開き直って、思い上がりを捨てること

たぶんこの記事で連続投稿43日目になるはず。

誰もが、オープンなWEBサイトに何らかの作品を公開したら、誰かに読まれたい、観られたい、評価されたいと思う。120%掛け値無しにそうである。もし微塵もそう思ってなければ公開せずに自分の手元にしまっておけば好いだけのことだ。

ツイッターでいえば、フォロー、フォロワーがゼロの状態で鍵アカウントにした上で、ひたすらツイートをし続けるようなものだ。

ところがそうではなく、公開状態でWEB上に何かを発信することは、

多かれ少なかれ「構ってちゃん」になっている

ということなのだ。

だからこそ、誰かに観て欲しいし評価して欲しいと思うのは当然のことである。

ところが、無名の誰かの作ったものが誰かの目に触れることなどなかなか無い。noteの中だけに限っても、毎日1万以上の作品がアップされているという。フォロワーがいない上に特別に光るものでもない限り、埋もれてしまうのは当然のことだ。

先に書いたが、皆、「構ってちゃん」である。承認欲求があるからこそWEBに何かを公開する。それなりに時間や手間をかけて作り出したものをだ。

それが評価されれば好いが、現実は優しくない。毎日1万以上の作品に埋もれてしまうのだ。目に入らなければ意味がない。

そういうことが続けばモチベーションも下がる。当然noteも続かなくなる。

ここで逆転の発想である。

手間暇かけないで、適当にやるのだ。毎回120%の力で作品を公開できるのは限られた才能のある人だけの仕業だ。凡人には無理。毎日全力でがんばろうとするから続かなくなる。

手抜きで何かを公開する。もちろん評価されたいなどと寝ぼけたことは思わない。継続することに満足すれば好いのだ。

そうしているうちに、自分の中で評価されたいという欲求が再び沸き起こって来る。その時に渾身の作品をアップすれば好いのだ。もちろん、1万分の1だから、誰にも評価されないかもしれない。

過剰な期待をするから落胆も大きくモチベーションも下がるのだ。

継続には開き直りが大切である。

私の場合は、noteではフィクション作品というよりはエッセイのようなものを公開して評価されたがっている。でも、毎日何かを書けるほどの才能が不足しているから、それを継続するのは無理だ。そこで、「つぶやき」を利用している。意外にこれが読まれていたりする。当面の目標は一年間毎日noteを書くことだ。

時間をかけて書いたものが不発になるとダメージは大きいが、どうでも好いようなつぶやきなら、最初から期待もしてないから気楽である。むしろそれが読まれているとうれしさも増す。

そのうちまた製作意欲も出てくる。

こんな感じでダラダラとやるのが

【noteを続けるコツ】

である。


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武蔵の国のオオカミ
ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。

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