行きました。衣類の交換はもちろんですが、奥さんに対面で3歳半検診の結果報告をするためです。しかし、お見舞いに行くと私が奥さんとゆっくり話す時間はほぼなく、奥さんは子どもとずっと話していました。私は疲労感が強かったため、病室にある椅子に座って体力を少しでも回復させようと寝ていました。
帰りはやはり悲しいからかうちの子は号泣。ただ前回よりも泣き止むのが早かったため電車で帰ることが出来ました。家に帰ってきてからも奥さんを探すようなことはしなくなり、「明日、ママと会える?」と聞くようになりました。うちの子なりに状況を理解したようです。
4日目。2人暮らしにも大分慣れてきましたが、市の健康センターでの歯科検診があるため、午後有給をとることに。こちらの検診は事前に記入する書類を持って時間通り子どもを連れて行くだけなのでかなり気楽でした。
事前に伝えていた時間に子どもを迎えに行き、そのまま電車に乗って会場へ向かいます。会場には開始時間の10分前についたのですが、受け付けてくれたのでそのまま検診へ。歯科検診については虫歯なしということで一安心。その後の保健師との会話では困っていることはあるかと聞かれたので「私や保育園の先生の言うことは聞くが、奥さんの言うことをあまり聞かない」という子とを相談しました。これについては「全然気にしなくていい」ということで3歳半検診はすべて終了。3歳半検診で言われたのは「歯並びが少し悪いかもしれないので、気になるなら歯医者に行ってください」という内容のみ。
検診後、家に帰って奥さんの衣類を持ってお見舞いに行くことに。私は奥さんに3歳半検診の結果について伝えた後は、前回同様に椅子に座って寝ていました。うちの子は奥さんに密着して色々と話をしていました。
お見舞い後、いつも泣いていたのですがこの日は泣かずに、「また、ママに会いに行こうね」と私に言ってきました。変化にもしっかりと適応しているんだなと驚きました。家に着いてからも特にトラブルはなく、平和に終わりました。
5日目は土曜日でした。奥さんのご両親の好意によりうちの子を一泊二日で預かってくれることになりました。朝、7時に迎えに来て、昨夜まとめた子ども用の荷物を車に詰め込み、うちの子をチャイルドシートに乗せました。
うちの子は「パパはこないの?」といった表情をしていて少し胸が痛くなりましたが、私自身の体力や奥さんの衣類の交換などからも笑顔で送り出すことに。車が見えなくなってからその場を離れ、家に帰って寝ました。
一週間の絶対に体調を崩せないという緊張感から一時的に解放されたから、家に入ると一気に身体が重くなりました。それにあらがうことなく横になりそのまま眠りました。
目覚めてからは手を抜いていた家事を改めて行い、それが終わったらリフレッシュのためにラーメンを食べに行きました。その後、奥さんのお見舞いに行き、久々にゆっくりと話をしました。
私と2人暮らししているときのうちの子の様子、これから生まれてくる子のためにしておくこと、今、うちの子は奥さんのご両親と何をしているのか。そんな話をしていたらあっという間に一時間が経っていました。
お見舞いの帰り、奥さんとよく行っていたステーキハウスに寄りました。第二子が生まれるまでこの2人暮らしが続くかもしれないと思い、少し奮発していい肉を食べて英気を養いました。
7日目。昨日奥さんのご両親の家から帰ってきたうちの子は大分リラックスしていました。普段からうちの子に甘々なご両親ですが、いつも以上に甘やかされたように感じました。ママがいなくてストレスを感じているうちの子に対する優しさだと受け止めました。
子どもを保育園に預けてから、所用によりオフィスへ出勤。そこで仕事をしていると奥さんから「血圧が下がったのでこれから退院することになった」という連絡が入りました。荷物を1人で運べないため、出来れば病院に来て欲しいと言われたため、上司に事情を説明し、出社してやるべきことをすべてこなしてから早退しました。
雪が降る中、奥さんが待つ病院へと向かい、退院手続きを済ませ、私はタクシーへと荷物を積み込みました。タクシーに乗って十分ぐらいで家に着き、私と子どもとの2人暮らしが終わりました。
帰ってきてからも荷ほどきをしたり、不足しそうな日用品を買い足しに行ったり、のんびりすることは出来ませんでしたが、奥さんがいてくれるだけで私自身の安定感がまったく違うなと痛感しました。何でもかんでも自分で決める必要がなく、相談できる相手がいる心強さがありました。
雪が強くなる前に保育園にいる子どもを迎えに行きました。家に帰って奥さんを見つけたうちの子は「ママがいる!」と大興奮でした。その後、しばらく保育園からの帰り道、「ママ、お家にいる?」「ママ、病院じゃないよね?」と私に聞く習慣が出来ていました。それぐらいストレスがかかっていたのだと思います。入院して何も出来ない奥さん、ママがいないストレスを感じているうちの子、ワンオペ育児の私。それぞれがそれぞれ、負担感がある一週間でしたが、この経験から大概のことは乗り越えられるという自信を得ました。また、理解ある職場や親族に恵まれているありがたさに改めて気づかされる、そんな一週間でした。
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